第6話 狩人と獲物は容易に逆転し得る(後)
この洞窟に捕らわれてから、もう何日経ったのだろうか――とフラン・ビステ・ザッハトルテは陰鬱なため息をついた。
幾日も経ったような気もするし、まだ一日だけのような気もするが、
(いったい、あの恐ろしき者はワタクシをどうするつもりなのでしょうか……)
いずれにせよ、母のいるあの暖かな屋敷に帰ることも、愛しい男の下へ赴くことも、フランには叶わない。あまりの悲しみに胸が張り裂けそうになっていた。
思わずため息も出るというものだろう。
「……お嬢様、悲劇のお姫様ぶるのも結構ですが、残念ながら我々を捕らえているのは物語に出てくる魔王ではなく、ただの盗賊です。身代金を渡せば普通に解放されます。それから、捕らわれてからまだ一日も経っておりません。具体的に言うと四半日ほどかと」
「……もう! もう少し浸らせていただいてもよろしいではありませんの、メルディ!」
ただし、どちらもフランの気のせいでなければ。
あえて空気の読めない発言をしたのは、フランの専任メイドであるメルディだ。
物心つく前から一緒にいることもあって、もはや本当の姉妹かの如く気の置けない関係になっていたが、その一方で、最近はこうして小言も言うようになってしまったことだけが、フランにとっては不満だった。
なお、確かにメルディの言う通り、フラン達をこの洞窟に捕らえているのはただの盗賊である。
いや、正確に言えば、一口に盗賊と言っても、フランのような貴族にとっては二種類の盗賊がいる。
話が通じるか、通じないか。
話が通じる盗賊というのは、貴族を襲ってもむやみに傷つけたりはせず、身代金としていくばくかの金銭を支払えば、すぐに解放する盗賊のこと。千歩くらい譲って良い言い方をすれば、ある意味ビジネスのような関係を持てる者達だ。
逆に話が通じない盗賊というのは、貴族を襲えばとにかく殺し、身に着けている物を全てはぎ取り、女であれば犯してなぶる、短絡的で欲望に忠実な盗賊のこと。
今回、フラン達を捕らえたのは、幸運にも前者の盗賊だった。言わずもがな、カシム達である。
母にすら内密で殿方と逢引しようとしていた道中での出来事で、フランはメルディ以外に専任従者であるアンズしか連れてきていなかった。もしもフラン達を捕らえた盗賊が後者だった場合、考えるだけで恐ろしい目に遭っていたはずだ。なお、フランは自身を一端の淑女であると自負しているが、実はまだ齢十にもいない。つまりメルディの方が姉役なのである。もしもフランに欲情するような盗賊がいれば、それはそれは二重の意味で恐ろしい存在だろう。
だが、フランは決して道中の危険を軽視していたわけではなかった。アンズはC級冒険者程度の実力があり、メルディも戦いの心得くらいはある。油断がなかったかと問われれば何も言い返せないが。
(……いえ、やはりよくよく考えるとワタクシ達を捕らえた盗賊はおかしすぎますわね)
さすが自称とはいえ一端の淑女、なかなかに鋭い。
力及ばず倒れるにしても、それは圧倒的な数の差による敗北で、盗賊側にもかなりの損害を出してくれると、フランはそれくらいの信頼をアンズに寄せていた。だというのに、アンズが道を塞ぐ盗賊達を排除するために馬車から飛び降りたかと思えば、わずかな時間も経たないうちに馬車の扉がこじ開けられ、フランとメルディは呆気なく捕らわれの身に。アンズは何をしているのか、と盗賊達に運ばれながらも周囲を見回せば、剣を振り上げた体勢のまま顔を真っ赤にして声を張り上げているだけだった。
全員仲良く捕らわれたあと、当然、フランもメルディもアンズを責めた。だが、「異端の影」の力で動けなくなっていたアンズとしては、「謎の魔法で動けなくなりました」と言い訳するしかない。単なる事実なのだが。
フラン達にとっては不可解なことに、盗賊の
(もしもあのカシムという男の言葉が真実なら、それはワタクシが聞いたこともないような不可思議な魔法ですわ)
なお、闇影魔法でも同じことは可能である。フランがそれを知らないのは、単に闇影魔法に関する知識が乏しいだけだ。まあ、闇影魔法の使い手は少ないため、致し方ない部分もあるのだが。
(そして、操っていたのは、盗賊の頭から「先生」と呼ばれていたあの黒髪金眼の若い男――確かザードと名乗っていましたわね……)
もちろん、フランの言うザードとはザインのことだ。とある目的のために、ザインはカシム達にもフラン達にも偽名を名乗っていた。名前の一部を流用しただけの簡易な偽名なのは、仮にバレても問題はないからだ。
また、ザインはジョニーの死体を洞窟の入口に見せしめのように吊るしていた。
(……もしかして、盗賊達にはワタクシ達を襲うつもりなどなく、あの男に脅されて仕方なく襲ったのかしら? いえ、その可能性が非常に高そうですわね)
実はフラン達にそう思わせることがザインの目的なのだが。まんまとはまっている。
一方、当のザインはというと、アルビノの少女を監視のために残し、ザッハトルテ子爵家に身代金を要求しに行っている。盗賊の一人にでもやらせればいいのは確かだが、わざわざ自分で行くのにも理由があった。一つはサーターアンダーギー伯爵家の陰謀を暴露し、ザッハトルテ子爵家からより多くの金を引き出すためだが……。
ザインはさらに、フラン達に対して不可解な命令をしていた。
――三日ほど大人しくしていろ、それで全ては終わる。ああ、ついでにそこの白いのに戦い方でも教えておけ――
もちろん、アルビノの少女のことなのだが……最初の「三日ほど」というのは、フラン達もまだ理解していた。この洞窟からザッハトルテ子爵領の領都タルトまで行き、身代金の交渉をして再び戻るまでには、馬を使ってもそれくらいの時間がかかるからだ。
だが、その後ろの「戦い方を教えておけ」に関しては意味不明かつ理解不能だった。いや、意味はわかっている。わかっているが、なぜ人質に言うのか。ザインが何を考えているのか、フラン達にはさっぱりわからなかった。
この洞窟に捕らわれている間、アンズにやることがないのは確かなのだが。フランの身の回りの世話はメルディだけで充分だからだ。
フランにとっては、メルディとアンズが無事だということも不思議だった。もちろん、喜ばしいことに違いはない。
実はこの二人、市井出身の平民である。盗賊に捕らわれた平民の女というのは、犯されなぶられるというのが末路だが、二人は犯されるどころか、むしろ我慢できなくなった下っ端達から守られていた。しかも、なぜか盗賊の頭であるカシム直々に。
実際、フラン達が捕らわれてすぐにアンズとメルディは犯されかけたが、
「いいのか? 子爵家に恩を売れるが」
その時、ザインが二人に手を出さなかった場合のメリットを告げたのだ。カシムをはじめとする幹部数人は少しだけ考え、下っ端達を止めた。
もちろん、言い争いにもなったが、頭であるカシムが止める側にいたため、すぐに争いは治まった。なお、ザインとしてはどちらでも良かったりする。
それでもやはりしこりは残る。
残るはずだった。
「そう不満そうな顔をするな、もっといいところの令嬢とヤらせてやる」
ザインがそう言うまでは。
その後、ザインはカシムとアルビノの少女にあとを任せ、フラン達の馬車を牽いていた馬を使い、現在、領都タルトへと向かっているわけだ。
一方のカシム達は、フラン達を洞窟の奥――具体的には奪ったものを置いておく場所――に閉じ込めると、そこから少し離れた場所で、ザインの言葉の意味を下っ端達に説明した。その後、フラン達に聞こえるほど大きな歓声が響いたのは言うまでもない。
しばらくして、カシムはフラン達を閉じ込めた部屋の前に座った。ザインの機嫌を損ねないためにも、フラン達を守るつもりだったからだ。主な対象はアルビノの少女だが。
一度だけ数人の下っ端達が来たが、カシムが睨むとそそくさと戻っていった。カシムが寝ている間に善からぬことをしようとしたのかもしれないが、こう見えてもカシムは傭兵の経験があり、周囲の気配には敏感だった。
そして冒頭に至る。
フランは状況に酔って悲劇のお姫様に自身を重ね合わせ、そんなフランを見てメルディは小言を言い、そしてアンズは――ザインに言われた通り、アルビノの少女に戦い方を教えていた。
「身体能力は高いですが、ハッキリ申しまして剣の才能はありませんね……」
「あぅ……ウチ、才能無かと……?」
「残念ながら……。こうなりますと、お教えできるのは簡単な護身術くらいでしょうか。それでよろしいですか?」
「少しでも主様んお役に立ちたいので、よろしゅうお願いします」
今、この瞬間までは。やはりザインの意図とは異なる方向に進んでいた。
なお、人間用の剣術を獣人が学んでも、根本的な身体能力の差やステータス値の偏りの違いがあるため、十全には習得できない。中途半端に才能があるよりかはためらわずに諦められる分、まだ良かったのかもしれないが、剣術そのものの才能が無ければ、獣人用の剣術も諦めるしかないという点には、アンズもアルビノの少女も気付いていなかった。
実を言うと、狐系獣人は魔法や呪法の才能が高い傾向にあり、そちらを伸ばせばアルビノの少女も充分に戦えるようになる。ならば、なぜザインは明らかに剣士であるアンズに教官役を任せたのか。
アンズは魔法も呪法も使えない。魔力は扱えるが、魔法や呪法の類いは一つも覚えていない。ザインの意図がわからないままに、アンズはアルビノの少女に護身術を教え続けるしかなかった。しっかりと意図を伝えなかったザインのミスである。
フラン達はこの少女についてほとんど何も知らない。なぜか名前すら教えてくれないからだ。
「主様に言うなって言われとるけん」
と言い訳を言い、カシム達にも教えていない。
ザインの奴隷であることはフラン達もカシム達も感付いていたが、なぜ名前すら教えないのか、その意図はわからなかった。
あっという間に三日が経ち、ザインが洞窟に戻ってきた。
「先生、どうでしたかい?」
「問題なく終わった」
カシムとザインのやり取りは呆気ないものだった。ある程度の説明はしていたし、ザインとしてはカシム達に詳細まで話す必要性を感じなかったからだ。
こうして、フラン達は無事に解放され、馬車で領都に引き返すことになり、
「じゃあな、お嬢様。もう二度と会わんことを祈ってるよ」
「……最後までメルディとアンズに手を出さなかったことだけはお礼申し上げます」
フラン達はカシム達と別れのあいさつ――のようなものをしていた。カシム達にはそれだけで充分と考えたフランだったが、ザインにはいろいろと訊きたいことがあった。
「……ところで、あの男は?」
「先生のことかい? なら、もうとっくに行っちまったよ」
にもかかわらず、当の本人はすでにいないという。これでは心に残ったしこりを抱えたまま帰るしかない。
「そうですか……仕方ありませんわね……」
「伝言でもあるならうけたまわりますぜ」
「いえ、そういうわけではありませんので、結構ですわ」
「そうかい。……ああそうだ、オレ達はこのまま子爵領を去るからな」
「でしょうね」
要するに、討伐のための調査は最低限で大丈夫だとカシムは言いたいのだ。
たとえ身代金と引き換えに無事返したとしても、貴族が襲われたという事実は残る。そこで討伐隊を差し向けないのは貴族にとって恥だ。話の通じる盗賊はそれもわかっているため、こうしてわざわざ領から出ていくと先に言っておくわけだ。
貴族側からしても、差し向けられないのに討伐隊を編成してお金を無駄にしたくはないし、他領まで討伐隊を差し向けるのは財政的に難しかったと言い訳できるため、先に言ってもらえるのはある意味で助かっていた。
「それでは皆様、ごきげんよう」
ザッハトルテ子爵家の馬車が、三日前に来た道を逆方向へと駆けていく。
本当はこのまま愛しい男の下へ行きたいフランだったが、盗賊に捕らわれたことで秘密裏に逢引しようとしていたことはバレているため、今回は大人しく帰るしかない。
(……あとでお詫びの手紙を書かなければなりませんね……)
それだけがどうにも憂鬱ですわ――なんて、フランがそんなことを思えていたのは、領都にある屋敷に帰りつくまでだった。
真っ先に飛び込んできたのは、泣き腫らして目元が真っ赤になった母の顔。
まさかそんなにも心配させてしまったのだろうか、と慌てるフランだが、その理由はフランに関することではない。
夫――つまりフランの父が亡くなった。
悲痛な面持ちで子爵夫人が告げたのは、フランが予想だにしていない言葉だった。
そしてフランはようやく真実を知る。
ザインが盗賊達とともにワタクシ達の乗った馬車を襲った理由も。
子爵を殺したのがサーターアンダーギー伯爵家の手の者であることも。
愛しい男が――最初から自身を裏切っていたことも。
「報復ですわ……戦争ですわ……お父様の仇を取らなくては!」
憤るフランに、子爵夫人はただ首を横に振った。
「……っ‼ なぜですの、お母様!? お母様は伯爵家が憎くないのですか!」
「……そんなことはないわ。母も伯爵家が憎くて堪らないもの」
「でしたら――‼」
「でもね、フラン。あなたが剣を取る必要はないの。だって――」
――もう伯爵家は終わっているもの。
そう言った子爵夫人を見て、フランはゾッとした。
(人は、こんなにも他人を憎むことができるのですか……)
フランは勘違いしていたのだ。子爵夫人が首を振ったのは、報復をしてはならないと、フランを止めるためではない。
その意味するところは、フランが剣を取るまでもなく、戦争をするまでもなく、すでに報復は済んでいるということだった。
それから二日後、早馬が待ち望んだ報せを伝えた。
――サーターアンダーギー伯爵家滅亡。
現当主や先代、家族のみならず、その夜、屋敷にいた騎士、従者、メイド、子どもに至るまで、そのことごとくが惨殺されたと。
子爵夫人は、その報せを聞き、ただ薄く微笑んだ。
これより先、ザッハトルテ子爵家は、一つの秘密を代々守っていかなければならない。フランの子も孫も、いつか子爵家最後の一人が墓に入るその時が来ても。
ザード――黒髪金眼の謎の男。その男は、間違いなくフラン・ビステ・ザッハトルテ子爵令嬢達を襲った盗賊達の一人であったと。
そう言い続けなければならないのだ。
サーターアンダーギー伯爵家滅亡の報せは、瞬く間にボルト獣帝国中に広がっていったが、その一方で、他の貴族達にとっては衝撃の報せであったにもかかわらず、大きな混乱は起こらなかった。
同伯爵家は確かに広い領地を持つ大貴族ではあったが、東西が海に面しているボルト獣帝国としては塩の産出領の一つでしかない。ましてや滅亡した理由が不明では、何を恐れればいいかわからず、結局いつも通りに行動するしかなかったのだ。
ザッハトルテ子爵家は、塩を主産とする隣領同士であり、当主が何者かに殺害された直後ということもあって、一時期関与が疑われた。だが、報復にしても当主殺害発覚からの時間が短すぎる上に、方法がわからないということで、関与を疑う噂も次第に消えていった。
ちなみに、その伯爵家滅亡事件だが、二人の息女の遺体だけが見つかっていない。現場の凄惨さから死亡したのは確実だと言われているが、指の一本すら見つかっていないのだ。
そしてフランは彼女達がどうなったのか何となく察している――いや、知っていると言っても過言ではない。
ザインが盗賊達に言ったこと、その意味するところに、フランは気付いてしまったのだ。
(きっと彼女達は、どうして自分がこんな目に遭うのか、最後までわからなかったことでしょうね……)
この秘密だけは、フラン自身が墓の下まで持っていかなければならない。母にも幼い弟にも打ち明けることはできない。特にメルディとアンズには決して明かせない。
今はそれだけが、彼女の憂鬱である。
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