第3話 日本人、異世界でフグを捌く
フグ。それは日本人が大好きな魚だ。
桶の中の魚は、フグにそっくりだった。
羊のような巻き角が二本生えていること以外は、ふてぶてしい顔つきもフグそのものである。
鮮之助は涎を垂らしながら言った。
「食べよう」
「猛毒だって言ってるでしょ!?」
シェルメールの悲鳴にも似た声は、鮮之助の耳には届かない。
彼の意識はすでに、フグをどう食べるかに向いていた。
「異世界のフグか……どんな味なのか気になるな……」
じゅるり、と唾をすする。
「嘘……遭難のショックでおかしくなっちゃった……? ダメだよ、自殺なんて。頑張れば脱出できるから!」
シェルメールが鮮之助の肩をゆする。
だが、鮮之助は止まらない。
うわ言のようにブツブツと呟きながら、シェルメールの足元にある桶に近づく。
「刺身……鍋……唐揚げ……」
一応擁護しておくと、鮮之助は朝から何も食べていない。
すでに昼を回っているのに朝食もまだとは、彼にとってありえないことだ。
手紙の内容に舞い上がって準備もそこそこに飛び出したせいである。
そこに現れた異世界の食材……鮮之助が正気を失うのも無理はなかった。
なお、はたから見れば正気なことのほうが少ないのだが。
「いい? この角フグは別名海の呪いって言われてて、食べたら一昼夜のたうち回ったあとに死ぬ、とっても危険な魚なの。いくら遭難中でも絶対に食べちゃダメ!」
明らかに正気を失っている男の前で、シェルメールは必死だ。
心なしか、桶の中のフグも怯えて震えている。
「ああもう、こんなことなら残しておかなきゃよかった。猛獣に襲われた時に使えると思っただけなのに……私のせいで……」
さらには、涙を流し始めた。
だが、鮮之助は止まらない。
シェルメールの静止を無視して、角フグに手を伸ばした。
ピピピピピピ。
その時、鮮之助がつける時計……異世界時計がけたたましい警告音を鳴らした。
『アプリ【毒物判定】が致死量の毒を検知しました』
その大音量に、さすがの鮮之助も手を止める。
「ふむ……便利な時計だな」
「よかったぁ」
鮮之助が時計を操作し、アラートを止める。
シェルメールはほっと胸を撫で下ろした。
──だが。
「よし、では食べよう」
「なんで!?」
再び、鮮之助が角フグに手を伸ばした。
「毒だよ? 毒ってわかる?」
「愚問だな」
アラートで辛うじて意識を取り戻した鮮之助が、シェルメールをちらりと見た。
「毒があることは食べない理由にはならない。違うか?」
「違うよ?」
さも当然のように言う鮮之助。
「まあ見ていろ。フグなら何度も捌いたことがある」
なお、無免許である。
個人消費の範疇なら免許不要とはいえ、普通はやらない。
普通じゃないからやるのだが。
鮮之助はバックパックを開き、包丁を取り出した。ゴム手袋とエプロンを付ける。
食材を求めて世界中を飛び回る鮮之助は、いつでも料理ができるよう、調理器具や調味料などをバックパックに入れている。
容量がそれほどあるわけではないので、包丁は一本だけ。
刃渡21cmの、万能包丁だ。
専用の出刃包丁などではないが、これしかないのだから仕方がない。
折りたたみのまな板にフグを乗せ、包丁を煌めかせる。
その瞬間……空気が変わった。
「食材に生まれ変われ」
雰囲気に押されて、シェルメールがごくりと喉を鳴らす。
まず頭と胴体の間に刃を刺し入れ、骨を断ち切り素早く締める。
直前まで暴れていたフグが、ぐったりと息絶えた。
なぜか角が生えているが、締め方は通常の魚と変わらないらしい。
桶の水に戻し、血抜きをする。
残りの二匹も同様に締めていく。
「……水がほしいな」
桶の中は血で真っ赤に染まっている。
フグを捌くのに、綺麗な水は必須だ。
バックパックの中にも水は入っているが、せいぜい2リットル。飲料用も考えれば無駄遣いはできない。
「水? 出そうか?」
「あるのか?」
「あるというか、水魔法をちょっと使えるから。容器とかある?」
鮮之助が折りたたみのバケツを差し出すと、シェルメールが手をかざした。
彼女の腕を、青い光が血管のように走った。それは幾何学的な模様を描き、どくどくと脈打つ。
次の瞬間、なんと手のひらから水が溢れ出した。
「……すごいな」
今度は鮮之助が驚く番だった。
わずか数秒で、バケツの中が透き通った水で満たされていたのである。
「どのくらい出せるんだ?」
「えっと、今くらいの量だったら十回くらいかな?」
容量は3リットルだから、合計30リットル。
それがどこでも出せるというなら、とんでもない力である。
魔法。改めて、異世界であることを実感する。
「素晴らしい。一家に一台シェルメールだな」
「私の魔法なんて大したことないよ……」
「よし、そのまま出し続けてくれ」
いったいどういう原理なのかとか、どんな水なのかは後回し。今は、フグを捌く方が優先である。
水の心配がなくなれば、あとはいつも通り処理するだけだ。
見たところ、体内の構造も既知の範囲だ。ヒレと角を落とし、皮を剥いでいく。
早業だった。よどみない手つきで包丁を走らせる。
どんどん速度が上がっていく。常人には、なにが起きているのかすら、わからないほどに。
シェルメールは瞬きをするのも忘れ、しばらく見つめていた。
……そして。
「完成だ」
いつの間にかビーチにはレジャーシートが敷かれ、その上に皿が並んでいた。
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