第4話 日本人、異世界でフグを食す

 鮮之助の熟練の手つきによって部位ごとに切り分けられた角フグの乗った皿が、何枚も並んでいる。


 特に目立つのは、菊の花びらのように綺麗に盛り付けられた刺身。透明感のある美しい白色を放っていた。


「い、いつの間に角フグが美味しそうに……」


 シェルメールが目を丸くする。


 丸まると太ったフグが、いつの間にか解体されていた。


「これ、食べて大丈夫なの?」

「ダメだ。毒があるかもしれん」

「それさっき私が言ったやつじゃん」


 シェルメールが真顔に戻る。

 至極真っ当なツッコミである。


 フグの毒は主に内臓や皮にある。

 だが、異世界のフグがどこに毒を持っているかわからない。身体全体が毒という可能性だってあるのだ。


「ちょうど、便利なものがあるのでな」


 鮮之助は手首にある時計を操作し、角フグの内臓が載った皿を近づけた。

 瞬間、警告音が鳴り響く。


『致死量の毒を検知しました』

「ふむ、内臓はダメだな。無毒化も試みたいところだが、あれには時間がかかる……」


 フグの卵巣を糠漬けで無毒化して食べる文化も日本にはあるのだが、数年かかるので諦める。

 毒の部位を取り除くだけでは飽き足らず、なお食べようとするのがクールジャパンだ。


 鮮之助も名残惜しそうに、内臓を廃棄用のビニール袋にいれる。


「次……皮もダメか」

「それ、遺物アーティファクト?」

「なんだか知らないが、毒を調べられる」


 正確性は不明だが、鮮之助を異世界に連れてきた人物からの贈り物だ。ある程度信頼してもいいと判断した。追加された機能から察するに、要は異世界で最低限生きるための道具だろうから。

 他に検証のしようがないという理由もある。


 なら食べなければいいのだが、そこは鮮之助である。目の前に新たな食材があるというのに、諦める選択肢はない。


 部位ごとに時計をかざしていき、毒を選別する。


 そして、残ったのは刺身と角だけだった。


「予想より毒が多かったが、身は行けそうだな!」

「ほ、本当に大丈夫なの……? しかも生だし」

「ふっ、死んだらその時だ。食って死ねるなら本望。無論、死ぬとわかっていて食べることはしないがな」


 鮮之助はバックパックを開き、小さな容器を取り出した。遠出用に小分けにした調味料の一つ……。


「フグにはこれは欠かせない。――ポン酢だ」


 鮮之助は刺身にそれをかけると、箸を取った。

 そして、ためらうことなく口に運ぶ。


「いただきます。……うっ、これは……!」


 舌に乗せた瞬間、心臓が高鳴った。

 鮮之助は目を見開き、胸を抑える。


「ちょっと! やっぱ毒だったんじゃ……」

「美味いッッ」

「あっ、そっちか」


 すぐさま、二枚目を口に運ぶ。


 ぷりぷりとした触感と、一気に広がる旨味。呑み込んでもなお口に残る繊細な味わいが、彼の脳をドーパミンで満たす。


 脳裏に浮かぶのは、海の光景……。

 小さいながらも毒と角を武器に、凶悪な魔物が蔓延る海を生き抜く、力強い姿だ。


「お前も食ってみろ」

「毒があるはずなのに……そんなに美味しそうに食べられたら……」


 鮮之助が箸を手渡すと、シェルメールは少しだけ躊躇う素振りを見せた。

 だが、それも一瞬だけ。


 彼女はおそるおそるフグを持ち上げると、ぎゅっと目を閉じて一気に口に入れた。


「美味しい……っ」


 ぱっと目を開いて、恍惚とした表情を浮かべた。


「これが毒の味……」

「毒の味ではないぞ」

「今まで食べた魚の中で一番美味しいかも」


 疑っていたシェルメールも、すっかり刺身に夢中だ。

 二枚、三枚と次々と食べていく。


「ねえねえ、そっちの角は食べられないの? 毒ないんでしょ?」


 さっきまでの慎重さはどこへやら。

 すっかり角フグを食べ物と認定したシェルメールは、角にまで注目し始めた。


「って、嘘……。私、なんで角まで食べようとしてるの……」

「角か……。言ってしまえば骨だから、食べられなくはないだろう。ダシを取るという手もあるが……」


 考えながら、試しに角を舐めてみた。


「ほう……!」

「今度はどうしたの?」

「まあ見ていろ。……しかし、そうか。常識に囚われてはダメだな……」


 ぶつぶつ言いながら鮮之助が取り出したのは、おろし金だ。

 角の先端をおろし金に当て、刺身の上ですりおろす。


 粉末状になった角が、キラキラと舞って金箔のように刺身を彩った。


「ちょうど、薬味が欲しいと思っていたところだ」


 にやにやとしながら、鮮之助が角の粉末がかかった刺身を食べた。

 滑らかな身の甘みを、ぴりっとしたスパイスのような辛みが引き締めていた。


「単体で薬味まで備えているとは、角フグ、なんという素晴らしい食材!」

「私も食べたい!」


 空腹も相まって、二人は取り合うように刺身を食していく。


 天敵から身を守るために毒と角を獲得した角フグ……。

 彼らが不運だったのは、鮮之助に見つかってしまったことだ。

 鮮之助の前では毒があろうと美味しく食べられてしまう……。


「美味かった」

「美味しかったね~」


 身を完食した二人が、満足気に口元を拭った。


「遭難した時はどうなるかと思ったけど、とりあえずお腹は満たせてよかった。君のおかげだよ。名前を聞いてもいい?」

「鮮之助だ」

「センノスケ、ね。私のことはシェリーでいいよ。どうして、角フグの調理法なんて知ってたの?」

「日本人だからな」


 鮮之助は即答する。

 フグの処理方は、当然ながら彼が発見したものではない。先人たちの試行錯誤と犠牲……それらに対する敬意を、忘れてはいけないのだ。


「ニホンジン……よくわからないけど、すごいね。普通毒のある魚を食べようとは思わないよ」


 なお、シェルメールにはうまく伝わっていないようだった。


「よし……餓死の心配がなくなったところで、島を探索しようか」

「ほう。食材探しか?」

「ううん。それも大事だけど……私の目的はお宝」


 シェルメールが立ち上がり、悪戯っぽく笑う。


「私、トレジャーハンターなんだ。無数にある島々には、旧時代の遺物がたくさん残ってる。それを探すの。中には、一生遊んで暮らせるくらい高く売れるものもあるんだから」

「食えるのか?」

「食えません」

「じゃあ興味ないな……」


 鮮之助は相変わらずの態度だ。

 シェルメールは少しむっとして、鮮之助の手を引っ張る。


「いいから行くよ。どのみち、船の修理もしなくちゃいけないし。この島で一生を終えたくないでしょ?」

「それはそうだが」

「美味しいものもあるかもよ?」

「行こう」


 鮮之助がすっと立ち上がる。


「どうした、もたもたするな」

「案外扱いやすいかも……」


 異世界に舞い降りた日本人と、トレジャーハンターの少女シェルメール。

 二人は、海岸を離れ島の中に入っていった。

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