第7話 7月13日(火)
「昨日、初等部の子供を追いかけまわしたらしいじゃないか。ずいぶんと余裕だな」
「やだなぁ、誤解だよ」
夜の涼しさが残る早朝。
神崎団長と小野に見下ろされる僕ら。
とうとうこのときが来てしまった、というほど期間がかけられたわけではないが。
昨日、神作団長を怒らせた僕ら。今朝は僕が『リコーダーペロペロ事件』の犯人でないと証明しなければ、僕らはぼこぼこにされる。
だというのに、どうして我妻はこの状況で余裕の笑みを浮かべられるのだろうか。
じめじめとした体育館裏。苔のついた壁をナメクジが這っている。いかにもという場所で、僕らは集まっている。
我妻と僕。そして神崎団長と小野。
僕と我妻がこの場から生きて出られるかは、我妻の説明能力にかかっている。
「で、潔白を証明する準備はできたのかい?」
発言次第では今すぐにでもひねりつぶす、という気迫が神崎団長から伝わってくる。昨日の怒りは収まっていないらしい。
僕は我妻の背に隠れたかったが、このときばかりは自分を奮い立たせた。
「もちろん短気で頭の悪い君たちに」
神崎団長の額に血管が三本浮かぶ。頼むから煽らないでくれ。ストレスで僕の親指の爪が齧り消える。
「分かりやすく説明するため、さっそくこれを見ていただこうか」
我妻は、ぴらりと一枚の書類を差し出した。
「なんだ?これは」
「DNA検査の結果だよ」
「「は?」」
目を点にする神崎団長と小野。
わかる。わかるよ。まさかいち高校生からこんなものが出てくるとは、しかも一昼夜で、思わないだろう。
僕も昨日説明されたときは度肝を抜かれた。というか信じられなかった。
「私のパパは刑事でね。なにかと融通を利かせるのがうまい」
完全に職権乱用だ。昨晩たたき起こされてDNA検査を行った科捜研の方々。すみません。
でも花宮さんのためなんです。
「だから調べてもらった。この『リコーダーペロペロ事件』で被害にあった花宮美由のリコーダーから採取されるDNAと」
我妻はジップロックに入ったリコーダーを出す。
「中田のDNAが一致するかどうか」
結果が出た紙を我妻は指す。
「で、一致しなかったわけだ」
不一致。つまり、花宮美由のリコーダーからは僕のDNA、唾液は検出されなかった。
僕は花宮さんのリコーダーに、回収ときでさえ直接は触れていない。だから、このリコーダーに僕の痕跡があるはずがない。
「これにより、真犯人は突き止められないが、中田風太が犯人でないことを証明することができた」
我妻は嗤う。
「君たちが普通の思考回路で考えたことと、事実は異なっていたわけだ」
我妻はその冷ややかな目で神崎団長と小野を睨み返す。
「これを、信用しろと?」
「その糸目かっぴらいてみてみるといい。信用する間もなくこれが事実だ」
学校側が内々で処理したため隠されてしまった事実。
僕は、中田風太は犯人ではないということ。
真犯人はまだわからない。しかし、僕が犯人でない、という事実はこんなにもあっさりと証明することができる。
簡単なことだった。手段を選ばない我妻にとっては。
あとは、目の前の二人がこの事実を飲み込めるかどうかだ。
「ふっ」
神崎団長の口元から息が漏れる。
「はっはっはっはっは!」
湿った空気を吹き飛ばすような笑い声が響いた。
僕はとうとう怖くなり、我妻の後ろに隠れる。やはり頭隠して尻隠さず状態だが。
「いや、悪かった。まさかこんな大層なものを出してくるとは。なあ小野、これは花宮さんのもので合ってるんだろ?」
「え、はい。掘られているイニシャルからして確かに、しかし」
どうしてそれを我妻が持っているのか。小野の表情はそう疑問を呈していた。
「ぼ、僕が、学校の集積所からとっていったんです」
全員の視線が集まり、我妻を盾にする。
「つまり君はごみを漁ったと」
「そ、そそそ、そうですけど」
けど、と僕は言葉を紡ぐ。これ以上勘違いされては、たまったものじゃない。
「あ、あの事件が、学校で内々に処理されて、証拠となるリコーダーが処分されたら、僕は本当の犯人が誰だかわからなくなってしまう、と、思ったんです」
「確かに、君はそのせいで犯人扱いだ。とても苦労しているようだが」
「それは、別に、いいんです」
地面を向きながらも、神崎団長に答える。
「別に、僕はいじめられても、犯人扱いされてもいいんです……家族に何かあるとさすがに怒りますが」
小野からわずかにため息が漏れた。僕はびくりと肩を揺らし、視線を泳がせる。けれど口は閉じない。
「僕の、一番の心配は、花宮さん、です。花宮さんのリコーダーを盗み、不安にさせた犯人がまだ学校にいるかもしれない。そいつが、花宮さんに危害を加えるかもしれない。そんな状況を、僕は黙ってみているわけにはいかないんです。だから僕は、真犯人を、捕まえなければならない」
だから証拠品であるリコーダーを回収した。
ごみを漁るなんて真似事もして、一線を越えてまで。
リコーダーがどのような証拠となるかは頭になかったが。そもそも証拠品としての信頼性は低いだろうし。
でもなにかしたかった。
掴みたかった。
だからいじめも耐えたし。学校に通い続けた。
そして今、一歩進むことができた。
「と、いうわけだ」
我妻は胸を張り、とびきりの笑顔を見せる。
「さてさて、彼の紳士的な覚悟は見てもらえただろう。真相解明とまではいかないが、一つの事実を明かすことはできた」
「まさか科学捜査を持ち込むとは思わないけどね」
「なんでもするっていったろう?私たちは探偵ではない。警察でもない。調べるためにはあらゆる手段をこうじるし、あらゆる可能性を確かめる。そこにプライドも倫理もなにもかもが必要ない。
ただ一つ、論理が通っていればいい」
我妻の背後にいる僕にも、彼女のいやらしい笑顔が伝わってくる。
果たして神崎団長たちはこのことを飲み込めるか。
というか僕としては、科学捜査云々よりも、僕が花宮さんのリコーダーを手に入れていたことを我妻に言い当てられたことの方が、不思議で嫌だが。我妻いわく、僕の性格を考えれば持っていて当然らしい。
なんだか手のひらの上で転がされている気分だ。まあ、我妻が推理もできるとても優秀な協力者、ということで僕はのんきなふりをする。
一方、神崎団長は、我妻の嘲笑に、しかしこれ以上怒ることなく、深くうなずいた。
「これは、こちらが一杯食わされたな」
小野は苦々しくもうなずく。
「俺たちは、お前たちを勘違いしていた。いや、見くびっていた。俺は、お前たちが探偵のごっこ遊びで小野に突っかかり、練習を邪魔し、侮辱しているのだと思っていた」
だが、と神崎団長は首を横に振る。
「お前たちは本気だった。あらゆる手段を使い、昨日今日でこの二週間、誰も調べなかったことを明かした。俺たちが、普通だと思って決めつけていたことに反証した」
神崎団長はその糸目で困ったように笑う。
「侮辱していたのはこちらだったというわけだ」
な、と神崎団長の呼びかけに、小野は居住まいをただした。
神崎団長は小野と並びたち、屹立する。
「一方的な視点で判断し、この二週間、中田風太の名誉を傷つけ、さらには不当な扱いを受ける原因を作り出してしまった。この責任を重く受け止め、ここに謝罪したい」
坊主頭二つが深々と頭を下げる。
「え」
僕は目を点にする。
「は、ははは、はいぃっ???」
変な汗をかきながら、僕はびくびくとしながら、ただ返事をした。というかこれにいいえを出せるものがいるだろうか。しいていうなら我妻くらいじゃなかろうか。
しかし神崎団長は頭を下げたまま。
「ただ形だけというのも筋が通っていない。そちらがまだ捜査を続けるのであれば、今後は俺をはじめとする応援団員を手足として利用してほしい」
「いや」
僕は首を横に振るが頭が挙げられる気配はない。
「どうか俺たちの詫びの形として受け取ってほしい」
「へ?」
神崎団長の言葉に、小野も重ねる。
謝罪を受けるどころの話ではなくなった。
おびえる僕に、愉しそうな我妻。
僕が改めて「はい」と返事するまで、坊主頭は決して頭を上げなかった。
こうして、僕ら『リコーダーペロペロ事件』の捜査に、応援団が加わった。
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