第5話 隣り

「隣り座ってもええかな?」


 後ろにいたのは、高校の時の面影をそのまま残した平原奈央だった。


 オレは一瞬彼女の顔に見惚れた後、我に返って視線を逸らしてから小さい声で返事をした。平原はたしか両親が大阪の人で、京都よりも大阪弁に近い話し方をしていたのを思い出す。その少し訛った話し方や声までも当時のままだった。


「ありがとう。べーちゃんに会うのは10年ぶりくらいやねぇ?」


 「べーちゃん」……、高校の時、彼女と付き合っていた頃はそう呼ばれていた。あの時は他のクラスメイトもそう呼んでいたのでなんとも思わなかったが、今の歳でその呼び名はなかなか恥ずかしい。


「さすがにもう『べーちゃん』はやめてくれよ? 恥ずかしくなってくる」


 オレは隣りに座った彼女をチラリと横目で見てからそう言った。ほんのりと甘い香りが鼻を掠めた。この香りはなにか知っているような気がする。



 肩の辺りまで伸びた髪はほんの少しだけ茶色が混ざってウェーブもかかっていた。付き合っていた頃は黒髪のボブカットだったので、そこが変わっただけでも大人びた雰囲気に見える。

 当然、大人の女性らしく化粧もしていて、眉毛の形が不自然なほどに整っている。ただ、彼女の顔立ちは本当に高校生の時の姿のままのように見えた。


「今んなって『坂部さかべくん』とか『由伸よしのぶくん』って呼ぶのん? そっちの方がよっぽど恥ずかしいわ。高校んときのまんま……、べーちゃんでええやろ?」



「えーっ! 本日はお忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます!」



 オレが口を開いたところで、委員長が司会の挨拶を始めた。彼は今日出席できなかった担任の教師のモノマネをいくつか披露してみんなを笑わせた後、最後に大きな声で「乾杯っ!」と言って挨拶を締め括った。


 座敷の中をみんな動き回って旧友とグラスを合わせた。男子のほとんどは生ビール、女子はビールよりもカシス系のカクテルが多いようだ。オレも適当に動いて何人かとグラスを合わせた後に元の席に戻ってくると、遅れてカシスオレンジを手にした平原がグラスを向けてきた。


「前の同窓会はべーちゃんおらんかったから、一緒に飲むのははじめてやね?」


 彼女とも軽くグラスを合わせてオレはジョッキの生ビールを半分くらい一気に飲んだ。外が暑かったこともあり、ビールはまるで乾いた体を潤していくように染み渡った。

 今の歳になってもお酒の味はあまりわかっていないのだが、暑い日の最初の一口のビールだけは格別のおいしさだと思う。


 平原のグラスを見ると、1,2cmほど減っただけのように見えた。


「えっと……、あんまりお酒は飲まないのか?」


 咄嗟に名前で呼ぼうとして、それを躊躇ってしまった。彼女はなんの躊躇いもなくオレを以前のあだ名で呼んでいるというのに……だ。


「仕事の付き合いもあるからちょっとは飲むんやけど、あんまり強くはないんよ? べーちゃんは飲む方なん?」


 彼女は軽く首を傾げてから目の中を覗き込むようにこちらを見てくる。そういえば、付き合っている時もこちらが戸惑うほど目をしっかりと見てくる子だった。オレは弱くないけど、味はわからないと伝えた。


「ビールって大人んなったらおいしなると思ってたけど、苦いだけやんね? 昔とひとつも変わらへんわ。全然おいしない」


 その通りだと言ってオレはお通しのほうれん草のおひたしを口に運んだ。平原は遠慮なくオレに話しかけてくる。その口調は本当に当時のままで、彼女と過ごした高校時代の記憶が呼び起こされていくようだった。


 たしかに高校生の時、オレたちは喧嘩して別れたわけではない。それでも、オレの方は彼女と話すのにどこか抵抗があった。

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