第4話 7月12日(月)

 放課後。校内で部活動にいそしむ生徒たち。その活気は夏の暑さもものともしない。

 校庭からは掛け声が伸び、廊下には楽器の音や笑い声が響く。

 授業を行う昼間とは異なり散在する人の気配に、夕方直前の学校の気配は独特で味わい深い。


 だが、その味わいを蹴散らすような足音が響く。

「おうおうおうおうおうおう!!!」

 バターンッと体育館の扉が開けられた。

 突然の侵入者に、中から響いていた掛け声が止まる。

「小野宗也はどこだ!話を聞かせてもらおう!」


「なんだお前」

 大きすぎて冷房の行き届かない体育館。窓が開けられ扇風機でゆだるような空気をかき回す中。練習を行っていたのは、学ラン姿の応援団。

 もうすぐで夏休みだ。近い野球部の試合応援に練習を行っていたらしい。熱さに加え練習を邪魔され、皆不機嫌だ。

「いったい、何の用だ」

 僕らのもとにずい、と出てきたのは、小野宗也。

 彼は『リコーダーペロペロ事件』の第二発見者だ。そして応援団の副団長でもある。副団長としての威厳はたっぷり持っている。坊主頭に高身長、鍛えられた体でこちらを睨む三白眼。

 正直怖い。しかし爪を齧っては心証が悪いだろう。僕は応急で、花宮さんの笑顔を思い浮かべ、なんとか平静を保った。

「私は我妻梶!自己都合で『リコーダーペロペロ事件』を調べている!そしてこっちは助手の中田風太!」

 僕はいつのまにか助手になっていた。


「あれの犯人はそいつだろ?今更何しに来た」

「し、真犯人を探すために、小野くん、あんたにあの日のことを聞きたいんだ」

 小野の睨みつけが怖い。しかし僕はびくびくしながらも答える。頑張れ僕。花宮さんのためだ。

「話すことなど何もないだろ。俺たちの練習を邪魔するならば、今すぐにでも放り出すぞ」

 今にも有言実行しそうな声音。さすがは応援団副団長。そのびりびりと響く低い声に僕は縮みあがった。


「改めて聞きたいのさ」

 我妻が僕と小野の間に入った。僕は場の空気に耐えかね、その背に隠れる。そっと覗き込むと、小野の鋭い視線と目が合った。怖い。

「話す理由がない」

「そう言われると、困ってしまうな」

 我妻は困っていなさそうな笑顔で嗤う。

「これはあくまで私たちの趣味で伺っている。そう、趣味。趣味ということはつまり警察の仁義や、探偵のプライドというものはない」

 あの分厚い手帳。我妻は開いたページを撫でた。

 そこには、小野の顔写真が。

「協力しなければ……そうだな、ここでお前の恥ずかしい情報を、あーんなことやこーんなことを、大声で叫んでもいいんだが」

「なんだと……?」

「大声だからな―、情報が転じてどんな噂になるかは保証できないなー」

 によによと嗤う我妻。あの手帳に詰まった個人情報が今、武器となる。

 額に血管を浮かせ苛立ちを抑える小野。いったいどんな恥ずかしい秘密があるというのか。

 二人のにらみ合いは、小野が屈することで勝敗が決した。


「チッ、こんなことで脅されて、時間を食うのもバカらしい」

 短い舌打ちののち、言い訳のようにつぶやく。

「俺は二週間前のあの日。そこの中田が、挙動不審な動きで教室から出ていくところを見た。怪しいと教室を覗いて、あのリコーダーを発見した」

 僕を睨む小野の三白眼に、僕は再び我妻の背中に隠れた。我妻は小柄なため、頭隠して尻隠さずだが。

「なにか怪しい人物は?もちろん彼以外で」

「見なかったよ。リコーダーの唾液は乾いていなかった。前後関係から見て、中田風太が犯人に決まってるだろ」

「不審だから犯人というのは、とても愚かな考えだと思うがね」

「普通に考えた結果だ」

「普通?ふ~ん、ね」

 我妻は冷たく笑う。

「薄っぺらい男だな」

「あ゛?!」

 嘲笑。それに小野は、ずもも、と怒りでこちらを見下ろす。

「思考も言葉も実に薄い。やはり三つ子の魂百まで。性根はそのままか」

 血管が切れた音が聞こえた気がする。

「なんだと?!!!」

 ドッ、とものすごい声圧。

 僕は縮みあがり、我妻は笑みを深める。

 怒りで頭に血が上った小野のその形相。まさに鬼というものだ。

 小心者の僕は恐怖で早くこの場から離れたかった。

「ははっ図星かよ」

「これ以上の侮辱は許さんぞ!」

「許さなくってどうすんの?殴る?蹴る?怒鳴るはもうやってるね。これがってやつ?」

 我妻はなぜこの状況でさらに煽るような言葉を紡げるのか。

 煽られた小野の怒りは頂点に達しそうだ。応援団の団員達も縮み上がっている。

 もう話を聞く隙もないかもしれない。というか僕は今日が命日になるかもしれない。


「小野」

 しかし、救世主は現れた。

 止めたのは、小野に負けず劣らずの大男。最上級生、応援団長の神崎宏大カンザキコウダイだ。

 厳しそうな小野とは対照的に、朗らかな雰囲気の神崎団長。柔和な糸目が小野をたしなめる。

 ああ、この状況をどうにかしてくれる救いの手が現れたのだ。僕は手を合わせたくなる。

「あまり受け止めすぎるなよ。ただの変人の言葉だろ?」

 神崎団長の声に、不承不承ながら小野はしゅるしゅると怒りを納めた。

「で」

 あ、だめだ。

「あんたらも、そろそろお引き取り願いたいが」

 握られた拳、ぽきぽきと鳴る指。細目がわずかに開かれた。

 救世主なんかじゃない。

 今が最大のピンチだ。

 団員を脅され侮辱された神崎団長。僕の目でも、小野よりも短気で、やばいほど怒っていることが分かる。

 糸目で勘違いしていた。もともとそういう顔なのだろうが、笑っているわけではなかったようだ。


「へぇ」

 だが、むしろ楽しくなってきたとばかりの我妻。

 帰りたい。過度なストレスに、もう外聞関係なく爪を齧る。

 今にも拳を振るいそうな神崎団長と小野。

 無理怖い。

 僕は最終手段として置物のふりをした。僕は関係ない。無関係です。

「それは少々難しい」

「まだなにか用があるのかな」

「普通という言葉を振りかざし、決めつけでものを語る人間を、私が黙ってみていられる性分ではなくてね」

 我妻は、神崎の細目と小野の三白眼を睨み返す。

「なるほど、お前たちが普通といってこいつを犯人だというならば」

 僕を指さないで。注目させないで。助けて花宮さん。

「それを反証し、お前たちの普通という概念を砕いてやろう」

 対抗しないで。はやくお家に帰りたい。

 ああ、天使な花宮さん、ここから救い出して。

「はっはっはっは!面白いな!さすがは学園一の変人!」

 笑い声をあげた神崎は、ずいっと怒り顔で迫る。

「これ以上泥を塗り続けるのならば、こちらも手段は選ばないぞ」

「おおこわいこわい」

 我妻はからかうように肩をすくめた。

「では私たちもあらゆる手を尽くしてあげよう」

 ぐい、と我妻の腕が僕を引き寄せる。

「こいつと共にね」

 はっ、と今日最大の嘲笑を見せた。


「ではさらばだ!」

 神崎団長と小野の反論を待たずに我妻は逃げる。僕は引きずられる。

 突然の逃亡に、応援団長含めた彼らは肩透かしを食らったようだった。

「ちなみに!」

 それをあざ笑うかのように帰り際、我妻は顔だけのぞかせる。

「神崎宏大の初恋は小学三年生!近所の女子大生だ!バレンタインチョコも贈ったらしい!その女子大生は彼氏がいたがなーァッハハハハハ!」

「我妻ァ!!中田ァ!!!」

 突然の巻き込まれ暴露。

 神崎団長の怒声は僕らの逃走音をかき消した。

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