第17話 嫉妬

「ああ、すまない。領主なんてものをしていると話が回りくどくなる。答えはノーだ。エスターテ嬢をザーラムとの交渉のカードには使わない。もとよりそんなつもりはさらさらないが、もし、そんなことをしたら貴公が血相を変えそうだ。それを良い部下を持ったと言っただけのこと」

「そうか。それで姫様が癒やしの力を有しているというが、キャンバルトン伯のところではそんなに病にかかっている者がいるのか?」

 病人が多いというのは軍事的にも機密事項である。

 ニーラスは回答を拒絶しても良かったが、正直に口にしていた。

「我らのところに滞在するようになればわかることだから白状してしまうが、我らの土地には病人しかいないような状態だった。ドラゴンも竜騎士も女子供も分け隔てなくな。治療術士を招こうにも誰も応じてくれず途方にくれていた。それを救ったのがエスターテ嬢だ。まさに聖女としか言いようがない」

 バーディッツは渋面を作って考え始める。

「他の場所でそのような話を聞いたことがない。キャンバルトン伯のところだけで起きている。それはどう考えても他人の悪意が介在しているだろう。おおかた走狗煮られるの類だろうな」

 かなり際どいことを言っていた。

 ザーラム2世が何らかの細工を行ってキャンピオン族に病気を蔓延させていると称していることに他ならない。

 ニーラスはそれに取り合わずに言葉を続ける。

「というわけで、心配しなくてもエスターテ嬢を粗略には扱わない」

「それは重畳。それなら問題はキャンバルトン伯がザーラムに勝てるかどうかだ。ドラゴンを駆るキャンピオン族を侮るつもりはないが、王は大兵力を発するぞ。ローリンエン帝国にも参戦を命ずるだろう。戦いは時と場所を選べる攻撃側が有利だ。飽和攻撃を受けて守りきれるのか伺いたい」

「兵数によるだろうが遠征軍を全て潰すのは難しいな。ただ、反乱を起こした私たちには後がないのでね。できる限りの抵抗はするつもりだ。万が一のときはエスターテ嬢は城内に監禁しておくさ」

「なるほど、そういうことなら我らも嫌々ながらもキャンバルトン伯に従わざるをえませんな。姫様を人質に取られては逆らえないというものだ」

「奮戦を期待しているよ」

「ふむ。ここで会えて良かったということにしておきましょう。これから我らが行く場所には恐らくザーラムの間者が潜んでいるでしょうからな。もう、キャンバルトン伯と親しく語ることもありますまい」

「残念なことだ。戦場でのことについて色々と教えを乞うこともあっただろうに」

 お世辞ではなく心から慨嘆してみせると踵を返したニーラスはナージリアスのところに戻った。

 ほどなくアッシュルーに騎乗したガラムがやってきて地上へと降りる。

「ニーラス様。お待たせしました。それにしても随分と寛いでいますね」

「それでどこに逗留してもらうつもりだ?」

「バービスが言うにはジールゲン砦でどうかということです」

 キャンピオン族の領する土地のうち最もローリンエン帝国に近い地点にある砦の名を挙げた。

 バーディッツの言う通りに帝国が派兵してくるとなると、この砦を帝国出身者に任せるのは賭けである。

 だが、ダルフィード国からやってくるザーラム2世の軍との戦いに参加させるわけにもいかない。

「分かった。ガラム、それでは彼らの案内を頼む」

「仰せのままに」

 返事をする声は心なしか弾んでいた。

 久しぶりにアッシュルーと共に空を飛べてガラムはすこぶるご機嫌である。

 アッシュルーもずっと喜びの声を上げ続けていてナージリアスから煩わしそうな視線を向けられていた。

 ニーラスはバーディッツたちの方に向き直る。

「貴公らの滞在場所が決まった。この男、私の腹心のガラムに案内させよう」

「承知した」

 2頭のドラゴンが空中へと飛び立った。

 ニーラスはナージリアスに頼んでバーディッツたちの上空を1周させるとディーバクリフ城に向かう。

 中庭に下りるとナージリアスをねぎらってから建物の中に入り、その辺に居た者にサヴィーネの居場所を尋ねた。

「サロンでラピス様と歓談されています」

 それを聞くと大股でサロンへと足を運ぶ。

 中に入ると2人はお茶をしながら親しげに話をしていた。

 扉が開いた音にラピスが顔を向ける。

「あら、お兄様、戻られたのですね」

 そのニーラスの表情は険しくなっていた。

「ラピス。俺は大人しくドラゴンの住処で待っているように言ったはずだぞ。それに私はまだ2人乗りの許可を出した記憶はないが」

「お兄様。立ってないで座ったら」

 ラピスは椅子を勧めると新しいカップにお茶を注いでテーブルに置く。

 ニーラスは1つため息をつくと椅子に座って1口飲んだ。

「それで?」

「確かにあの場所に居るように言われたわね」

「なぜ、言いつけに従わなかった?」

「だって、サヴィーネがどうしてもお兄様の後を追ってとせがむんですもの。板挟みになった私の立場が可愛そうだと思わない?」

「なんだと?」

「馬に乗っていた人がおじいちゃんばかりだったという話をしたら、サヴィーネが連れていってって頼んだの。自分の大切な人たちだからって。それにね、シャルルーカが言うには竜騎士をまだ選んでいない若いドラゴンたちが騒ぎだしたらしいんだよね。自分のパートナーにサヴィーネを選びたいみたい。それであの場に留まらない方がいいんじゃないかって思ったのよ」

 話を聞いたニーラスは顔を手で覆った。

 竜騎士は人間がなりたいと思ってなれるものではない。

 自分の乗り手をドラゴンか選ぶという面が強い。

 そして、その場合には基本的に闘争心が強い男性を選択することがほとんどだった。

 ラピスは女性だがお転婆でありニーラスも手を焼く場面もある。

 おとなしめで受け身がちなサヴィーネは従来の傾向からすればドラゴンのパートナーになることはありえなかった。

 それにも関わらずドラゴンたちが望んでいると言うのは相当気に入られたとしか考えられない。

「まあねえ、お兄様もサヴィーネの魅力は分かるでしょ。ドラゴンも同じなんだと思うよ」

「それはそれとして、いつからエスターテ嬢のことをそんなに親しげに呼んでいるんだ?」

「昨日からだよね」

 ラピスはサヴィーネにしなだれかかる。

「おい。迷惑だろ。離れろ」

 ニーラスはしっしというように手を動かした。

 ラピスはサヴィーネを見上げる。

 その視線を受けてサヴィーネは微笑んだ。

「今まで親しく呼び合うお友達もいませんでしたし、むしろ有難いですわ」

「エスターテ嬢がそう言われるなら構いませんが、見てのとおり私の言いつけも守らない跳ねっ返りです。その騒がしいところが感染したら評判に関わります」

 ラピスは頬を膨らませるが、サヴィーネはふんわりと笑うだけである。

「話は変わりますが、バーディッツ殿たちにはジールゲンという砦に移動してもらいました。不足しているものはないはずです。ご安心ください」

「キャンバルトン伯、ご厚意には本当に感謝いたします。バーディッツさんにはとても良くしていただいていたんです」

「いえいえ、当然のことをしたまでです。エスターテ嬢に受けた恩義に比べれば小さいものですから」

 そう答えながら、ニーラスはいくつかの点にモヤモヤしたことを抱えていた。

 ラピスとは名前を呼び合うのに自分はそうではない。

 バーディッツに対する感謝の念を述べるときの親しげな様子にも胸が焦がれる。

 かの老人は年は離れているが名高い武人であった。

 年齢を重ねたいぶし銀の魅力もあるし顔も悪くない。

 ひょっとするとサヴィーネが実は好意をいだいているのではないかとの疑惑が大きくなっていた。

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