第13話 日本人、異世界で漂着する

「おーい、大丈夫かー? 起きろー」


 鮮之助は、若い男性の声で意識が戻った。


「はっ、卵巣様は!?」


 開口一番、そう言いながら辺りを見渡した。


 すぐ横に樽が転がっていることを確認して、ほっと胸を撫でおろした。


「よかった……。卵巣様、俺を守ってくださったのですね……」


 鮮之助は愛する女性を抱きしめるように、樽に両手を回した。

 愛おしそうに頬を擦りつける。


「妾のことも心配してほしい……」


 鮮之助の腰にある餓舞が、寂し気な声を上げた。ずっと一人だったから寂しがりやなのである。


 樽同様、餓舞も無事だったようだ。


「な、なあ。あいつ知り合いなのか?」

「ううん、全然知らない人だよ。本当に、まったく無関係」


 先ほどの男性とシェルメールが、なにやら会話している。


 その声にやや落ち着きを取り戻した鮮之助は、改めて周囲を見渡した。


 最初に異世界で降り立ったのと同じような海岸だ。

 違うのは、建物や灯台などの人工物が見えるところだ。

 海岸にも、整備された形跡が見える。船の乗り降りのための桟橋があるが、船は見られない。


「どうやら助かったようだな、シェリー。……また会えてよかった」

「えっ、なにその言い方。もしかして離れたくなかった?」

「ああ。水も炎も出せる非常に有用な人材だ。末永く行動をともにしたい」

「わぁ、こんなに嬉しくない口説き文句初めて」


 海に飛び込んだ二人は、幸いにもどこかの島に漂着したらしい。


 調味料が効果的だったのか、クラーケンの目的はあくまで船だったのか……無事だった理由は定かではないが、二人とも大きなケガはない。


 服はびしょぬれだが、気温が高いので寒くはない。すぐに乾くだろう。

 鮮之助の時計も、『破損することはない』という言葉通り、問題なく動作するようだった。


「船は残念だけど……とりあえず、生きててよかった、かな」

「海に沈むのは嫌じゃ……」


 古代級の遺物であり剣の餓舞は、海に沈んでも死ぬことはない。

 だからこそ、また誰かに見つけてもらうまで、一人で長い時を過ごすことになる。

 それは、彼女にとってなによりも怖いことだった。


「あー、お喜びのところ悪いけど、この島に来たことはなにも幸福じゃないよ」


 無事を喜ぶ二人に声をかけたのは、先ほどからやり取りを見ていた少年だ。


 年はかなり若い。鮮之助の見立てでは、十二歳ほどか。

 ぼろぼろの麻服を着ていて、日に焼けている。


「あっ、この子はミル君。漂流した私たちを助けてくれたんだよ」


 鮮之助よりも先に目覚めていたシェルメールが、そっと補足する。


「そうだったのか、ありがとう。ところで、幸福じゃないっていうのは?」

「この島は入ったら最後、二度と出られないんだ。そこの姉ちゃんに聞いたけど、お前らも襲われただろ? ――クラーケンだよ」


 ミルが声を潜めて、鮮之助に言う。


「あのおぞましい魔物たちがここに住みだして以来、船は全て沈められるようになっちゃったんだ。そのせいで食糧も物資も足りない」


 さしもの鮮之助も絶句する。


 島から船を出せなければ漁ができないし、外から人が来ることもない。貿易ができなければ、島の中にあるものだけで生活をしなければならないということだ。


 村の規模がどの程度かは不明だが、厳しい生活になることは容易に想像できた。


「えっと、クラーケンを討伐するとか、は……?」


 シェルメールが控えめに尋ねる。

 鮮之助たちが襲われたクラーケンは、少く見積もっても全長十メートルはあった。簡単に討伐できるとは思えない。


 案の定、ミルは首を横に振った。


「無理だよ。最初は漁師たちが総出で狩りに行ったけど、みんな返り討ちだ。特に一番デカい奴……ヌシには誰も勝てなかった。俺の父ちゃんも……ッ」


 ミルは拳を握りしめて、涙を堪えるように顔を顰めた。


「それとも、あんたらが倒してくれるのか?」


 そして、縋るように鮮之助たちを見る。

 無理だとわかっていても、わずかな希望を求めてしまうのだ。


 鮮之助は、目を逸らさずにミルの目を見つめる。

 父を失い、クラーケンによって島に閉じ込められている。そんな絶望的な状況にある少年に、かける言葉が思いつかなかった。


 鮮之助は食材が絡むと正気を失う性格ではあるが、人の気持ちがわからないわけではない。

 だが、彼に今できることは逃げずに、ミルを直視することだけだった。それしか、できない。


 戦闘の心得などない鮮之助には、餓舞を使ったとしてもクラーケンを倒すことは不可能だ。それは、シェルメールにも同じこと。

 命からがら逃げたばかりの二人には、クラーケンの恐ろしさは身に沁みていた。


「……ごめん、あんたらに当たってもしょうがないよな」

「ううん、私たちも、力になれなくてごめんね」

「とりあえず、じいちゃん……村長のところに案内するよ。お客さんなんて滅多にこないから、大歓迎だよ。……このまま、ここで暮らすしかないかもだけどね」


 歳に似合わぬ大人びた雰囲気で、ミルはそう言った。

 まるで無理に感情を押し込めているかのようで、鮮之助は胸が痛くなった。


 優しい言葉をかけるのは簡単だ。

 だが、そんな資格はない。


「ああ、頼む」


 それだけ言って、ミルの案内についていった。

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