第9話 日本人、異世界で呪いを解く
「は……!? 私はなにを……?」
「妾、満足……」
シェルメールと美食剣が正気を取り戻したのは、蜂の子を完食してしばらく経ってからだった。
放心したようにぐったりと座り込んでいたシェルメールは、口元を拭いながらゆっくり立ち上がった。
「どうだ、美味かっただろう」
「……うん、悔しいけど」
「なにを悔しがることがある。いいか、美味いものは美味い。それは他の全ての感情よりも優先される」
シェルメールが美味しく食べたことに、鮮之助も満足げだ。
だが、ちらちらと蜂の子の残骸を見ている。もっと食べたかった、と顔に書いてある。
「でも、普通食べようと思わないからね? 魔物だし、虫だし、取るの大変だし」
「もったいない……。先入観で美味いかもしれぬものを見逃すなんてありえん」
「まずいかもしれないじゃん」
「その時はその時だ。それに、調理法によっては美味い可能性もある」
鮮之助が挑戦してきたものの中に、美味しくなかったものはたくさんある。むしろ美味しいことのほうが少ないくらいだ。
それでも、彼は挑戦をやめない。
「妾、人間の血肉ではなく虫を食べてしまった……」
「どうだ、美味かっただろう」
「ああ。……この身に残る血肉の香りよりも、よほど」
ふっ、とボロボロの剣が微笑んだ気がした。
……喋ってはいても剣に表情なんてあるはずもないのだが、鮮之助もシェルメールもそう見えた。
鮮之助たちが美食剣を見ていると、突然……刃が眩い光を放った。
「なんだ……?」
鮮之助が疑問を口にする。
少し待つと、光がすっと収まった。
先ほどまでのぼろぼろの剣はどこかに消え……そこには、美しい一振りの刀があった。
見た目は日本刀のようで、柄から鞘に至るまで新品そのものだ。
「ふっ、美味いものを食ったおかげだな」
「その通りじゃ!」
剣が虫を食べて新品同然になる。意味不明である。
だが、鮮之助は当然のように受け入れていた。美食剣も自慢げである。
「絶対ちが……いや、違うとも言い切れないのかな……? 遺物は魔力が尽きない限り風化したりしないし、ぼろぼろだったのは多分なにも食べてないから?」
「人肉以外の美味いものを食べたことで、呪いが解けたのじゃろう……。食べたおかげで魔力が回復し、別の姿になれるようになった」
「よくわからないけど、理解できる遺物のほうが少ないしね……」
シェルメールは釈然としない顔をしているが、なんとか自分を納得させたようだった。
「人間の血肉を食べることだけが、妾の存在意義じゃと思っておった……。妾の肉体が、渦巻く感情が、そう叫んでおったのじゃ」
魔剣の素材となった大勢の人間たち。彼らの渇望が、長い間、核となった少女の魂を蝕み続けた。
だが、鮮之助の言葉で綻んだその呪いは、美味しいものを食べたことで完全に崩壊した。
さらに魔剣本来の能力として、美しい日本刀の姿へと変わった。元より、人間が素材となっており魔法的な力で剣になっていただけだ。姿形は自由に変えられる。
「美味かった。本当に。お主の言葉を信じて本当によかったぞ、鮮之助」
「まだまだ、これからだ。世界にはまだ多くの美食が待っているだろう。お前には、もっと美味いものを食わせてやる」
「そうか……! で、では、ついていってよいということか……?」
「当然だ。俺もこの世界には、知らない食材が数えきれないほどあるからな。ともに食い尽くそう」
「それは……なんとも、魅力的な誘いじゃ」
鮮之助が、美食剣を拾い上げる。
「美食剣……というのも呼びづらい。銘を……
「妾の本当の名など、とうに忘れてしもうた。がぶ……それが、妾の新しい名前、か」
美食剣……餓舞は、噛みしめるようその名を口にした。
がぶがぶ食べるという安直な発想であることは黙っておこうと、鮮之助は心の中で決意する。
「妾は美食剣『餓舞』。鮮之助よ、妾を連れていってくれ。飢えたまま孤独に耐えるのは……もう、嫌じゃ」
「ああ。来い。たらふく食わせてやる」
鮮之助はバックパックから紐を取り出し、器用に編んで餓舞を腰に佩いた。
「なんか幼虫食べただけなのにいい感じになってる……」
「心配するな。もちろんシェリーにも食わせる」
「い、いやー、私は普通の食べ物で大丈夫かな……? それよりも、高く売れそうなもの探して?」
「興味ないな」
日本でも、鮮之助は食材を探すことで金を稼いではいたが……あくまでついで。
メインは食べることである。
「まあいいや……。さて、遺物も見つけたことだし、そろそろ島を出たいよね」
「船が壊れているのではなかったか?」
「うん。正確には船自体は無事なんだけど、魔法回路が壊れて操作できなくなっちゃって。だから……」
シェルメールが鮮之助ではなく、餓舞に視線を向けた。
「手伝ってくれる? 餓舞ちゃん」
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