第6話 日本人、異世界で戦う

 蜂の魔物は、一匹だけだ。

 鮮之助とシェルメールを警戒するようにぶんぶんと飛び回る。


「あれは渡り蜂の一種。それも女王蜂だよ。魔力濃度の高い島を探して巣を作るの。遺物の周りには魔力が集まる……。だから、渡り蜂とか、魔物がいるところには遺物がある可能性が高いんだ」

「女王蜂がわざわざ出張ってくるということは、新鮮な幼虫がいそうだな! さあ、巣まで案内してくれ!」


 蜂の子は、日本の各地で食べられている珍味の一つである。


 渡り蜂のスタイリッシュで狩りに適した肉体はスズメバチに近い。それにあのサイズともなれば、蜂の子にも大いに期待できそうだった。


「なに言ってるの。戦わないよ」

「落ち着け。女王蜂を殺さずに幼虫だけ採取するのは難易度が高すぎる」

「なんで採取する前提なの……?」


 落ち着くべきなのは鮮之助である。


 危険度測定の数字を信じるなら、成人男性の十倍以上の危険度。

 それがどの程度なのか実感はしづらいが、サバイバル慣れしているとはいえ武力という点では一般人の鮮之助では、相手になるはずがない。


 いや、危険度という指標がなくたって、一目見ただけで逃走を選択するのが普通である。


 なにせ牙と針、どちらをとっても人間を殺すには充分なサイズなのだから。


「逃げながら遺物を探すんだよ。トレジャーハンターなんだから、戦う必要なし!」

「俺は食材ハンターだからな。用があるのは蜂の子だけだ」


 鮮之助は食材ハンターを名乗っていた。

 美味しいものを食べているだけでは、当然だが生活ができない。

 だから各国の料理人や食品メーカー、美食家の依頼を受け、珍味や希少食材など、望みの食材を探し出すのを生業としていたのだ。


 ついでに自分の食材も探せるから一石二鳥である。いや、ついでに仕事をしていたと言うべきかもしれない。


「どこまで通用するか……」


 鮮之助がそう呟きながら取り出したのは、殺虫スプレー。

 蜂も数秒で殺せる強力なタイプである。


 巣が近いと蜂の子にかかってしまい食味に影響するので使えないが、警戒して出てきてくれるなら好都合だ。


 鮮之助は噴射口を渡り蜂に向け、一気に噴きかける。……しかし。


「やっぱりダメか」

「それどころか、すっごい怒ってない?」


 人間の子どもほどに大きな蜂だ。地球にそんな生物はいないし、殺虫スプレーなどで息絶えるはずがなかった。

 少しは効果があったようだが、そのせいで完全に鮮之助たちを敵だとみなしたようだ。


 渡り蜂は警戒から、撃退に行動を移した。

 牙を大きく開きながら、高速で鮮之助に迫る。


「ああもう! なにやってるの」


 シェルメールが恨み節を言いながら、右手をかざした。

 先ほど魔法で水を出した時と似ている。淡い光が腕に模様を描いた。違うのは、光の色だ。


 赤い光が彼女の手のひらに集まったかと思うと、ぼう、と音を立てて空中に炎が立ち昇った。


「炎も出せるのか!」


 鮮之助が目に喜色を浮かべる。


 炎の魔法は人間大の柱となり、渡り蜂の行く手を阻んだ。

 渡り蜂は羽を小刻みに動かして、炎から逃げるように退避する。


「今のうちに逃げるよ」

「……仕方がない、ここは一旦引くか」


 鮮之助とて、自殺志願者ではない。傍から見ればそうとしか見えなくとも。


 二人で渡り蜂に背を向けて走り出す。


「私の魔法じゃ時間稼ぎが精いっぱい。ううん、それももう……」


 渡り蜂が炎を恐れて逃げていたのも、ほんの数秒だった。炎を迂回して、木々の間を抜け二人に接近する。


「……っ」


 鮮之助は咄嗟にバックパックを渡り蜂に投げつけた。タイミングもよく綺麗に命中したが、少し速度を鈍らせる程度の効果しかなかった。


 そのまま、身軽になったことを活かして地面を転がる。茂みに飛び込むようにして、渡り蜂の突進を回避した。


 死に目にあったことは一度や二度ではない。熊に襲われたこともある。彼は、生き抜く術と機転を人並み以上に持ちあわせていた。


「大丈夫!?」


 さすがトレジャーハンターというだけあって、シェルメールも危うげなく逃げ回っているようだった。

 鮮之助に駆け寄りながら、安否を確認する。


「問題ない」


 鮮之助は頭を軽く振って、立ち上がった。

 ふと、足元に視線が止まる。


「……なんだ、これは? 剣か?」


 草木が密集する茂みの中……飛び込みでもしなければ視線を向けることのない場所に、それは落ちていた。

 ぼろぼろの鞘に、ぼろぼろの柄。風化したような見た目の剣だった。

 自然溢れる島に不釣り合いな、人工物である。


 なぜか意識が吸い寄せられる。

 気づけば、鮮之助はその剣に手を伸ばしていた。


「触っちゃだめ!!」


 少し遠くで鮮之助を見ていたシェルメールが、慌てたように叫んだ。


 しかし、もう遅い。

 鮮之助の手には既に、剣の柄が握られていた。


「遺物の中には魔力が呪いに転じていたりして、危険なものもあるの。不用意に触ると……」


 彼女の言葉は、最後まで聞こえなかった。

 剣が突然、大きな声でしゃべりだしたからだ。


「人間を切り刻め! 人間の血肉を食わせろ! 代わりに願いを叶えるぞ! 妾と血塗られた道を行こうではないか!」


 ものすごく分かりやすく呪われていた。


「抵抗は無意味じゃぞ。妾の魔力に逆らうことなどできぬ。さあ、貴様の内にある醜い欲望をさらけ出すがよい」


 魔力。日本人である鮮之助が触れたことのない力に、彼は呆気なく飲み込まれた。

 目は虚ろになり、剣の言うがままに口を開いた。


「食いたい……好きなだけ貪りたい……」

「ほう! それならば、ともに人間の血肉を食らおうではないか! 生きた若い人間が最もよいぞ」

「――くだらん」

「なんじゃと?」


 呪われた剣が、困惑したような声を上げる。

 間違いなく、鮮之助は呪いにかかっている。だが、それを上回る彼の欲望が溢れ出してくる……。


「俺は人間だけは食べない。まずいからな」

「人間を殺すのが妾の生きる理由じゃ。そのために作られた!」

「まさか人間しか食ったことないのか? 不幸な奴だ」

「それは……」


 鮮之助の気迫に、剣の声に勢いがなくなってきた。


「俺に従え。本当に美味いものを食わせてやる」

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