変態図鑑
染谷市太郎
1章 潔白証明
第1話 7月12日(月)
僕、
だが、苦手だ。
理由その一は、高校なのに、音楽の授業ではなぜかリコーダーが使用されること。高校生にもなって、リコーダー……。と僕の中では評価が低い。
とはいえ、リコーダー使用することには、それなりに理由があるらしい。
僕が通う三浦学園は、小中高一貫校。僕は高等部所属だ。一貫校と言う強みを活かし、リコーダーという一つのことを継続させることで、強い精神と達成感を得るため。という理由なのだ。以前音楽の先生が語っていた。
この学校の、強情さと柔軟性のなさを表すような伝統だと僕は思う。
そして、音楽の授業が苦手な理由、その二。運が悪いと、リコーダーを独奏させられるから。
指名は先生の気分次第。なんて横暴なんだ。生徒の僕らには反論できない。
そして、僕は運が悪かった。
今日は日にちと出席番号の照らし合わせで、先生は僕を指名した。予想はしていたが、いい気分なわけがない。
小学校ではないのだから、下手な演奏は減点の対象となる。致命的に才能がない生徒にとって最悪な制度だ。リコーダーで優劣をつけられることがあまり好みではない。
しかし幸いなことに、今回は難しくない曲だ。緊張する必要はない。僕は大きく息を吸った。
リコーダーを吹こうとした僕。しかし、えずく。
「うっ」
口元に接した感触にとっさにリコーダーを離した。
ばっ、と見たリコーダー。
そこにはあの、特徴的な触角、黒光りの体、ゴから始まる虫が吹き口から覗く。
「キャアァァァ!」
叫んだのは隣にいた女子。
叫びたいのはこちらなのに。
僕は驚きと気持ち悪さで、逃げるように音楽室を駆けだした。
季節は夏。校舎の外から蝉の声が侵入する廊下。むわっとした空気の中、リコーダーを放り投げた。吹き口から、カサカサカサとゴから始まる虫は逃げ、どこかへと消えた。
気持ち悪さに吐き出したくなる口を押える。荒い呼吸。吹き出た汗。それらを僕は必死に飲み込む。
こんなもので、倒れるな。
こんなもの、序の口だ。
「中田ぁ~授業中に立ち歩くなよ~」
湿度の高い、声。
追いかけてきたクラスメイトの男子らに肩を叩かれた。
主犯は彼らだと知っている。彼らが仕込んだことはわかっている。
でも僕はなにも言わない。今は反論せず耐える。
男子らの背後で、きゅっ、と廊下のタイルを踏む音がする。
「中田くん、大丈夫?」
僕を心配する、風が通るような声。
大きな黒目に、小ぶりで形のいい唇。きめの細かい肌に映える、艶のある髪を耳にかける。
いつ見ても誰が見ても学校で一番かわいい人。
学園のアイドル、花宮さん。
彼女はみんなに愛されている。僕も花宮さんが大好きだ。
「だい」
「花宮さん、気にしなくていいよ。こいつは、気分が悪くって早退だから」
僕の返答を遮り、男子たちは花宮さんを連れ音楽室に戻る。
廊下には僕だけがぽつん、と残された。
それが悔しくてしかたがなくて。
なにも言い返せない自分が、それを花宮さんにみられたことが、悔しくて仕方がなくて。
僕は熱い目元を隠しながら学校を出た。
校門を飛び出し、息が切れるまで走った。汗が目に入り、肺が痛くなった。
しばらく、なんて時間もかからず僕は走る体力もなくなる。とぼとぼと、夏の日差しで背を焼く。
制服のそでぐちでごしごしと口元を拭いた。唇の皮がむけそうで痛い。
いじめは二週間前から始まった。
理由はわかっている。
今日だけじゃない。物を盗んだり、かけ口を飛ばしたり。
そ知らぬふりでじわじわちくちく、クラスメイトは僕をいじめることに忙しい。
主犯ではない生徒たちは傍観者、見て見ぬふり。
受けてきたしうちを思い出し、無意識に爪を噛む。ガタガタになった親指に血がにじんだ。鉄の味に、僕は親指を離す。
教師たちは何もしてくれない。
けれど、花宮さんは心配してくれる。それだけで十分、学校に通う価値はある。
だから僕はまだ学校で、頑張ることができる。
でも、今日は少し疲れた。虫は慣れているが。
時刻は午後2時。まだ日は高い。熱された空気で息もしづらくなる。
家にも帰る気になれず、ふらふらとゆくあてもない。
じりじりと夏の光線に脳天を焼かれながら、足は自然と人気のない公園へと伸びていた。
太陽からの灼熱を砂利の混じった白い地面が照り返す。
その熱に、頭がおかしくなったのでは、と思った。
「のこのこと早退し公園へ立ち寄る、予想通りだな」
耳元で発せられたように、いやにはっきりした声だった。
幻聴か。
しかしあまりにも明瞭なそれに、僕は目線を上げる。
「おずおずと頭を上げるのも、想定内」
見上げた先。陽光を遮る木々、緑の影に混じる目と、合った。
こんな暑い日に学ラン、男物の制服。けれど、細い手足は女性のそれだ。性別を探る必要もない。涼し気な顔の形は、女だと信頼づける。
その姿に夏の暑さは感じられない。
ミンミンジワジワと蝉の声が降り注ぐ公園。僕はたらりたらりと伝う汗をぬぐう。
まるで彼女だけが、別の空間にいるように冷たい空気を纏っていた。
僕の視線に、彼女は笑んだ。
「やあ」
僕は彼女を知っている。
特別な意味でも、いい意味でもない。学校では有名だからだ。
「君のことを観察しにきたよ。花宮美由の変態。中田風太くん」
学園で一番の変人。
その、好奇心を孕んだ目が、僕を観察していた。
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