第24話 迫る敵
ジールゲン砦からの帰り道、ニーラスは頭を悩ませている。
ギバーズやその息子、ニーラスにとっての従兄弟たちへどうやってサヴィーネを触れさせるかが問題だった。
野心を露わにして今までことあるごとに自分を引きずり落そうとしていた叔父たちに対して親切にする理由はない。
本音を言えば、いつまでも病に苦しんでいればいいという思いもある。
しかし、だからといって浄化の恩恵を与えないわけにもいかなかった。
あんな下劣な人間と同列に堕ちるというのも嫌だったし、族長としての立場もある。
ギバーズは親ザーラムを唱えており、その妃候補のサヴィーネに戯れかかることはしないと思われた。
下手なことをして後にザーラム2世に密告されれば首が胴から離れてしまうのは間違いない。
そのことはギバーズも良く分かっているはずである。
それでも、ニーラスの気持ちはサヴィーネが触れることをよしとすることができない。
なんとなく汚れるような気がしてしまうのだった。
ニーラスの見るところ、ギバーズには族長になってからの展望がない。
そのこと自体が目的となってしまっている。
そして他者がどのような犠牲を払おうが気にしなかった。
だから、ラピスを差し出せというザーラム2世の命令になんの痛痒も感じていない。
その対象が自分の娘であっても恐らく態度は変わらないだろう。
ギバーズにとっては自分か自分以外かという線引きしかなかった。
そんな自分本位な人間に触れると汚れると感じてしまうのも仕方ない面はある。
危機が迫っているのだから、ザーラム2世を迎撃する作戦を考えた方がいいのだが現実にはなかなかそうもいかない。
ニーラスはどうしても自分の腕の中にいるサヴィーネに意識がいってしまうのであった。
それにそういう作戦の立案についてはバービスの能力を信頼している。
留守中にニーラスよりもずっと効果的な作戦を立案しているはずだった。
こんな感じでニーラスは懊悩しているのだったが、サヴィーネはサヴィーネで悩んでいる。
僅か数日であったがキャンピオン族の人々と交わるうちに愛着が生まれてきていたのだった。
実家は心安らげる場所ではなかったし、ダルフィード国への輿入れも実態は人身御供である。
ぞんざいに扱われてきた中で誰かに慕われ必要とされるということはあまりにも甘美な経験であった。
それは自分でもどういう仕組みかよく分からない浄化の力に向けられたものだと言い聞かせても心が弾むのは止められない。
そして初めてできた同年代の友人の存在も大きい。
今まで欲しても得られなかったことをラピスは与えてくれる。
昨夜も部屋に枕を持って押しかけてきたラピスと遅くまで話をしてしまっていた。
他愛もないおしゃべりがこんなにも楽しいものとは知らないで過ごしてきている。
ナージリアスの背中から見渡す風景のように世の中にはまだまだ知らないことがあるのだろう。
まだ西の空に夜の名残を留める空の散歩は楽しかった。
風はやや冷たいが上空からの景色は普通は人が見ることができないものである。
サヴィーネは決して皇帝から与えられた使命を疎かにするつもりもないが、この束の間の一時が少しでも長く続くことを願っていた。
そのささやかな願いを踏みにじらんとするザーラム2世は着々とディーバクリフへの距離をこなしている。
首都ケールデンを発した直属軍に加え、もともとキャンピオン族への備えとしていた部隊を加えて意気軒昂としていた。
大軍の制御は難しく、凡庸な指揮官では諍いが生じて反乱につながることもある。
また、補給が不足し撤退のやむなきに至るケースも戦史上枚挙に暇がない。
このカスの見本市のような男もその轍を踏むかと思えばそうではなかった。
兵士の食料や薪炭、矢弾に至るまで十分に備え、それを運ばせる輜重用の馬車も大量に用意している。
兵士の統御も信賞必罰を旨とし士気も高かった。
今までの実績としても小国を併呑しただけとはいえ勝利を重ねており人気もある。
宮殿内での痴態は兵士にしてみればコップの中の嵐に過ぎなかった。
もちろん、自分の妻や恋人、娘が毒牙にかかるとなれば平静ではいられなかっただろうが、所詮は他国の被征服民である。
ザーラム2世への支持を辞める理由にはならなかった。
1人の人間としては最低ではあるが、軍事面では水準を超えている。
まったくもって面倒な王であった。
ザーラム2世は配下の将軍を朝の定時の打ち合わせのために自分の天幕に集める。
「そろそろ、ニーラスの奴めが差し違える覚悟で突っ込んでくるかもしれない。特に夜間は視界が限られるからな。十分に気をつけよ」
「はっ。3交代で見張りを立てます。上空にも十分に注意するように改めて周知しましょう。夜目が効くようになる妖精の涙も見張りの3名に1つは行き渡るようになっております」
ザーラム2世は満足そうに頷いた。
「もし、もう1度奇襲を仕掛けてくるようなら、その時はあの男も運の尽きだ。ワシも使った炎への耐性のある生地製のサーコートも十分に用意してある。魔術師や射手を中心に配ることができるはずだ。ブレスの効果が減ずればドラゴンとて恐るるに足らん」
わははは。
満足そうな笑い声をあげる。
将軍たちは右腕を曲げ胸を叩いて賛意と敬意を示した。
「流石でございます、陛下。これで我が軍の勝利は間違いなし。しかし、残された奴ら、大人しく降伏するでしょうか?」
殺してしまっては奴隷として売り裁けない。
将軍たちの収入にも影響してくるのだった。
「その点も考えておる。実はな、あやつらの中に内通者がいるのだ。ニーラスを倒せばそいつがキャンピオン族の連中をまとめるだろう。半数も残してやれば大人しく従うはずだ」
ザーラム2世は自信満々、得意の絶頂という態度になる。
テーブルを囲んで居並ぶ将軍たちは素直に感嘆の声をあげた。
ザーラム2世に敬礼をすると天幕を出て指揮する部隊の士官に命令を伝える。
士官は下士官に伝達し、ザーラム2世の自信が部隊の隅々まで広まった。
曇空の下、野営地の解体を終え遠征軍は前進を再開する。
砂塵を巻き上げる装甲獣を先頭に歩兵、輜重の車が続いた。
あと10日の間には目的地に到達するはずである。
勝算があることは十分に吹き込まれていた。
ヘロヘロになったドラゴンを倒しさえすれば、残るのは略奪の時間である。
勝った後のことを考えているのはザーラム2世と変わらなかった。
その軍団のはるか上空を雲に隠れるようにして1頭のドラゴンが飛んでいる。
灰色がかった体の色は下から見上げると雲と区別がつきにくい。
騎乗しているのはサヴィーネにおふざけをした竜騎士だった。
バービスに厳命されて上空からザーラム2世の手勢の様子を確認する。
雲の切れ目から覗きこむので正確な数はつかめない。
それでも大軍勢ということはよく分かった。
まあ、兵士がどれだけ居ようとドラゴンにとっては大きな障害ではない。
面倒なのは装甲獣であった。
熱い鱗に覆われた巨獣はブレスで焼こうとするとかなりの時間炎を浴びせる必要がある。
そこを大型の弓や魔法で狙われ羽を傷つけられたら空を飛び続けることができなくなった。
地上に降りたドラゴンはその強さを相当減じることになる。
ざっと数えただけでも50を超える装甲獣を見て竜騎士はやれやれと肩をすくめた。
「こりゃ、結構厳しい戦いになりそうだなあ」
「またこうやって空を飛べるようになったんだ。その恩人のサヴィーネのために俺は頑張るよ」
「そうだなあ。そこに異存はないんだが」
竜騎士はサヴィーネの優美な姿を脳裏に浮かべる。
頬に激励のキスの1つももらえないかなと不毛なことを考えていた。
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