第6話 悪友の頼み


 レベーロ侯爵の夜会の日。



 前回の夜会で妹を放置した兄ミゲルは、エスコート役失格として、両親が同伴することになった。イネスを一時間も見失っていたことが露見して、ミゲルは母に大目玉を食らったのだ。

 ミゲルがコンスタンサと話し込んでいたのが原因だ。イネスが絵を見るためにふらついていたことは内緒にしてある。



「兄様、もう少し上手くやってよ… お母様が一緒だと、息を吐く間もないんだもの… 」

 支度部屋にやってきた兄にイネスは愚痴をこぼす。


「まあまあ… そういえば、トニーが来たよ」

「ルシアの家に行ったの?」


「トニーが来たらしいと聞いて行ったんだけど、ルシアに来客があると言って、家中が大騒ぎでさ、トニーにも結局会えずじまいだった」


 ルシアに手紙を出したが、忙しくて時間が取れないがこの夜会で話したいことがある、と返事があった。

 マクシミリアンのことを黙っている心苦しさから早く解放されたい。

 家中が大騒ぎになるほどの来客とは、まさか、ありきたりダニエルだろうか。



「今年もトニーは引きこもりかと思ったら、一昨日、急にタウンハウスに来たって。しかも、馬で。暫く領地に引きこもってるうちに、完全に野生児だな。今晩、会えるかもしれないよ」


 支度の終わったイネスが部屋を出ると、イネスにはどうでもいいトニーの話をしながら、ミゲルもついて来る。


「へえ。じゃあ、その野生児ぶりを今晩、しっかり確かめましょ」

「ダンスなんか忘れてるかもな、お前、ちょっと難しいステップでおちょくってやれよ」


「そういう悪戯は男同士でやってよ。侯爵邸でやらかしたくないわよ?」

「俺は、アイツと踊らないし!」


 二人で階段を降りてくると、玄関ホールに花が溢れていた。



「すごい花!」

 イネスがリリーの香りに感嘆していると、母が側にやって来た。


「あなた、心当たりは?」

「え?」


「花の贈り主よ」

「…さあ…」

 マクシミリアンか、ブルーノか。マクシミリアンなら今晩会うのを楽しみにしてる、というメッセージか。気の利かないブルーノがウッカリ花の量を間違えて贈ってきたという可能性もある。



「少し前から、送り主のわからない花が届いてるの。もしかして、ブルーノ殿? 他にいる?」

 母がイネスのダンスの相手として知っているのは、ブルーノと数人だ。しかし、前回会ったのはブルーノだけだ。


「… この前、マクシミリアン様、イーストレイ伯爵家の… と少しお話したわ」

 母の反応を試すために、名前を口に出す。母の故郷の貴族の名だ。


「イーストレイ? 留学生ね… それなら、適当にあしらったらいいわ」

「何故?」

 思った以上に母の反応は悪い。やはり異国人だからか。それとも、家に問題があるのか。


「留学先での戯れでしょう? 真に受けなくていいわよ、そういうのは」


「わかったわ」

 後腐れのない擬似恋愛を持ち掛けられただけ、ということか。

 イネスの中で、膨らみかけた気持ちが陰圧で萎んでゆく。その圧力で、胸に痛みが走った。

 無意識の内に花束の中からコスモスを幾つか選び侍女に手渡す。


「コサージュにしますか?」

 侍女が尋ねる。


「… やっぱりやめておく」

 少し離れた場所にいたアナが何か言いたげにしているが、放っておく。




 ミゲルは、ついにコンスタンサの親と婚約の協議に入るようで、その相談のため両親と共に一台目の馬車に乗った。イネスは、アナとミゲルの侍従と共にもう一台の馬車に乗った。


 アナは化粧箱を手に、車室で何か作業を始めた。


「イネス様、かすみ草だけ抜いて来ました。髪に飾りますか?」

「え?」

 母の言い方や、真に受けるなという言葉を反芻していたイネスにはすぐにアナの言っていることが理解できない。


「私の姉は、私と違って器量良しでした。なので、よく花を貰っていたのです。例えば、二人の男性からガーベラの花束と薔薇の花束を贈られた時、その晩の夜会には、どちらの花束にも使われているかすみ草だけを髪につけるのです。双方に、あなたの贈った花だと言えば、相手は満足します」


 アナの話を黙って聞く。


「どなたから贈られたか自信がない時も同じです。かすみ草なら、自分の贈った花のようにも見えるし、そうでないかもしれない。男性は、薔薇やガーベラ、リリーに添えられたかすみ草に頓着してませんから。贈った花をつけてくれて嬉しいと言ってきた男性が意中なら微笑めば良く、そうでないなら、庭に咲いた物だと答えれば良いのです」


 イネスが返事をしないのを承諾と解釈したのか、かすみ草を切り揃えながら、アナはイネスの髪に差していく。


「私は、温室の男性で間違いないと思いますよ」


 アナには結局返事ができなかった。異国での戯れのつもりなら、本気にしてはいけない。


「そうそう、ミゲル様はコンスタンサ様とどこでお逢いになってたの?」

 アナはミゲルの侍従のジョアンに尋ねる。同僚同士の会話を主人の前でするのか、とジョアンは眉を顰める。


「… あぁ、中央公園とか、買い物先とか、茶会や夜会はどれに参加するか事前に示し合わせたり… 」

 アナがわざとイネスに聞かせようとしているとジョアンは気づいて、ゆっくりと答える。

「コンスタンサ様が参加する孤児院や教会の慈善活動に居合わせ・・・・たり…」


「僕と、コンスタンサ様の侍女のイルマとで、予定を調整したり、前の晩にこっそり手紙を届けたり… まあ、それももう終わり。今週中には、両家の話し合いがあるから、そうしたらコソコソせずに出掛けたり、夜会も劇場もミゲル様がエスコートして行けるようになる」



 イネスにもアナとジョアンの意図が分かったが、何も言わなかった。母の一言でイネスの中に芽生えた、マクシミリアンを疑う気持ちを抑えつけるのに精一杯だからだ。


「到着です。イネス様、ご準備はよろしいですか?」

 イネスは頷いた。



 兄と共に中に入ると、噂の野生児アントニオが令嬢に囲まれているのが目に入る。二年前より体格が良くなり、日焼けした顔に髭を蓄えたアントニオはまさに野生児と言ってもいい。

 兄と並んで暫く様子をうかがうが、所作は以前とは変わらず、野生味はない。腐っても伯爵家次男だ。


「もっと大胆に猿めいてるかと思ったのに…」

「残念だな…」


 二人で内緒話をしていると、二人に気づいたアントニオが目配せしてくる。

 飲み物を持って壁際に向かうとアントニオがやって来た。



「久しぶりだな!」

「二年ぶり!元気そうだ」

「イネスもすっかり淑女の仲間入りか!」

 野生児がにこやかに膝を折って挨拶する。一応、淑女扱いをしてくれるらしい。


「突然、戻って来てどうしたんだよ?馬で来たって?」

 ミゲルがアントニオを小突くと、アントニオが声のトーンを落とす。

「実は… 」


 ミゲルとイネスはアントニオに耳を寄せる。


「領地に引きこもってたら、隣の侯爵領の三女に気に入られたみたいでさ… でも、顔の細工がいまいちというか… 全く好みじゃない… それで…」


「「逃げて来た?」」

 ミゲルとイネスの声が揃う。


「声が大きいよ! だから、花嫁候補を探しに来たって訳」

 ミゲルとイネスは腹を抱えて笑いたいところだが、周囲を気にして、上品に笑っておく。


 男同士の会話が始まる気配を読んで、イネスは両親を目で探す。

「大して力にはなれないけれど、楽しんで…」

 イネスは母を見つけて、会話を切り上げようとする。


「待って… イネス、頼みがある。二年ぶりのワルツ、一回練習に付き合って。一回やれば、勘が取り戻せるはず…」

 アントニオが引き止める。


「じゃあ、お兄様の後でね」

「おいおい、その間どうするんだよ」


「え… どこかで時間を潰せばいいじゃない… 」

「あ、俺、今日のファーストダンスは、コンスタンサだから。イネスは父さんとしてくれよ」


「聞いてない… 」

 そろそろ、カドリーユが終わる。


「とりあえず、私、最初はミゲルかお父様って決まりなの!」

「俺は、もう六人予約があるんだよ。ハイペースで行かないと、こなせないんだから、最初だけ付き合え。幼馴染と最初に踊るからって言って待たせてんだよ」

 アントニオの口調が、野生みを帯びてくる。

 この幼馴染は、猿になる前から強引な男だったと思い出す。


 イネスが父を目で探していると、ブロンドの長身がこちらを見ていることに気づいた。アントニオの騒動で頭の片隅に追いやっていたが、花を贈ってきたのだから、当然、マクシミリアンはイネスの元にやってくるだろう。


 もたもたしている内にワルツが始まる。


「と、とりあえず、また後で… 」

 逃げようとしたが、アントニオに引き擦られるように中央に連れて行かれる。


「何で自信がないのに、真ん中なの?!」

 イネスが囁きで抗議する。


「端っこだと、踊ってないヤツに丸見えだろ?!」

 よくわからない理屈を並べながら、腕を組む。


 イネスは仏頂面のまま、小さく1, 2, 3, 1, 2, 3, とアントニオに囁きながら踊り始めた。


 思った通り、アントニオのステップは酷い。

「踏まないで…」

「待て、待て、やってる内に思い出すから… 」


 一曲目が終わる頃、何とか取り戻してきたようで、踏まれる恐れがなくなった。


「もうおしまい。後は、次の人で練習して… 」

「いや… 一人目の予約が今日の本命だから… 」


 アントニオは手を離さない。


「今日の本命って何?!」

「一番いいな、って思ってるってこと」


「気が早くて、羨ましい…」

「何だと? お前はどうなの?」


 アントニオは調子づいてきたようで、喋りながら難易度を上げ始める。


「まあ… 約束…してる人はいる」

「へえ、頑張れよ」



「もう大丈夫じゃない?」

「助かった…」


 もともと、アントニオは運動が得意なのだ。勘を戻せば、その辺の男たちより上手い。



 二曲目が終わり、兄がいる場所に戻ったが、コンスタンサと踊りに行くようで入れ違いになる。もたもたしてるぐらいなら、ミゲルはイネスを優先して欲しかった。



「悪いな、次があるから… またな!」

 アントニオはにこやかに去って行った。


 飲み物ぐらい渡してから去って欲しかった、とアントニオの背中を見つめる。


「イネス!」

 ルシアがありきたりのダニエルと現れる。

 ダニエルは二人に飲み物を取ってくると言って、すぐに席を外す。これは、気を利かせて立ち去ったようだ。


「ごめんね、トニーの相手をさせちゃって… 」

「本当よ。酷いダンスだった… 家で練習して来て貰いたい!」

 二人で近くの椅子に腰掛ける。


「ごめん… 一昨日の晩に急に帰って来て、昨日は、ダニエルが挨拶に来る日で家がごった返してたの…」


「ダニエルが挨拶?!」

「まあ、ね… 前向きに考えようかと… アレで結構、情熱的な面もあるとわかったし。婚約を前提に、家を交えて話をし始めたところ… 」


「そうだったのね… 」

「文才がないのは理由があったのよ!」

 ルシアがイネスの耳元に口を寄せる。


「なに?」

「字を覚え始めた歳の離れた妹がいてね、彼の書いたものをお手本にしてるんですって… それで、彼の部屋から書き損じをすぐに持ち出してしまうの。だから、教本みたいな文ばかり書いてたって言うの」


「そう言えば、すごく達筆だものね!」

「そうなの。四歳の妹を可愛がってる話を聞いたら、優しい人だなって思って… 」


「ねえ、情熱的って言うのは?」

「この前… マクシミリアン様と踊ったり、お喋りしていた私を見て、慌てたんですって。耳飾りを突然渡されたの。私に贈るためにいつも持ち歩いていたっていうのよ?先月からずっと… それが、マーキスカットのルビーで…」


侯爵夫人マーキスになってくれ、ってこと?!」

「やだ、声が大きい!」

 ルシアはイネスの口を慌てて押さえる。


「そんなわけで、マーキスへの道を歩み始めたというわけ」

 ルシアは耳に揺れる紅色の石を見せつけてくる。ありきたりダニエルは侯爵家の一人息子なのである。

「わお… 」

 想像以上に、ロマンティックな話でイネスは驚いた。

 ありきたりのダニエル、などと揶揄して申し訳なかった。ルシアの幸せそうな笑顔を見ながら、心の中でダニエルに謝った。


 幸せそうなルシアに、今、マクシミリアンの話をするのは気が引ける。ルシアがマクシミリアンを気に入っていたわけではないのがはっきりしただけで良しとする。

 


 中央に目をやると、ミゲルは幸せいっぱいという表情でコンスタンサとダンスしている。少し離れた場所で、アントニオもどこかの子爵令嬢と楽しげにやっている。





「ご機嫌よう」

 声のする方を振り返ると、グラスを持ったマクシミリアンが立っていた。

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