第11話 日本人、異世界で塩漬けする

 フグの卵巣の糠漬けという、トップクラスに理解不能な食べ物がある。


 フグは日本で人気な食材だが、有毒部位を取り除いて食べるのとは訳が違う。


 卵巣は猛毒そのもの・・・・・・

 テトロドトキシンが最も多く含まれる部位だ。生食はおろか、加熱などの処理を施しても無毒化することはない。

 食べれば手足がしびれ、さらには現代日本の医療技術を持ってしても治療法が存在しないほど、危険な毒である。


 そんな卵巣をわざわざ食べる料理が、日本の石川県に存在する。


「卵巣を塩で一年、糠で二年ほど漬け込むとなぜか毒が消えるんだ。ククク、三年後が楽しみだな」


 鮮之助は何度か、卵巣の糠漬けを食べたことがあった。

 市販されており、その気になれば普通に入手できる食べ物である。


 実際に作ったことはないが、ある程度の工程は知っている。ものは試しにと、せっかくなので漬けることにしたのだ。


「え、待って。なんで毒を食べるの……? しかもわざわざ三年もかけて?」

「愚問だな。美味いからに決まっている」

「ええ……その三年で、もっと他にやることあるでしょ……。他にも美味しいもの、ぜったいあるよ?」


 至極尤もな意見である。


「ていうか、本当に毒消えるの? そんな話、聞いたことないんだけど」

「ああ。……といっても、原理は不明だがな」

「大丈夫なの!?」


 塩と糠で卵巣のテトロドトキシンが消える。その理由は明らかになっていない。

 鮮之助が知らないだけではない。現代科学をもってしても、説明がつかないのだ。


 なんでかは知らないけど、昔から食べてたから安全、という理論で食べられている料理である。


「それは三年後のお楽しみだな。幸い、俺には【毒物判定】がある。時計をかざせば、少なくとも食べられるかどうかの判断はできる」

「あ、そっか。その遺物……それなら安全か」


 鮮之助だって、自殺願望があるわけではない。

 日本でやらなかったのも、シンプルに危険すぎるからだ。普通に購入できるから作るまでもない、という理由もある。


 だが、幸い今は謎の力で毒物を判別できる。

 さらに、異世界のフグの卵巣は、自分で作らなければ食べられないだろう。

 三年の月日を掛けるには、十分な理由だ。


「ん? うっかり納得しそうになったけど、結局、毒を食べるのは意味わからないよね?」

「きっと呪いの儀式じゃ……。毒を凝縮して呪いに転ずるつもりに違いない!」

「餓舞ちゃん、それだ!」


 シェルメールと餓舞が騒いでいる間にも、鮮之助は黙々と手を動かしている。


「シェリー、水が足りない。また出してくれるか?」

「あ、うん。いいよ」

「それと、可能なら温度を少し下げれるか?」


 鮮之助にとっても、手探りな作業だ。

 なにが正解なのかわからない。


 とりあえず、腐るような温度ではダメだろうと、シェルメールに温度調整を頼む。


「わかった。……このくらい? もっと微調整もできるけど」


 彼女が手をかざすと、魔力回路が脈動し、卵巣の入ったジップロックの温度だけがぐんと下がった。


「十分だ。さすが、一家に一台シェルメールさんだな」

「あんま嬉しくない褒め方だね……」

「そんなことはない。水も出せる、火も起こせる、温度の微調整もできる。素晴らしい助手だ」


 家電扱いから助手へランクアップである。


「よし、ひとまずはこんなところか。……では、もう十匹ほど釣ろうか」

「まだ必要なの!?」

「当たり前だ! 今作ったものだけで成功するとは限らない。色んなパターンを試さなければ」


 なにせ、三年がかりの実験である。

 サンプルは多いほうがいい。


 めんどくさそうな顔をしているシェルメールに、鮮之助は続けて言う。


「フグの刺身をもっと食べたくないのか? また、今度は鍋にするという選択肢もある」

「それは食べたい」




 その後、釣ったり食べたリ漬けたりすること、半日ほど。


 船の上には、満足気なシェルメールと餓舞。

 そして、両手で樽を抱えてほくほく顔の鮮之助がいた。


「ああ、俺の可愛い卵巣様……しっかり育つんだぞ。三年間、大事に面倒見るからな」


 樽に頬ずりする男の画である。

 なお、中身は塩漬けにされた猛毒の卵巣だ。


「餓舞ちゃん餓舞ちゃん、私、次の島に着いたら逃げようと思う」

「う、うむ……。フグの刺身とやらは大変美味じゃったが、鮮之助といるのは色んな意味で危険そうじゃ……。妾も連れていっておくれ」


 やばい人を見る目で、シェルメールと餓舞が遠巻きに見ている。

 正しい選択だ。


「そろそろ島があればいいけど……。それも遺物があるような」


 釣りがひと段落したので、船はぐんぐん進んでいく。


 船首に立ち、シェルメールが海を見まわす。

 その表情には、少し焦りが見える。


「早く、稼がないといけないのに……じゃないと」


 彼女がなにかを言いかけた、その時だった。


 ガタン、と大きく船が揺れた。

 波ではない。まるでなにかにぶつかったような……。


「嘘……さいあく」


 船首にいたシェルメールが、いち早くそれ・・に気が付いた。


 遅れて、樽に夢中だった鮮之助も顔を上げる。


 その視線の先には……海面から船に向かって伸びた、巨大なタコの足があった。


「クラーケン……」

「なに!? 俺の卵巣様は渡さんぞ!」


 船が、再び大きく揺れ、傾いた。


『危険度測定……危険度:938』

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