日本人、異世界でもなんでも食べる

緒二葉@書籍4シリーズ

第1話 プロローグ

 その日、島のヌシ『不眠熊』は生まれて初めての恐怖に直面していた。


 味わったことのない『被捕食者』という立場。


「待て、俺のご飯」


 逃げる、逃げる、逃げる。

 巨体に似合わぬスピードで、木々を薙ぎ倒しながらひたすら逃げる。

 大量の汗が噴き出る顔はまさしく必死の形相だ。


 二百年を生きたヌシという誇りを捨て、ただ逃げ続ける。


 不眠熊の頭を支配しているのは、死の恐怖だ。

 このままじゃ食われるという、多くの生物が持つ本能……。しかし今まで、不眠熊には無縁のものだった。


「熊肉……熊肉……」


 それ・・は、不眠熊の半分にも満たない体躯だというのに、うっすらと笑みを浮かべながら追ってくる。


 人間。に見えるなにか別のものに思えた。


「やはり定番の鍋か? 焼肉や煮込み料理も捨てがたい」


 今まで、不眠熊は絶対的な捕食者だった。

 島の食物連鎖において頂点に立ち、脅威となる生物は存在しない。


 不眠熊にとって他者とは、全て捕食の対象だった。


 だが、奴はどうだ?

 まともに戦えば不眠熊が勝つだろう。しかし、こちらを食べることしか考えていないような表情に、言い知れぬ不気味さを感じる。


 不眠熊を見れば草木すら根っこを引き抜いて逃げ出すというのに。

 逆に追われるなんて、ありえないことだった。


「できれば熟成させたいところだ」


 あまつさえ、美味そうに涎を垂らしてみせる始末。


 なんなんだ、あいつは。不眠熊は疑問で頭がいっぱいになる。


 たまに島にやってくる人間だって、不眠熊の前ではただの小動物だ。


 なのに……。


「やっと追いついた」


 死神の足音が、すぐ後ろで聞こえた。


「食材に生まれ変われ、熊よ」





 ──彼はニホンジン。


 曰く、異常なまでの食への執着と、美味しければどんなものでも食べる狂った生態を持つ。

 曰く、毒があろうと関係ない。

 曰く、あらゆる生物は、ニホンジンの前では等しく食料である。

 曰く、ニホンジンから逃れるためには、不味くなるしかない。少しでも美味しい部位があれば、抵抗は無意味である。


 近い将来、魔物の間では恐怖の象徴として、人間にはやばい奴として語り継がれることになる、異界の怪物である。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る