第4話 混乱のケールデン
サヴィーネの行列がケールデンの1番外の城壁近くにさしかかる。
そのとき王宮の方で吶喊の声があがった。
「暴君を倒せっ!」
「くたばれ、豚野郎」
罵る言葉に応じる声も聞こえてくる。
「敵襲だ!」
王宮の周囲で武器がぶつかり合う音が響いた。
ケールデンの町中は俄に騒然とする。
その時1点の曇もない晴天の下を進んできた馬車にさっと影が差し込んだ。
バーディッツが見上げると黄金の輝きを有するドラゴンが王宮に向かって飛んでいくのが見える。
馬車の上を飛び越えるとはサヴィーネをどこまで愚弄するかとバーディッツは歯がみをした。
黄金の鱗を持つドラゴンと言えば金竜ナージリアスしかいない。
ならば乗り手はキャンバルトン伯だろうと、バーディッツはきっと鋭い視線でドラゴンに騎乗する後ろ姿を睨んだ。
戦場では何度も煮え湯を飲まされた相手である。
装甲獣も脅威だがまだ対処法があり、大木の先端を尖らせた杭を振り子のようにぶつければ倒すことができた。
防衛戦であれば事前に用意しておいた落とし穴に誘導するという手もある。
しかし、空飛ぶドラゴンはお手上げだった。
よほどの強弓でなければ矢が突き立つこともないし、数本の矢が刺さった程度では墜とすことはできない。
ドラゴンは魔法に対する耐性もあり、魔術師の放つ魔法ですら力不足だった。
しかも魔法を放てればまだマシである。
魔術師が強力な呪文を唱えている間に急接近してきて炎の息でこんがりとローストされてしまうことがほとんどだった。
元々希少な魔術師がドラゴンのために減り、ローリンエン帝国の劣勢が加速している。
ローリンエン帝国側も手をこまねいていたわけでは無く対抗するドラゴン部隊の創設を検討したが、道のりは厳しかった。
そもそもドラゴンが少なく、さらに人間と友好的な関係を結ぶということが難しい。
なんとか飼い慣らせてもそれに跨がり自由に天翔るとなると困難を極めた。
ただ、あるときからドラゴンが戦場に姿を見せることは少なくなる。
戦場がローリンエン帝国側奥深くなり飛んで来られなくなったとか、乗り手が不足しているとか言われていたが原因は伝わっていない。
古き仇敵の姿を見て感慨に耽っていたバーディッツは目を剥いた。
金竜ナージリアスがなぜか王宮に向かって炎を浴びせる。
「敵の数は少ない。包囲して殲滅しろ!」
そう叫んでいた辺りが炎に包まれた。
指示していた声が聞こえなくなる。
バーディッツは馬車に近づくとサヴィーネに声をかけた。
「このままではパニックになった人の波に飲まれます。ここは一時町の外の広い場所に逃れた方がよろしいかと存じます」
ダルフィード側からつけられていた世話人が反論する。
「そんな勝手なことをされては陛下の不興を買いますぞ。直ちに王宮へ」
「世話人殿。それではまず王宮への道を開いていただこうか」
バーディッツが指し示す先には城外へと逃れようとする人の列が第2城門から津波のように溢れてくるのが見えた。
「このままでは巻き込まれて何が起こるか分からん。どさくさに紛れて不埒なことをする者が出るやも。私が責任を取る。総員退避」
バーディッツが叫ぶと100人の兵士が馬車を守って動き出す。
最外壁の門まで行くと住民たちと門番が小競り合いをしていた。
「通せ」
「通さん」
そのとき、住民の1人が王宮の方を指を指す。
「ドラゴンが来るぞっ!」
それが引き金となって人々は門番を押しのけると外へと走り出した。
その後ろをバーディッツの一団は粛々と通っていく。
外に逃れるとバーディッツは城門から少し離れたところに誘導した。
後から出てくる住民のために道を開けておこうという判断である。
今や城門から押し合いへし合いしながら人々が出てきていた。
「バーディッツ。ありがとう」
サヴィーネはそれを見ながら言う。
「いえ、当然のことをしたまでです。姫様」
そう答えた瞬間のことだった。
城壁の向こうで悲鳴があがったと思うとナージリアスが姿を現す。
馬車の上で急旋回をし、ドラゴンの羽ばたきによって巻き起こされる風が吹き付けた。
それと同時にサヴィーネの向かいの席に何かが落ちてくる。
その衝撃で馬車は大きく軋んだ。
装飾のあまりない実用的な革の騎乗ズボンとジャケットを身につけた若い男性、キャンバルトン伯爵がうめき声をあげる。
「大丈夫ですか?」
サヴィーネはすぐに我を取り戻してキャンバルトン伯爵に体を寄せた。
しょっちゅう具合が悪くなって倒れる弟ジョルジュの面倒をみてきたので緊急事態に慣れている。
キャンバルトン伯爵は落ちたときに口の中を切ったのか唇から一筋の血が流れた。
「大丈夫ですか?」
声をかけながらレースの手袋を外しハンカチで血を拭うとキャンバルトン伯爵の額に手を当てた。
僅かに体温が高い。
次いで呼吸が楽にできるようにと首元に巻いたスカーフを緩め、1番上まで止めたジャケットのボタンを外す。
そこでキャンバルトン伯爵が閉じていた目をパチリと開いた。
故郷の湖を思わせる深く蒼い瞳がサヴィーネを映し出す。
「何を……!」
口を開くと同時にぐるりと旋回して戻ってきたナージリアスが着地し、心配そうに首を伸ばした。
ぬっと突き出されたドラゴンの口からは微かな硫黄の臭いがする。
ナージリアスは鼻面をキャンバルトン伯爵に押し付けた。
「心配ない。いつもの発作が出ただけだ。急に胸が苦しくなって……。ん? どこも痛くない?」
キャンバルトン伯爵は体を起こすと均整の取れた自分の体を見下ろす。
「あの忌まわしい痛みが全くないぞ。ナージリアス!」
その声に応えるように黄金色のドラゴンはぺろりとキャンバルトン伯爵の頬を舐めた。
1人と1頭の様子をサヴィーネは微笑みながら見守っている。
ドラゴンについては恐ろしい話しか聞いていなかったが、実際に目にすると弟のジョルジュが飼い犬と戯れている姿と変わらない。
馬車の上でこのような状況が繰り広げられていたが、なんとか助けようとするバーディッツもどうしようもできなかった。
ドラゴンがくしゃみをしただけでサヴィーネが丸焦げになってしまいそうである。
口を開ければナイフのような歯がずらりをならんでいたし、力強い腕は一撃でサヴィーネを血煙に変えてしまえそうだった。
キャンバルトン伯爵も腰に長剣は佩いていなかったが、長ナイフのものと思える鞘をベルトに挿している。
バーディッツは迂闊に声をかけてサヴィーネの身分が露見するのを恐れた。
金竜ナージリアスの舌から逃れたキャンバルトン伯爵は先ほど自分に触れていたサヴィーネのことを見下ろす。
純白の花嫁衣裳に身を包み、かなりの武装兵を従えた様子を見て、その瞳に理解の色が広がった。
「あと一歩であの下衆は討てなかったが、これは良い拾いものをした」
素早い動きで屈むとサヴィーネを横抱きに抱き上げる。
以心伝心とばかりにナージリアスが体を前に出し、キャンバルトン伯爵が背中に置いた鞍に跨りやすいようにした。
細身だが意外と力強い腕で突然抱き上げられてサヴィーネは身をすくませるばかりである。
「貴様! 何をするつもりだ!」
バーディッツが腰の剣を引き抜いて怒鳴った。
「花嫁はキャンバルトン伯爵がもらい受けたとザーラムに伝えよ」
バーディッツたちが一斉に斬りかかろうとしたが、ナージリアスは力強い脚で馬車を踏みつぶしながら大きく跳ねる。
そして背中の光輝く翼を羽ばたかせるとぐんぐんと高度をあげた。
「隊長! どうします?」
爺さん達が巻き上がる砂ぼこりから目を守りながら問いかける。
「知れたこと。もちろん、姫様を取り戻す。全員騎乗。直ちに追跡だ」
バーディッツは目を細めると抜き放った剣先を金竜ナージリアスに向けた。
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