第10話 日本人、異世界で船に乗る

「あったあった。ここだよ、船」


 シェルメールに連れられ、海岸に戻ってきた。

 そこは、鮮之助とシェルメールが出会った場所からほど近い場所だった。ちょうど大きな岩の陰に、船は流されないようロープで固定されている。


 サイズとしては小型船舶程度で、想像よりは大きい。

 てっきり小さなボートだと思っていた鮮之助は、驚いたように目を見開いた。


「いい船だ」

「でしょ? 高かったんだから」

「ああ。船釣りには持ってこいだな」

「言うと思った」


 早くも鮮之助を理解し始めたシェルメールである。


 船に乗り込むと、体重で少し揺れた。

 近くで見ると、やや違和感を覚える。中央には船室があり、船釣りで見慣れた船舶に形だけは似ている。


 しかし、操縦席がないのだ。


 ならば帆船なのかとも思ったが、帆もない。


「どうやって動かすんだ……?」


 なぜか船舶免許を持っている鮮之助が疑問を口にした。もちろん、釣りや漁のために取得したものである。


「魔法だよ。魔導具だからね」

「魔導具……?」

「えっ、食べ物以外にも興味あったんだ」

「失礼な。食材を追い求めるためには、当然道具にも拘る」

「相変わらずでよかった……って、なにを安心してるんだろ私」


 この短い間に鮮之助に毒されていたことを自覚して、シェルメールは少し赤面する。

 こほん、と小さく咳払いをして、話し始めた。


「魔導具は現代の遺物とも言われてるんだけど、魔法回路が組み込まれた道具のことだよ。遺物との違いは、魔力自体は持っていないことかな。……ていうか、魔導具を知らないってどんな未開の地で育ったの?」


 鮮之助は心の中で、機械みたいなものかと納得する。

 機械は電力やガソリンなどの原動力を元に動く。この世界では、代わりに魔力を用いているだけの話だ。


 そう考えれば、特段驚くようなものでもない。


 魔力がどういった原理のエネルギーなのかはわからないが、シェルメールの魔法や餓舞の呪いから察するに、超常的な力を発揮することは間違いなさそうだ。


 とはいえ、なにかしらの法則性はあるはず。


 ……だが、そんなことは鮮之助の知ったことではなかった。

 そもそも、日本で暮らしていたって電気や精密機器の仕組みなんてさっぱりわからない。そういう意味では、科学も魔法も似たようなものだ。


「まあいいや。それでね、壊れたのは魔法回路……そのでも、魔力を増幅させて循環させる部分なんだ。逆に言えば、魔力さえ供給できるなら船は動く」


 すぐに興味を失ったような鮮之助に、シェルメールは惰性で説明を続ける。


「そこで、餓舞ちゃん」

「む? 妾か?」

「さっきも言ったけど、手伝ってほしいんだ」


 なお、一度は鮮之助の腰に収まった美食剣『餓舞』であるが、すぐにシェルメールの元に逃げた。

 曰く、蜂の子は美味しかったが、それはそれとして、鮮之助の元にいるのはなんとなく怖いとのことだ。さもありなん。


「私は魔力量が少なくてできなかったけど……餓舞ちゃんの膨大な魔力があれば、無理やり循環させて動かせると思うの」

「ほう……! シェルメールの頼みなら否やはない」

「ありがとう! さっそく試させてね」


 シェルメールは甲板に立ち、餓舞を鞘から抜いた。


「行くよ。餓舞ちゃんが魔力を流してくれたら、操作は私がするから」

「うむ」


 シェルメールが、甲板の中央に餓舞を突き刺した。

 突き立てられた剣を中心に、船に張り巡らされた魔法回路が光り出す。


 その模様は、シェルメールが魔法を使う時に腕に浮かび上がるそれとよく似ていた。


「よし……! 行けそう!」


 わずかな振動とともに、魔法回路がさらに大きく輝いた。

 固定していたロープをシェルメールが切ると、船はゆっくりと海を進み始める。


 まるでエンジンで推進力を得ているように、水しぶきを上げながらどんどん速度を上げていく。


 なお、鮮之助はなにもしていない。完全にお荷物である。

 背後で腕を組みながら物憂げな表情を浮かべているだけだ。次なる食材に思いを馳せているだけで、役立たずなことはなにも気にしていないのだが。


「成功! いやー、このまま遭難してたら、鮮之助にどんどん変なものを食べさせられるところだったよ。安定してきたし、とりあえずは大丈夫かな。餓舞ちゃん、ありがとう」


 ふう、とシェルメールが額の汗を拭う。


 餓舞を甲板から抜いて、鞘に納める。


「……お主、自分のものでもない魔力をここまで操作できるとは、驚きじゃ。それとも、現代の魔女には普通なのか?」

「ううん、私なんて魔導士の中じゃ落ちこぼれだよ。魔力も全然ないし、魔法も小規模なものしか使えない。細かい操作だけは無駄に得意だけど、ね。ほんと、私なんて……」


 賞賛する餓舞とは対照的に、シェルメールは浮かない表情だ。

 少し俯き、瞳を震わせる。


「あっ、ごめんごめん。変な空気にしちゃって」


 はっとしたように顔を上げて、自嘲気味に笑う。


「そんなことより、餓舞ちゃんマジですごくない? うへへ、売ったらいくらになるんだろ」

「ひいっ、シェリーだけが良心じゃと思っておったのに! 鮮之助~」


 シェルメールはトレジャーハンター。遺物を売って稼ぐのが仕事である。

 彼女の目がギラギラとしたのを見て、餓舞が鮮之助に助けを求める。


「……ん? 鮮之助、なにをしておるのじゃ?」

「なんだろ? 嫌な予感しかしない……」


 先ほどから静かだった鮮之助が、船室でもぞもぞとなにか作業をしていた。


 シェルメールは餓舞を持って船室に入り、鮮之助の背中越しに手元を覗きこむ。

 鮮之助の前にはバケツと、大きめのジップロック。


「なにやってるのー? ……って、それ!」


 ジップロックの中身を見たシェルメールが、半ば絶叫のような声を上げた。


「ああ、フグの卵巣を塩漬けしているところだ」

「一番毒があるところだよね!?」


 鮮之助が、またおかしな行動を取っていた。

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