第23話 忠言
「ありがとうございます。聖女さま」
ジークデン砦に勤める若者がサヴィーネの手を両手で押し戴く。
その顔は赤みを帯び目には憧れが浮かんでいた。
放っておけばいつまでも握っていそうだったが、先に浄化してもらった中年女性がやってきて耳を引っ張る。
「まったく、この子は何やってるんだい。後がつかえてるだろ」
イテテと言いながら若者は連行されていった。
それを見守るニーラスの頬はピクピクとしている。
辛うじて怒気は発していなかった。
俺はサヴィーネを腕に抱いたし髪の毛の香りも嗅いだもんね。
心中で自分の方がより多くの接点があることを言い聞かせて平穏を保っていた。
しかし、小さな女の子が感激のあまりサヴィーネに抱きつく姿を見たときには羨望のあまりに拳がぷるぷると震える。
サヴィーネが片膝をついて女の子を抱きしめるという構図はほのぼのとしたものであったが、ニーラスには何か別のものに見えているのかもしれない。
途中何度か気遣って休憩を挟むことを提案したが、サヴィーネは疲れも見せずに砦に詰めている者の浄化を終える。
その様子をバーディッツたちは遠くから見学することが許された。
浄化してもらった者たちがサヴィーネを讃える声を我が事のように喜ぶ。
主と見定めた相手がその忠誠心に相応しい人物であるということは、自分たちの眼力の確かさを示す証でもあった。
そのことを抜きにしてもサヴィーネが生き生きとしている姿は心を打つものがある。
結果論でしかないが、ニーラスにこの地に拉致されたのはサヴィーネにとって良かったのではないかということを認めざるをえないという空気が生じていた。
あとは一時的な保護者となったキャンバルトン伯の人物が気になるだけである。
金竜ナージリアスの騎手でありキャンピオン族を束ねる立場というのは、サヴィーネとの家格の比較においてやや不満が残るが許容できないというほどではない。
外見としてもまあ認めてやらなくはない水準と考えていた。
サヴィーネの崇拝者である爺様たちの採点は辛い。
ニーラスが我らの姫様を幸せにできる男かどうかを一挙手一投足監視している。
もちろん、その前段階としてザーラム2世を打倒しなければならない。
ただ、その点は最低限の前提条件としてこの場の考慮には加えていなかった。
「まだ口の脇の黄色い小童であるな」
「とはいえ、姫様との釣り合いはとれておる」
「なんの姫様の神々しさに比べれば足下にも及ばぬわい」
「見た目の話じゃない。年齢の話じゃ」
「まてまて。姫様のお気持ちが第1であろう」
「そう、それよ。ここで我らがあれこれ言っても詮なきことだ」
「とはいえ、臣下としてご助言するのも務めのうちでは?」
ひそひそひそ。
爺様たちにとってサヴィーネは主であると同時に可愛い孫娘のようなものである。
ぜひにとも幸せになって欲しいという気持ちが強かった。
そんな思いで勝手なことを言っている爺様たちから少し離れたところではシャルルーカが地面に突っ伏している。
退屈そうにしているのは泥浴びをラピスに禁じられたからだった。
ワタシも行きたかったのに。
少しむくれたシャルルーカにとって爺様たちの会話はいい退屈しのぎである。
委細漏らさず全部聞いていた。
サヴィーネの浄化が終わった後にやってきたラピスとそのネタで盛り上がる。
「良かった。サヴィーネはあのお爺ちゃんたちには愛されてるんだね。いいように利用されていて他人事ながらすごく腹が立っていたんだよね」
「それはいいんだけどさ、ニーラスの求愛のハードルは凄く上がったんじゃないかな」
「シャルルーカはどう思う? 私は兄はぴったりだと思うんだけど」
「ワタシはナージリアスと違って口を出す立場にないから。ラピスのお相手にはしっかり注文をつけるけどね」
「えー、あのお爺ちゃんたち並みに注文が多かったら困るなあ」
「で、どんな人がいいの?」
話題が変わりキャッキャとガールズトークが始まった。
その頃、ニーラスとガラムは砦からちょっと離れた場所でせっせとブラシを動かしている。
2頭の竜にこびりついて乾いた泥を落とすためであった。
砦の中でやらないのは、落ちたものの始末が大変だからである。
ブラシで泥を落とすのは重労働でニーラスはぶつくさと文句を言っていた。
「泥浴びなんてその後が大変なことになるのが分かり切っていることをしようとしたのになんで止めなかったんだ?」
「そりゃ、ぞんざいな扱いをされて心に深い傷を負ったナージリアスの気晴らしになればいいかなと思っただけですけどね」
話題になっている竜たちは散々泥浴びを楽しんだ心地よい疲労感からウトウトとしている。
その姿からは満ち足りた様子が窺えた。
ニーラスは信じられないというようにナージリアスを見る。
「本当に全部しゃべったんだ……」
「何のことです?」
「空の上でちょっと話をごまかすために、ナージリアスのせいにしたことだよ」
「へえ、そんなこともしていたんですね。俺はニーラス様がナージリアスを労いもせずに置き去りにしてさっさと砦に入った態度に傷ついたのかと思ってましたよ。いつもならそんなことはしないですよね」
言われてみればその通りであった。
ガラムはブラシをせっせと動かしながら言葉を続ける。
「この際だからはっきり言いますけど、ニーラス様はエスターテ嬢に対して浮かれすぎです。あなたは族長なんです。まずはその責任を果たしてください」
これは兄弟同然に育ったガラムだから言えることであった。
ニーラスは反論を試みようと口を開けたもののそのまま閉じる。
ただ、完全に虚心ではいられないのかブラシの動きがやや乱暴なものになった。
その様子を横目にしてガラムは声の調子を変える。
「いえ、別にエスターテ嬢に素っ気なくしろと言っているわけじゃないんですよ。それにいい格好をしたいというのも分かります。でも、エスターテ嬢のハートを射止めるためにも責任ある態度の方がいいと思うんですよね。ほら、あの人はとても真面目な性格でしょ?」
「それはそうだな」
「まあ、ニーラス様は本質的には賢い方なので、これからどうすればいいかはお分かりと思います。じゃ、俺はアッシュルーの泥落とし終わったんで失礼しますね」
ナージリアスとアッシュルーでは体の大きさが違うので作業時間の長さに関してどうしても差が出るのは仕方ない。
いつもならニーラスが終わるまで待つところだが、今日は違うようである。
ガラムはブラシの泥を落として肩に担ぐとアッシュルーの顔のところに移動した。
「気持ちよく転寝しているところ悪いんだけど、砦まで乗せていってくれないか?」
アッシュルーは大きな口を開けてくああと欠伸をする。
しばたたく目からは少し涙が溢れていた。
「ああ。お安い御用だよ。そうそう。泥落とし、お疲れさま」
ガラムが鞍のない背中にさっと跨がるとアッシュルーは翼を動かして飛び立つ。
残されたニーラスは月明かりの中で軽く頭を振った。
まるで金粉を振りまいたような煌めきが生じる。
ブラシの柄に寄りかかりながらニーラスはためらいがちにナージリアスに話しかけた。
「ナージリアス。聞こえるかい?」
薄目を開けたのを確認するとしばらくためらった後に詫びの言葉を口にする。
「昼間はすまなかった。サヴィーネにみっともないところを見せたくなくてついついあんなことを言ってしまったよ。私が悪かった」
「別に気にしていないさ。彼女に夢中になる気持ちも分かるからね。だけど、私もガラムが言っていたことは正しいと思うよ。それじゃ、残りの泥落としをよろしく」
「ありがとう。ナージリアス」
頭を下げるとニーラスはブラシを動かし始めるのだった。
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