第9話 湯浴み
ニーラスたちの知らないうちに城内に静かに熱狂と興奮が広まっていく。
たまり場でサヴィーネの側近くで仕えると体の具合が良くなったという話を聞いた他のメイドは指名された2人に仕事を変わるように懇願した。
さすがにバービスに命じられているので、他のメイドの部屋への出入りはアンナが止める。
しかし、自分たちだけ楽になるのかと言われれば後ろめたさは感じた。
そこでアンナは一計を案じてサヴィーネにお伺いを立てる。
「エスターテ様。ドラゴンに乗って空を飛ばれたのであれば体の芯からお冷えになったのでは? 湯浴みをなさってはいかがでしょう?」
既にサヴィーネはアンナについて信用できるという判断をしていた。
ぜひにと勧められて湯浴みをすることを承諾する。
浴槽を置いてある別の部屋に案内された。
薔薇の花弁が散らしてある湯船に身を沈めると心が緩む。
手でさざ波を作ると、お湯にエッセンスオイルが加えてあるのか香気が広がった。
「失礼いたします」
複数の女性の声がして微かな衣擦れの音がする。
サヴィーネは浴槽の縁に頭をもたせかけていた。
その顔にふんわりとした布がかけられる。
浴槽の外に垂らしていたサヴィーネの髪をそっとお湯で濡らし頭皮のマッサージが始まった。
何かすべすべした液体で髪の毛を洗われすすがれる。
思わず吐息が漏れるほどになんともいえない快感が走った。
洗い終わると顔に乗せられた布が取り除かれ髪の毛はふかふかの大きな布に包まれた。
その間、お湯が冷めていないか何度も確認しその度にお湯が足される。
体の芯まで温まると浴槽から出たサヴィーネは起毛した柔らかなバスローブを着せられた。
そのまま衝立の向う側に連れていかれると寝椅子に誘導される。
新しいメイドがやってくると髪の毛を包んでいた布を交換した。
次に別の5人ものメイドがやってくるとサヴィーネの手足と顔の世話を始める。
今まで塗られていたマニキュアを落とすと1本1本丁寧に爪をヤスリで削り形を整えた。
仕上げにクリームを爪の生え際に塗ってよくすり込む。
4人が同時に作業をするのでサヴィーネは身じろぎすることもできない。
もっとも湯浴みをして心地よい疲労感に包まれており半ば放心し為すがままになっていた。
その間に2人がかりで顔のマッサージも行っている。
眉、耳、頬骨と適度な力加減で撫でていった。
それから保湿成分のある水とクリームを塗る。
さらにいつの間にか増えたメイドが数人でサヴィーネの髪の毛を乾かし櫛で梳かしていた。
これだけの人数が入浴とその後のケアのためだけに仕えるというのは例を見ないほどの好待遇である。
半分眠りながら施術されていたサヴィーネは手の世話をしていた者以外のメイドについても手に触れたことに気づいていない。
全てが終わりそっと目を覚ますように呼びかけられ、客間に戻ると暖炉には火が入っていた。
赤々とした火が部屋を照らし、時おりパチパチと薪がはぜる音が響く。
「夜になると冷えますので少し温めておきました。温度はいかがでしょうか?」
「ありがとう。快適よ」
実家にいるときはまともに世話をしてもらえていなかったこともあり、初対面の相手に色々と世話をされるのはそれはそれで神経を使った。
それでも、アンナを始めとするこの城のメイドたちには悪意や隔意を感じない。
ごく自然に敬意と親しみを向けられ、サヴィーネは当初思っていた以上に心がほぐれている。
「それではお休みなさいませ。エスターテ様。良い夢を見られますよう」
「お休み」
アンナと2人のメイドが部屋から下がると、サヴィーネは用意されていた下着と夜着に着替えてベッドに入った。
無理に着替えを手伝うという押し付けがましさがないのも良い。
頭を枕に預けてみると丁度良い高さで自然と首を支える。
いろいろと考えることもあったが、今日1日の疲れが出てあっという間に眠りに落ちてしまった。
翌朝目覚めてからも心憎いばかりに行き届いた世話を受ける。
ベッドルームの隣の居室で一人で朝食を取った。
ニーラスが押しかけてきて一緒に朝食の席を囲むことになるかと密かに身構えていたサヴィーネは肩透かしをくらった気分になる。
「キャンバルトン伯は?」
「領内の巡視にお出かけです」
「領主なのに?」
「はい。とても責任感の強い方でいらっしゃいますから」
そう答えるメイドの声音には尊崇の念が含まれていた。
「キャンバルトン伯は慕われているのね」
「はい。立派な方だと思います」
実家にいるときに自分に対して面従腹背する使用人に慣れていたので、こうも素直に感情を見せるメイドの姿は新鮮に感じる。
食事を取り終える頃にはメイド長のアンナがご機嫌伺いに現れた。
「おもてなしにはご満足いただいておりますでしょうか」
「ええ。もちろんよ」
「それはようございました。何か御用がありましたら何なりと」
「キャンバルトン伯にお目通りはかなうかしら。随分とお忙しいようだけど」
「エスターテ様がご希望されている旨をお伝えしてまいります」
アンナはすぐに戻ってきた。
「ご案内いたします」
昨日とは別の道筋を通って違う部屋に案内される。
アンナは扉をノックした。
「エスターテ様がお見えでございます」
「お通ししてくれ」
アンナはサヴィーネを中に入れると自分は外に留まり扉を閉める。
部屋に入るとどうやらニーラスの執務室らしい。
テーブルに広げた図面を前にバービスとガラムとで何かを議論していたところのようだった。
ニーラスはサヴィーネを安楽椅子に座らせると晴れやかな笑みを浮かべる。
「エスターテ嬢から会いに来てくださるとは望外の喜び。さて、何か御用でしょうか?」
「お忙しいところ申し訳ありません。昨夜そっけない態度をとったことのお詫びとおもてなしのお礼とを申し上げたくて参りました」
「滞在が快適なものであれば嬉しいな」
「お陰様で心地よく過ごさせて頂いております。昨夜は気分が昂っていたのか失礼な姿をお見せして申し訳ありません。伯爵には伯爵のお立場と責任がおありでしょう。それに考えが至らず申し訳ありません」
「いや、なんと言葉を飾ろうとエスターテ嬢を拉致した事実に変わりはない。そこにあのような不躾な言葉を発しては不快になられるのも当然だ。繰り返しになるがあなたを力づくでどうこうしようというつもりはない」
「では、ここから解放してくださいとお願いすれば叶えてくださいますか?」
ニーラスは困った顔になった。
「大変心苦しいのですが、そればかりはご希望に添いかねます」
サヴィーネはふふっと笑う。
「申し上げてみただけです。本気ではありません。ケールデンから連れてこられた以上はここで事態の推移を見守るしかないでしょう。ジタバタしても仕方ありません。私にどれほどのことができるか分かりませんが、病に苦しむ方に癒しを与えられるのであれば協力いたします」
普段はツンと澄ました表情に浮かんだ笑みに心臓を破壊されそうになりながらも、ニーラスはなんとか平静を保った。
「おお。その気高き心。大変ありがたい申し出です。それではお言葉に甘えて、ここにいる私の腹心2名にお手を与えてくださいませんか?」
「ええ、構いません」
サヴィーネが立ち上がろうとするのをニーラスは押しとどめる。
「そのまま手だけを差し伸べて下されば結構です」
まずはガラムが大きな体を窮屈そうに屈め片膝をついてサヴィーネの手を片手で軽く触れて押し戴いた。
「おおおっ。これは体が軽くなったようだ」
次いでバービスが同じ姿勢をとる。
「寛大なお心、敬服いたします」
恩寵を与えられた両名は眩しそうな顔をしていたが、すっと背を伸ばすと立ち上がった。
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