第3話 パレード

 サヴィーネは花嫁候補となって馬車に揺られるまでの間、自分の夫となる人物の情報をまったくと言っていいほどに知らない。

 両国の絆となるべく伴侶として夫を支えるという覚悟を固めているだけだった。

 良縁に恵まれず、実態としては継母の妨害もあって婚期を逃してきたが、もともと他家に嫁ぐことを定められていた立場である。

 親が決めた相手と夫婦になる以上の人生の目標は持っていなかった。

 自分が妻の役割をきちんと果たすことで、両国の関係が安定すれば、祖国にも恩返しすることができる。

 そんな役割が加わって決意も新たにしていた。

 実際にはそんな綺麗な役回りではないということを耳に入れるものは存在しない。

 金で集められて側仕えをする者たちは当然口をつぐんだままだった。

 もし、余計なことを耳に入れサヴィーネが逃亡を図ろうとすることが露見しようものなら厳罰を受けること必死である。

 悲惨な新婚生活が待ち受けていることを知っていても、それを教えるような義理は持ち合わせていなかった。

 護衛の兵士を束ねるバーディッツは、サヴィーネが事情を知ったうえで気丈に振る舞っているものと勘違いをしている。

 そんなわけで、今現在まで、サヴィーネは自分の夫になる人物のことを良く知らないままだった。

 慌ただしく旅をしてきた馬車は高い壁に囲まれたダルフィードの首都ケールデンに到着する。

 3重の防壁を潜り抜けて馬車は王宮へと進んでいった。

 その王宮は、国内外からかき集めたもので飾り立てられ豪華を通り越してけばけばしい。

 その様子に半ば驚き半ば呆れて目を見張りながら、サヴィーネの一行は宮殿内の一角にある宿舎に身を落ち着けた。

 そそくさとやってきた典礼官に2日後に華燭の典を挙げると告げられ、サヴィーネは困惑する。

 長旅の疲れもあるし、もう少し余裕のある日程にできないのかと交渉に出かけたバーディッツだったが、吉日がどうのと煙に巻かれて成果は得られなかった。

 実際のところはサヴィーネの到着を待ちわびたザーラム2世が一刻も早く新妻を虐げたいと歪んだ欲望にかられているだけである。

 それだけに理屈が通じなかった。

 部下たちの仕入れてきた情報を総合するに、バーディッツはザーラム2世は世評以上の変態ということが分かってくる。

 獣欲が服を着て歩いているような男。

 心酔するサヴィーネの花婿がこんな相手ということに心を痛めた。

 おとぎ話によくある話では無いが、噂が一人歩きしているだけで実際は申し分ない男性ということに一縷の望みを抱いていたのだが儚い夢と消える。

 あんな男に嫁ぎ辱めを受けるぐらいなら死んだ方がマシなのではないか、とバーディッツは悩んだ。

 詳しい事情を知ったサヴィーネが嫁入りを拒絶するなら、一丸となって血路を開き最後の一人となっても守るつもりはある。

 しかし、ザーラム2世についての芳しからざる話を聞いても、サヴィーネはあまり感情を表すことのない顔に殉教者のような透き通った表情を浮かべるだけだった。

 ザーラム2世の話と言っても前妻や亡国の姫たちに加えた内容をつまびらかにサヴィーネに伝えることはさすがに憚られる。

 正妻以外の妻女が多くいること、残酷な性格をしていること、という程度の表現しかできなかった。

 具体的なおぞましい内容を耳にすればサヴィーネも考えるところはあったかもしれない。

 しかし、耳にした抽象的な中身では強く忌避する気にはならなかった。

 自分が逃げれば他の誰かがその代わりとなるだけだし、残してきた弟の立場も悪くなるだけだと思えば自分に課せられた運命として受け入れる覚悟を決める。

 その様子を目にしてバーディッツたち爺様たちはやきもきとするがどうしようもできなかった。

 一応サヴィーネの気が変わったときのための計画を密やかに練る。

 全員で100名ほどいるので、5人ずつ20段の構えとすることに決めた。

 まずは宮殿を出る門のところで第1陣が玉砕しつつ時間稼ぎをする。

 次は都ケールデンの3重の門のそれぞれで同様に敵の足止めをして、その間に残りの者たちがサヴィーネを守りつつ馬で逃走することとした。

 城を出て追っ手がかかれば5騎ずつ反転して突っ込み獅子奮迅の働きをする。

 問題はどこに落ちのびるかであった。

 サヴィーネの祖国であるローリンエン帝国に向かっても間違いなく受け入れられることはない。

 逆に捕まえてダルフィード側に引き渡そうとするだろう。

 かといって、他の方向はダルフィード国の領土が広がっており逃げ場はない。

 最後は苦しまないように姫様のお命を頂戴するしかないのだろうか。

 バーディッツは眉間にしわを寄せて悩みに悩んだ。

 サヴィーネが死んでもザーラム2世の妻になるのは嫌と言うのであれば話は簡単である。

 可能な限りはお守りして、どうしようもいかなくなれば安らかな死を提供するだけだった。

 本人がそこまで強い意志を持たないとなると判断が難しい。

 控えの間でうろうろとバーディッツは歩き回る。

 答えが出ないままに時間だけが過ぎていった。

 そして、ついに婚礼の日の朝を迎えてしまう。

 町のあちこちには花が飾られ広場では振る舞い酒も出ていた。

 ダルフィードの国民からすれば自分たちの国王の結婚式ではあるが、その実あまりおめでたいという雰囲気はない。

 初婚ではないし、2年も経たずの婚儀である。

 ザーラム2世の噂は民間にも流れていたので、また犠牲者が祭壇に捧げられるのかといった程度の感想でしかない。

 ただ、ザーラム2世の乱行はあくまで被征服民に対してのものである。

 臣下や国民の妻女が毒牙にかかることはなかったから苦笑しつつもどこか無関心であった。

 あまりに祝賀ムードでないのもザーラム2世が機嫌を損ねかねないというので廷臣たちが腐心した結果、表面上はそこそこの華やいだ雰囲気が醸し出されていた。

 警備の兵士もその影響を受けて緩んだ態度となっている。

 いつもなら都ケールデンへの出入りの人間は詮議を受けるのだが、本日はお祝いに駆けつけましたと言えばほぼノーチェックだった。

 門番はさすがに素面だったが、町中を巡回する兵士は昼前から顔を赤くしている。

 左右に向ける目も据わっていたり、トロンとしていたりと鋭さに欠けていた。

 ダルフィードの軍事力の要である大型の四つ脚の獣も周りの喧騒をうるさそうにしながらのべのべと地に伏せている。

 戦いになれば分厚い鱗と大きな体で相手を圧倒する装甲獣も、こんな状態では単なる置物でしかなかった。

 昼過ぎになると宮殿の一角からサヴィーネを乗せた無蓋の馬車がケールデン内を巡り始める。

 この日のために用意された純白の花嫁衣装に身を包んだサヴィーネは文句なしに美しい。

 ただ、本来ならば晴れやかなはずの衣装がバーディッツには祭壇に捧げられた贄を示すように感じられてしかたなかった。

 パレードの様子を見た住民たちは純粋にサヴィーネの気品と美しさに目を奪われる。

 それと同時に周囲を固める騎士の美々しさと姿勢の良さに驚いた。

 ダルフィード国、しかも都のケールデンに住まう者たちは、ローリンエン帝国など落日の弱小国と侮る気持ちを有しており、扈従の列も項垂れていると想像していたからである。

 バーディッツたちが付き従うのは再び王宮に着くまでの間ではあった。

 それ以降はバーディッツ1人しか随行が許されないし、そのバーディッツも丸腰である。

 パレードでの威勢は虚仮威しにしかならないのは百も承知の上で、サヴィーネが惨めな気分にならないようにという配慮なのだった。

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