第8話 思慕

「寒い空を飛んでお疲れでしょう。ひとまず今日のところはお休みください」

 ニーラスは懐柔するように傍らに立つサヴィーネを見上げる。

 否定の言葉が返ってこないのを確かめるとバービスに命じた。

「アンナを呼んで、エスターテ嬢を1番居心地のいい客間にご案内させろ。他の用務を外した専属のメイド2名をお付けしてな」

 バービスは1つ息を吐くと立ち上がって部屋を出ていく。

 すぐに初老を迎えた女性を連れて戻ってきた。

「エスターテ嬢。メイド長のアンナだ。お部屋に案内させる。何か入用のものがあればなんでも言いつけてください」

 ニーラスは立ち上がり、あえて離れたところから移動するように促す。

 サヴィーネは固い表情のままスカートをつまんで軽く腰を落とした。

「それでは失礼いたします。キャンバルトン伯」

「ああ。ゆっくりお寛ぎください」

 静々とサヴィーネが部屋を出ていき閉まった扉にニーラスは視線を注ぎ続けて溜息をつく。

 ゆるゆると首を振った。

「お兄様。しっかりしてください。なんというか魂が緩みすぎですよ」

 はっとするとニーラスは表情を引き締めて腰を降ろすと前髪をかきあげる。

「なんか、バービスの提案にそれっぽいことを言っていましたが、ニーラス様、単にエスターテ嬢に他の男が触れるのが嫌なだけですよね?」

 すかさずガラムがしたり顔をした。

 ニーラスは左右に視線を走らせる。

「そうだな。この場にいる人間には隠すことはないか。その通りだ。私、ニーラス・キャンバルトンはいずれエスターテ嬢を妻とするつもりだ。これは決定であり、これに異を唱えることは認めない。例え腹心のお前たちや、我が妹であってもだ。もちろん、実際に式を挙げるのはザーラムを打倒してからだがな」

 いきなりの爆弾発言に3人は息を飲んだ。

「まあ、そういうわけだ。今後はエスターテ嬢については私の令室と思って接して欲しい」

 こういうときに1番遠慮のないガラムが口火を切った。

「いや、まあね。ニーラス様が好きなようにすればいいと思いますよ。家格としてもまあ釣り合いは取れているし、ローリンエンの候補者の中から選ばれたほどの器量よしときている。しかも、俺たちにとってありがたい能力も持っていますしね。だけど、あまりにも急すぎません?」

「ずっと苦しんできたお兄様が快癒して感銘を受けたというのは分かります。私もとても爽やかな気分ですし。私もエスターテ嬢は良い方だと思います」

 身内から擁護者が現れてニーラスはうんうんと頷く。

「ただ、先方はどう思うのでしょうか? 無理やり連れてこられて、心の準備もないところにいきなり俺の妻だと言われては反発します。もう少し女心に配慮してもいいんじゃないかと思いますけど」

「いや、無理やりって言われてもな。暴力を振るったわけじゃないぞ」

「エスターテ嬢が自発的についてきたのでないなら同じことです。そこに急にプロポーズなんかをして愛想をつかされても知りませんからね」

「なに? 私とザーラムなら絶対に私の方が男ぶりはいいだろう? 私もそこまで完璧な人間ではないが、女性をあのように扱う変態と比べれば紳士の枠には収まるはずだ」

「分かってないなあ。エスターテ嬢はいかにも使命とか役目を大事にしそうなタイプでしょ。個人的な好悪はさておき、ダルフィード国に嫁ぐという務めをきちんと果たそうとするに決まってるじゃない。お兄様はその邪魔をする悪者なわけ。そこをきちんと理解してないと本当に嫌われるわよ」

 妹に完膚なきまでにダメ出しをされてニーラスは怯んだ。

「そんなに見込みがないか?」

「まあ、バービスの態度よりはいいけどね。国王憎しの感情が出過ぎちゃっていて見てられない。エスターテ嬢も気の毒な立場なんだからさ。もうちょっと優しくしないと」

 非難をされたバービスだが全く気にする様子はない。

「ところで、エスターテ嬢の聖女としての力はどういうものなのでしょうか? ご本人も認識していなかったようです。推察するにエスターテ嬢が触れることによって効果を発揮するようですね。誰に対しても効果があるのかどうか。気に入らない相手でも効果を発揮するのか後ほど私で試してみましょう」

「お、わざと嫌われるようなことを言ってたのか。元々冷徹な奴だと知っていたけど、それにしても酷いことを言っているなと思ったら」

「私とガラム、それぞれに触れてもらうことで差が出れば、浄化の能力にエスターテ嬢との親密度が関係していることが分かります」

 ニーラスは眉根を寄せる。

「それでバービスはいいのか?」

「私は皆さんに比べるとまだ症状が軽いので」

 バービスは元々はキャンピオン族の出身ではなかった。

 ザーラム2世が滅ぼした小国の宰相の息子である。

 国に殉じた父母の無念を晴らすために方策を練り、これはと見こんだニーラスに忠誠を誓って1年弱になっていた。

 智勇では勇に偏っているキャンピオン族に智謀を提供する男である。

 この地に蔓延はびこる謎の疾病について土地に起因するのではないかというところまではたどり着いていた。

 ただ、さすがに原因となる物質の特定までには至っていない。

「それで、閣下がエスターテ嬢の愛を得るという件ですが、単純な方法があります」

 頭は切れるが顔に似合わず恋愛面は疎そうなバービスが断言した。

「んー。女性の心はそんなに簡単じゃないと思うけどな」

「先ほどの発言はわざとにしろ、お前、元々女性に冷淡だろ。気持ちが分かるのか?」

 ラピスとガラムが疑問を呈するが、ニーラスは居住まいを正す。

「何かいい方法があるなら聞かせてくれ」

「既定路線どおりにあの男を倒して閣下がダルフィード国王として即位なされればいいのです。エスターテ嬢はダルフィードの国王に嫁いできたのです。玉座の持ち主が変わればその者に対して王妃としての務めを果たすでしょう」

「なるほどな。確かに単純な話だ。ただ、簡単ではないな」

「はい。私も簡単とは申し上げておりません」

 バービスはうっすらと笑った。


 その頃、サヴィーネはアンナに案内されて客間に落ち着いている。

「差し出がましいですが、その衣装では寛げないのではありませんか。何か部屋着をお持ちしましょう」

「そうね。お願いできるかしら」

 部屋から下がったアンナは2人のメイドを連れて戻ってきた。

 メイドは両手に衣装を大量に抱えている。

「お好みが不明でしたのでいくつかお持ちしました。よろしければこちらなどいかがでしょう?」

 アンナは1着の萌葱色のワンピースを広げてみせた。

「御髪の色が映えるかと思います」

「そうね。それではそちらを着てみるわ」

 3人に手伝ってもらって婚礼の衣装を脱ぐ。

 実家にいるときはすべて自分でやらなければいけなかった。

 最近ようやく他者の手を借りて生活をすることに慣れつつあったサヴィーネである。

 それでも同性とはいえ肌を晒すことに抵抗を感じていた。

「下着もご用意しましたが」

 有難くも謝辞しワンピースに着替える。

「髪を下ろしましょうか?」

 結い上げていた髪の毛をほどいてもらうとほっとした息が漏れた。

 アンナたちはごく自然に接してくれるのでサヴィーネも気が張らなくて済む。

「ありがとう。楽になったわ」

 先ほどまであまり表情を出していなかったアンナも穏やかな顔になっていた。

「エスターテ様のお世話をさせて頂くと、私どもも爽やかな気分になります」

「はい。こんなに気分がいいのは久しぶりです」

 メイド2人も声を揃える。

 着替えの際に自然とサヴィーネが3人に触れることになり知らず知らずのうちに浄化の力を発揮しているのだった。

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