第7話 日本人、異世界で呪われる
その剣は、遥か昔に、一人の鍛冶師によって作られた魔剣だった。
銘を『飢える者』といい、現代では古代級の遺物にあたる。
ただの魔剣ではない。人間を素材とした魔剣だ。
その製造過程は、悪辣を極めた。
まずは不特定多数の怒り、恐怖、絶望といった強烈な負の感情を集める。これには拷問が用いられた。
さらに、人間の肉体も素材として使われている。
捕らえた人間を、極限まで飢えさせる。なにか食べさせてくれと懇願するまで待ち……本当に耐えられないという頃に、肉を与える。
最初は人間の肉だとは気づかないように……。そしてそれを繰り返し、段々と指など人間だとわかる肉にすり替えていく。
その頃には……その者は、わかっていながら人間を食らい、次第に人間を食べることが当たり前になっていく。
飢えさせ、人肉を与える。ひたすら繰り返すと、やがて人肉しか受け付けない人間ができあがる。
その人間の肉体を用いることで、人間の血肉を求めるように作られる。人間の血肉を『食らう』性質はそこからだ。
最後に……善良で純潔な少女の魂を核とする。
村で一番美しく優しいと評された少女は、膨大な負の感情と飢えた肉体に取り込まれ……魔に堕ちた。
誰よりも純粋だった心は、満たされることのない飢えと、抑えきれない負の感情に支配される。
魂に汚れがないほうがいい。余計な先入観や拘りがないほうがいい。
……その方が染まりやすいから。
それで出来上がったのが『飢える者』。
触れた人間の渇望や恨みを増幅させ、人間を狩らせるのだ。
人間、誰しも怒りや恨みを持っている。ほんの些細な感情を膨れ上がらせ、人間を殺すことこそが望みを叶える方法なのだと暗示をかける。
そうして、人間の血肉を食らうのがこの魔剣だった。
だが、幸いにして『飢える者』が使われることはなかった。
その前に旧人類が滅びたからだ。
美しき少女の魂は剣の中に閉じ込められたまま……飢えと負の感情に蝕まれ続けた。
そして、とある島で眠ること幾星霜……。
時間の感覚も、自分が誰なのかさえ忘れたころ、人間が島に現れた。
ようやく剣を手にした人間は、欲望に忠実な男だった。
これなら、簡単に支配できる。そう思った。しかも「食いたい」という欲望。お誂え向きだった。
一気に魔力を流し込み、思考を誘導しようとする。
お前が食いたいのは人間だ。人間の血肉だ、と。
魔剣にとって、人間を食らうことだけがアイデンティティだったから。そう作られたから、それしか考えられない。
だが……。
「くだらん」
男には、まったく効かなかった。
魔力に対する耐性がなく、これほどまでに欲望が強いのに……否。
欲望が強すぎて、付け入る隙がまったくないのだ。
彼の心には、美味いものを食べたい。その感情しかないから。
増幅させるための負の感情なんて、微塵もなかった。
「まさか人間しか食ったことないのか? 不幸な奴だ」
「それは……」
この魂には、その記憶はない。だが素材となった肉体が、人間の味を覚えている。
美味しかったか? わからない。他の味なんて、知らない。
「俺に従え。本当に美味いものを食わせてやる」
でも、なぜだろう。
その誘いが、とても魅力的に感じた。
「本当に美味いもの、じゃと……?」
「そうだ。俺について来れば、いくらでも食わせてやる」
「じゃ、じゃが、妾は人間の肉を食べなければ……」
鮮之助の発言に、声の主は明らかに動揺していた。
喋る剣という理解不能な状況にも、鮮之助は冷静だ。
話の内容が許せな過ぎて、他のことは些事になっている。
「くだらないと言っている。そう作られた、と言ったな? いったい誰の言葉で喋っているんだ、お前は」
「妾は、妾は人間を食べないと……」
「それが本心ならいいだろう。他人の食の好みに口を出す奴は馬鹿だ。しかし……」
珍しく、鮮之助は怒っているようだった。
彼にとって、食とはなによりも崇高なものである。
己の赴くままに、好きなものを、美味しいものを食べる。それが、最大の幸福だと思っている。
だから、許せないのだ。
「食事において、そうでなければならない、ということは一つもない。くだらん制約で、選択肢を狭めるな」
今も魔力に襲われているというのに、鮮之助は尋常ならざる精神力で、身体を動かした。
剣を持ちあげ、柄と鞘を両手でしっかりと握る。
「もう一度言おう。俺が本当の食事を教えてやる。お前は今日から呪われた魔剣などではない」
茂みから抜け出して、開けた場所で仁王立ちする。少し離れたところで、渡り蜂を回避しながらシェルメールが心配そうに見ている。
渡り蜂が、顔を出した鮮之助に気が付いた。
ばちばちと羽音を立てて、再び彼に突進してくる。
「……本当に美味いんじゃろうな?」
「安心しろ。世界には、美味いものは無限にある。一生かけても食い尽くせないほどにな」
鮮之助は動かない。
あと一秒足らずで、渡り蜂は鋭い牙で鮮之助を切り刻むだろう。
「妾を騙していたら承知しないぞ」
それは、一時的に信じるという宣言だった。
負の魔力が、鮮之助の身体から消えていく。
代わりに、素材となった魂……純潔の少女の清らかな魔力が、剣を包み込んだ。
「ああ。俺を信じろ。『美食剣』」
渡り蜂の接近に合わせて、鮮之助が剣を鞘から引き抜いた。
ただ、それだけで……巨大な蜂は慣性のまま鮮之助を通りすぎながら、バラバラに切り刻まれた。
「わお、それ結構すごい遺物なんじゃない……?」
シェルメールが感嘆の声を上げる。
鮮之助は再び剣を鞘に納め、物言わぬ死骸となった渡り蜂をちらりと見る。
「さあ、巣を探そう! 蜂の子が俺を待っている!」
「蜂の子が待ってるのはお母さんだと思うな……。ていうか、本当に食べる気なの?」
シェルメールの正論は、当然ながら鮮之助には聞こえていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます