第2話 欲しいと与えたい



「お待たせしました!」

 一人になったところへブルーノが戻ってきた。給仕が来るまで待つこともできたのに、わざわざ飲み物を取りに出かけた男。


 背は高く、艶のある黒髪はゆるやかにカールしている。適度に日焼けし、眉や目元は凛々しく男らしい。もう少し洗練されていれば、一軍入りだろうに、二軍感は否めない。嫡男ではあるが、子爵家ということもあり、女性陣からは、第二、第三希望という扱いだ。


 彼から見れば、伯爵家のイネスは条件として悪くない。家の派閥としても、持参金の見込みも具合がよい。だから、彼の親もイネスを推しているに違いない。

 条件ありきのアプローチだと思うと、気が乗らない。


 そう考えて、先ほど、マクシミリアンを条件に合わないと切り捨てた自分も同じだと気づく。皮肉なものだ。


「ありがとうございます。ちょうど、今飲み物を頂いたところです」

 マクシミリアンに渡されたグラスを見せる。


「誰かに先を越されてしまいましたか… では… 隣に座っても?」

 イネスが頷くと、ブルーノは先ほどまでルシアが腰掛けていた椅子に腰を下ろす。


 女性同士で座るなら隣でよいが、彼には一つ椅子を空けて座って欲しかった。近過ぎる。

 イネスは膝をブルーノに向け、隣の椅子に座り直して距離を取る。座り直した意味が伝わるかと思ったが、伝わらない。


「えっと、先日送って頂いたカードですが、あれは中世の詩人の?」

「あ、ええ」


 夜会の翌日、彼から送られてきた花とカードに、詩の引用をつけて返事をした。イネスが子どもの頃に覚えさせられた有名な古典だ。詩人の名前だって一般教養として貴族なら子どもでも知っているはずだ。


「美しい詩ですね。感動しました」

 笑顔で答えるブルーノに、知らなくて恥ずかしいという気持ちはないようだ。


「ええ… 」

「すみません、こういう教養がなくて… 数学関係しか学ばせて貰えなかったので… 一般常識が欠如しているんですよ。兄がいて、僕はスペアだったので… 分与される財産も多くありませんし、投資に関連する勉強に偏ったんです。でも、その兄も一昨年、病で亡くなってしまって… スペアから嫡男に昇格したんですが、いろいろと追いつかないことも多くて…」


「まあ… それはご苦労されたんですのね… 」

 突然の身の上話に、返事に窮する。この国では、次男以下にもそれなりに財産は分与されるし、爵位を名乗ることもできる。しかし、資産が少なければ、早晩名ばかり貴族になる。


「妹は四人いますが、持参金の目処は立っています。妹らが出払うまで支出が続きますが、今後五年で持っている鉱山からの収入と、鉄道事業の収益で、補填できる見込みです」

「はあ…」


 出払う・・・補填・・、何とも現実的な表現だ。何の話なのか。


「なので、当家に来て頂いても心配はありません。領地はないので、タウンハウスだけですし、事業資産ばかりでご不安はあるかもしれませんが、投資は適切に分散させています。安定している近隣国の国債も十分持っていますので、日々の暮らしはその利回りだけでも可能です」


 そういう話かとイネスは納得すると、笑いが込み上げてくる。超現実的な結婚のお誘い、つまり条件・・のすり合わせだ。


「おかしなことを言いましたか?」

 くすくすと笑うイネスを訝しげにブルーノが眉根を顰める。


「とても現実的に物事をお考えですのね」

 イネスとしては、洗練されていない理由がわかって納得した。しかし、これ以上話しても、彼に惹かれることはないだろう。

 情緒がなさ過ぎる。


「数少ない私の長所かと…」

「同時にそれは、短所のう…」

 裏返し、と続けようとした時、不意にイネスが持っていた空のグラスが持ち上げられる。


「お代わりをお持ちしましょうか?」

 グラスはイネスの手を離れ、ルシアと共に戻ってきたマクシミリアンの手に移っている。


「あら、お帰りなさい」

 イネスがマクシミリアンとルシアに言う。


「今度は、あなたの番よ」

 ルシアがイネスを立ち上がらせる。慌ててブルーノも立ち上がった。


 この朴念仁と先ほどの会話の続きはしたくない。


「私、お化粧を直したいの… ルシア」

 耳元で囁くと、ルシアは頷いてイネスと腕を組む。

 失礼、と二人に声を掛けるとイネスらは立ち去る。


「あ、イネス嬢… 」

 後ろで、ブルーノの声がしたが聞こえないふりをした。





 特段、化粧を直したい訳ではないため、二人は行き先を変え、菓子を目当てに軽食のある部屋に向かう。



 イネスがチョコレートの皿を取っていると、ルシアは内緒話をしたそうにうずうずしている。


「ねえ、マクシミリアン様は面白い方だったわ。教養はあるし、ユーモアのセンスも悪くない。領地はガルダ川の向こうというから、近いのよ」


「へえ、良かったわね」

 ブルーノのあの発言にどう対処するかが気に掛かって、ルシアとマクシミリアンの恋路には興味が湧かない。ブルーノにはっきりと断っておけば良かった。これ以上付き纏われては困る。


「イネスは、マクシミリアン様に興味はない?」

「いつの間にか、付けじゃない? 私は興味ないわ」


 ルシアが奇妙な顔をしたのに、イネスは気づかない。


「ブルーノと何かあった?」

「なぜ粗野なのか、と… 結婚後の経済基盤についての説明を受けたわ」


「え? そんなに進展したの?」

「まさか!」

 ルシアの一言に驚いて後退りすると、イネスは背後にいた誰かにぶつかった。






「失礼いたしました」

 慌てて振り返ると、マクシミリアンだった。


「こちらこそ、ごめんなさい」

 ルシアと話しに来たのだろう。気を利かせてやろう、と部屋を見渡すと、左奥にブルーノ、入り口側にルシアの兄のレナートがいる。ブルーノはちらちらとこちらを窺っている様子だ。はっきりと・・・・・断ろう、と思ったものの、どう断るのだろう。まだ、準備不足だ。ひとまずは、避けておきたい。

 ルシアとマクシミリアンの両方に軽く微笑むと、ブルーノを避けて、そそくさとレナートの方に向かう。



 レナートも近づいてきたイネスを見ると笑顔で迎える。

「おやおや、もう逃げ帰ってきた?」

 連れに聞こえないよう、レナートはイネスの肩の近くで喋る。


「ええ…まあ… 逃げ場所の確保も淑女勉強の一つということで…」

 ルシアと三人の兄たちは、イネスと兄を含めて子どもの頃から付き合いがあり、気心が知れている。ルシアの一家に倣っておけばまず間違いないという安心感もあり、いつもこの六人でつるんできた。


「なるほど… それなら、ご夫人方を味方にしないとな… イネスは、絵画が好きだよな? 向こうに王宮の絵画に詳しいメンデス夫人がいる。紹介する?」

「ええ… レナート様のお墨付きなら、是非」

「ちょっと待って… 僕からじゃなく、マリアから紹介して貰った方がいい」

 レナートは近くにいた妻のマリアを呼ぶ。



「あら、久しぶり、イネス。メンデス夫人ね、早速、行きましょう」

 レナートはルシアの一番上の兄で、十歳離れている。レナートとマリアの結婚式では、イネスとルシアがトレーンベアラーを務めたため、マリアはイネスにとっても姉のような存在でもある。


「ありがとうございます」

 イネスはほっと胸を撫で下ろす。


「でもね、逃げ回ってばかりじゃ、見つからないわよ。デビューしたての頃はね、そうなるのもわかるけど… あと一年もしたら、逆に声を掛けられる頻度も減って焦ることになるかもよ?」


「やはり、最初だから… でしょうか?」

「それはあるわね… でも、全く声の掛からない方もいるから、幸先はいいわよ? 出会いを無駄にしないようにね?」


「はい… 」

「まあ、でも… あなたのご両親は、レナートの弟の中から選んで欲しそうだけれど… 」

 マリアは声を落として呟いた。


「え? そんな話は聞いていませんよ?」

 思わず、本気で否定する。

「そう? アントニオもディオゴもまだフラフラしてるわよ?」


「トニーもディオも、幼馴染で全くそういう風には… 」

「まあ… お似合いかと思ってたわ、特にトニーはね」


 トニーは三つ歳上だが、六人の中では最も自由気ままな男だ。レナートや兄のミゲルのように長男だからと厳しく躾けられなかったおかげで、好き勝手にやっている。

 それがイネスと気が合うところではあるが、たまに会う兄貴分としか思えない。


「最近は、領地で狩りばかりしてて、王都に出てきませんし、二年は会ってませんよ… 」

 年頃だと言うのに、アントニオは全く社交活動も伴侶探しもしない。確かにルシアの両親から、『最悪、アントニオいいじゃない』と冗談を言われたことがある。


「あの子ものんびりよね… 」



「マリア様は、レナート兄様のどんなところに惹かれたんですの?」

「難しい質問ね… 所詮、人間は動物よ、イネス」

 マリアはイネスと腕を組むと小さな声で話し始めた。


「え?」

「メスはね、自分の持っていない性質が欲しいのよ。子に受け継がせるためにね。見栄えのいい男や女がモテるのもそれと同じ。いい遺伝子だと思うのよ、見栄えの良さは生存競争に優位だから」


「はい… 」

 マリアは結婚した後、生物学をカレッジに学びに行ったとんでもない貴族夫人で、ある意味変人である。

 女性が学問を積みすぎると男性からは敬遠されがちだ。だから、貴族は娘をカレッジには通わせない。

 結婚し、親の足枷から外れた後にカレッジに行くという新しいやり方を生み出したという点で、彼女は時代の先駆者でもある。



「私はね、レナートのね、俺について来い、あとは何とかしてやる、っていう大らかなところに惹かれたの」

「はい… 」


「私が好き勝手しても、何とかしてくれるのよ、彼。知ってると思うけど… 彼にもいろいろと足りないところはあるのよ。お金のことなんか任せられないし、友達に頼られたら自分や家族のことは放り出してすぐ助けに行ってしまったりね… 」



「でも、レナートを嫌う人っていないじゃない? 彼が味方してくれたら、私は生きやすいな、って本能的に感じて、逃しちゃいけないって思ったのよ。彼の足りないところは、私が何とかできるって思ったしね」


「本能… 」

「自分の持ってないものが欲しい、これは本能が教えてくれる。恋がソレよ。反面、自分が相手に与えられるものがあって、それを与えたいかどうか、それは本能じゃわからないわ。愛がなければ与えられないから」


「恋と愛の違い?」

「欲しいと、与えたいの両方を持てる相手を選んだら、レナートだったの。それに、レナートは私を欲しかっただけじゃなく、私に与えてもくれる人だったから、いつまでも仲良しなのよ」


「難しい… 」

「そうでもないわよ?」

 マリアはにやりと笑うと、その時が来ればわかる、と呟いた。




「さて、メンデス夫人はね、ご主人が亡くなった後、王宮で美術品の管理をしていた方よ。その知識の幅広さから人脈も広いの。少し変わり者だけれど、女性には親身だからお付き合いしておいて損はないと思うわ」



 遠回りの末、メンデス夫人の元に辿り着いた。


「ご機嫌よう。メンデス夫人」

 マリアの紹介でメンデス夫人に挨拶する。


 マリアの言う通り、夫人は美術への造詣が深く、イネスにとって楽しい話題が続く。上っ面だけの会話や、腹の探り合いのような神経のすり減る会話をしなくて良いというのは、社交の場のオアシスだ。


 しかし、メンデス夫人の講義に疲れたのかいつの間にかマリアは姿を消してしまっていた。



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