第12話   本人が楽しくても周囲もそうだとは限らない

 アルデバラン・バートルがその者と話したのは、市井の民と話すのを嫌がる同僚から仕事を押し付けられたからだった。

 国境にある関所の窓口担当としてそれはどうなのか、とも思ったが、同僚は元々あがり症持ちで、そういえば初めて話した時もかなり面白――大変なことになっていたことを思い出し、アルデバランは快く引き受けることにした。

 興味もあったからだ。

 というのも、アルデバランが所属する軍はいわゆるエリートが集まる軍であり、市井の民が気軽に訪ねてくるような軍ではなかった。というより、選択肢に入りにくいと言った方が正確かもしれない。

 そんな軍に訊きたいことがあると市井の民が訪ねてきた――非常に珍しく、非常に興味深い。

 いったい、どんな人物が待っているのか、とワクワクしながらアルデバランが面談室の扉を開けると、そこにいたのは成人したばかりと思われる女性だった。

 彼女はアルデバランが対面の椅子に座るまで立っていて、彼が座ると一礼して自分も座った。

(……市井の民にしてはずいぶんと礼儀正しいですね)

 この時点で、アルデバランは彼女が市井の民ではないと確信していた。こんなことを言うと語弊があるかもしれないが、市井の民はアルデバラン達と他の軍で対応に差をつけない。というより、差がわからないと言った方が正確だろうか。

「どうも、初めまして。メビウス法国寺院兵団第三警備隊所属国境関所窓口担当の者です」

「初めまして、シヴァンシカといいます」

 だからアルデバランのあいさつに名乗り返したのはおかしかった。普通は「こんにちは」とか「初めまして」程度である。

「……あ、申し訳ありませんが、ボクの名前は教えられないんです。身バレすると、賄賂とか脅迫とか犯罪に巻き込もうとしてくる人が絶えないんで」

 アルデバランがそう言うと、シヴァンシカは言葉少なに労った。

(やっぱり市井の民じゃないですよねえ、この娘……)

「それで、本日は何をお訊きに?」

「何か変わったことはありませんでしたか?」

 シヴァンシカの質問は非常に大雑把だった。

「つまり、普段とは違う何か妙な出来事を聞きたいと? ずいぶんと大雑把な質問ですねえ……」

「では、変わった人は通りましたか?」

 アルデバランが正直に伝えると、シヴァンシカは質問の範囲を人に限定した。

「そうですね……最近ですと、妙な冒険者がいましたね」

「冒険者ですか?」

「はい、冒険者です、二人組の」

「冒険者が珍しいのですか?」

「いえいえ、冒険者そのものは珍しくありませんよ。彼らは仕事を求めて各地を回りますから、国境を越えることもしばしばあります」

 シヴァンシカの相づちは実に的確で、アルデバランはすでに彼女との会話が楽しくなっていた。思わず余計なことまで喋ってしまいそうなほどに。

「何が珍しかったかといいますと、組み合わせがです。一人はC級の若い男性でした」

「普通ですね」

「はい、珍しくはありませんね。しかし、もう一人はF級の少女だったんです。ね、珍しいでしょう?」

「……?」

 シヴァンシカは首を傾げるだけだった。

 冒険者ギルドの等級制度についてよく知らなかったのだ。

 冒険者ギルドでは等級制度が採用されている。ちなみに発祥はよくわかっていないが、古の大国の頃に導入されたらしい。

 等級は全部で7つ。上からS、A、B、C、D、EそしてFだ。なぜそのようにわけるのかもよくわかっていない。ただ、最初に提唱した者がそのようにわけるよう提案し、呼称も記号もその者が決めたことはわかっている。

 等級で見ると、C級はちょうど中間にあたる。一人前の冒険者と認められるか否かの境目でもある。要人や商人を護衛するいわゆる『護衛依頼』を請けられるようになるのもこのC級からだ。

 一方、F級は最も下である。

 実のところ、パーティー内の等級に大きな差があることはそこまで珍しくはない。確かにパーティーを組む際は近い等級同士のことが多かったが、冒険者ではない実力者をスカウトしたばかりだとか、師弟の関係にある場合など、たまに見かけることもあった。

 だが、それもE級まで。F級だけは別だ。

 F級とは「街の外で活動する実力がない」と見なされた者――つまり、モンスターと戦うには実力不足だと判断された者がなる等級だからだ。大抵のF級は、登録した街でE級になれるまで訓練を受ける。

「そんな人が国境の関所に来たんですよ? ほら、とても珍しいでしょう?」

 アルデバランは完結明瞭に説明したが、シヴァンシカはあまりピンと来なかった。

「要人と護衛の可能性は?」

「その場合、わざわざ冒険者としての身分を用意してるわけで、かなりきな臭いと言わざるを得ませんね」

「わざと見逃したんじゃないですよね‥…?」

 非常に恐る恐るといった感じで指摘するシヴァンシカ。もちろん、本心ではない。

「その二人組の時は単に全く問題ないと判断しただけです。何しろC級の男性の方が偉そうでしたし、何よりF級の少女の方が「主様」と呼んでましたし」

「主様……? その女の子は奴隷だったのですか?」

「いえ、奴隷じゃありませんでしたよ。そもそも奴隷は冒険者になれません」

「では元奴隷では?」

「ああ、その可能性はありますね。ただその場合、よほど良い待遇を受けたんでしょうね。解放されたあとも『主様』と呼んで慕ってるわけですし」

「その二人組はどんな姿格好でしたか?」

「その……個人情報だからあまり詳しくは言えないんです。ただ、少なくとも半年は忘れないくらい非常に目立つ二人組でしたね」

「そうですか……」

「……ああ、変わった人といえば、その二人組の翌日にも変わった人が来ましたね。変わった人といいますか、凄い人といいますか……」

 そう切り出してアルデバランが教えたのは、とあるA級冒険者についてだった。高ランク冒険者は影響力が大きいため、アルデバランは打って変わって積極的に話した。

 もちろん、名前も教えた。

「『武芸百般』のソレイユ――法国じゃ無名ですが、獣帝国や北方の小国家群じゃそれなりに有名な冒険者です」

 A級冒険者というのは国全体にとって貴重な戦力であり、国境を越えるのは非常に珍しい。だが、ソレイユは入国の理由について、依頼の一環で、とただそれだけで押し通した。

 一方の担当者も、依頼を達成したら獣帝国に戻るのだろう、と思い、特に深く訊かなかった。A級冒険者が軽々しく拠点を変えるわけがないからだ。

「不思議といえば不思議なことですが」

 何の気なしにそう言ったアルデバランは、シヴァンシカにどこが不思議なのかと首を傾げられた。

「ああ……確かに一般の方にはよくわからないことですよね」

 とはいえ、説明は一言で済む。

「理由は単純。必要ないからです」

 メビウス法国にはとあるS級の冒険者パーティーが拠点を構えており、A級以上の高難易度依頼は基本的にそのパーティーが対処している。

「天輪――と言えば、聞いたことがあるんじゃないですか?」

 とアルデバランは言ったが、シヴァンシカは首を横に振った。

「最近、獣帝国から法国に来たばかりでして、まだ法国のことをよく知らないのです」

「うーん……やっぱり国内だけの活動だと、他国には名前が売れないんですかね……?」

(大陸で二番目に大きな国のトップパーティーなんですがねえ……)

 獣帝国から来たというのは嘘だ、とアルデバランは思った。獣帝国で軍と言えば、それは大抵の場合、領軍を指す。そして領軍は領主の命令がなければ動けない。ある程度の独立性を持つ法国の兵団とは違う。だから、獣帝国の民は軍を訪ねるという発想そのものを持っていないはずだった。

 つまり、シヴァンシカは獣帝国ではなく、法国の出身でなければおかしい。

 ソレイユの姿格好も訊かれたアルデバランは、先の二人組とは違い、きちんと答えた。

「そうですね……とても綺麗な人でしたよ。非常に礼儀正しく、頭も良さそうでした。凜々しいとは、あのような人のことを言うんでしょう」

(願わくは、ああいう人の下で働きたいものです。うちの脳筋すぎる上司と交換してほしいですよ)

 ただ、ソレイユに関しては少し気になることもあった。

「透き通るような金色の長髪だと聞いてたんですが、かなりバッサリと短くされてたんですよね……実に驚きました。失礼ながら理由を尋ねてしまったんですが、もごもごと口を動かされただけで何も明言されませんでしたよ。よほど言いにくい理由だったんでしょうかねえ」

 これは間違いなく、余計なことまで喋ってしまったうちの一つである。

「失恋でもされたのではないですか?」

「どうですかねえ……武芸一辺倒と聞きますし、そんなことありますかねえ……。おっと、今のは失言でした。そうですね、もしかしたらあり得るかもしれません」

 ただし、その場合、アルデバランはあのソレイユの心を射止めた上に振ったというその者にむしろ興味がわいてしまう。

 何しろ、ソレイユには、どんな貴族の誘いにも、どんな美丈夫の誘いにも首を縦に振らなかったという噂がある。

 おそらく「金」や「顔」には興味がない。となれば、あとは「力」と「心」だが、ソレイユは実力だけならS級に匹敵すると讃えられている。もしも「力」で勝っていたとすれば、それは間違いなく稀代の実力者である。

 あり得ない、とアルデバランは断ずる。

 モンスターの脅威が身近にあるこの世界で、そんな実力者が野に埋もれたままでいられるわけがない。もしもそんな者とのラブロマンスがあったのならば、もっと噂になっているはずだ。

 ということは「心」に惹かれたのか。

「まあ、真相は本人のみ知るということでしょう」

 結局、そんな感じで誤魔化したアルデバランだった。

 ちなみに、ソレイユが口ごもったのは、C級に負けたなんてとても言えなかったからである。

「そのソレイユさんという方は、なぜS級になれないのでしょう?」

「えーっと……そうですねえ――」

 ただの一兵卒に聞くことじゃない、と思ったアルデバランだったが、知っている以上は答えないわけにもいかなかった。この男、基本的に教えたがりなのだ。

 S級に匹敵するにもかかわらず、なぜソレイユはS級になれないのか?

 実力不足が理由ではない。実績不足でもない。冒険者という職業そのものが求められることに関連がある。

 冒険者と一言に言ってもその仕事内容は千差万別だ。

 危険なモンスターや盗賊の討伐もあれば、要人警護や商人護衛、薬草採取、食料調達、郵便物の緊急運送まで。都市部ではドブさらいや迷子のペット探しもある。

 まさしく便利屋、何でも屋。冒険者元来の役割である未踏領域の探索や遺跡の調査護衛など、今やそちらの方が珍しいくらいだ。

 だが、冒険者に最も求められる仕事内容は変わっていない。元来の役割も元々はそれを期待されてのものだ。

 ズバリ、モンスターの討伐である。正確に言えば「より多くのモンスターをより短期間に討伐すること」だが。

 モンスターさえいなければ、その地域は人の生存圏として確立できるからだ。

 モンスターパレードの問題もある。適宜まびかなければ、餌を求めてモンスターは大移動してしまう。その先に人里があれば悲惨だ。

 ソレイユがS級になれない理由もそこにある。

「彼女の実力は確かに高いですが、それはあくまでも対単体として見た場合です。対複数――もっと言えば対群として見た場合、彼女の高い技術に裏打ちされた戦い方というのは丁寧すぎるんですよ」

(だからといって、うちのバカ上司くらい大雑把なのも困りますが……)

 アルデバランが自身の上司を思い浮かべて内心ため息をついたその時、

「――総員参集! 総員参集――!」

 部屋の外をそう叫ぶ声が通り過ぎた。

 総員参集とは、関所内にいる軍属は全員集まれ、という意味だ。

「……すみません、緊急の呼び出しのようです」

「そうですか……。あの、ついていっても……?」

「はあ……」

 シヴァンシカの要望それ自体に問題はない。秘密裏に集まる場合は上司から直接伝えられるし、関所内から軍属以外を排除する際はきちんと理由も説明する。あとで説明するも一緒に聞くも同じことだ。

 だが、普通は一緒に聞きたいなどと願い出たりはしない。市井の民はそんなこと知らないからだ。つまり、ここでそう願い出るのは、一緒に聞いても問題ないことを知っている者だけ。

 シヴァンシカが何者なのか、アルデバランはついにその答えを導き出した。

 おそらくは高位聖職者に命令されて情報収集に来た者――場所と年齢から考えると、サイダー大司教の小間使いといったところだろう、と。

「構いませんが……面白いことじゃないと思いますよ?」

 それは同時に、シヴァンシカがさして警戒する必要のない人物であることも示していたが。

「――総員参集! 総員参集! …………総長より指令! 総員傾注!」

 アルデバランが一時的に閉鎖された関所の外に出ると、寺院兵団や国境兵団の軍属達数百人が集まっていた。

 少ないように感じるかもしれないが、関所と国防のための砦が若干離れているため、関所にいる軍属は少なめなのだ。

 関所内を走り回って指令を伝えていた数人が、ほぼ全ての軍属が集まったことを確認し、場所を総長に譲る。

 総長――正確には寺院兵団総長――とは、寺院兵団のトップのことである。総長と呼ばれるのは寺院兵団のトップだけで、他の兵団のトップは単に兵団長と呼ばれる。

 お立ち台の上に現れたのは、黒髪黒目で黒い肌をした、あり得ないくらい筋骨隆々で団服がはち切れそうになっている鬼人の男だった。彼こそがスコッチ・チャンク総長である。

 鬼人とは、額に一~三本の角を持つことが特徴の人類の一種族だ。スコッチも額に三本の小さな角がある。身体的能力が非常に高く、苛烈だが豪放磊落らいらくな性格の者が多いことも特徴だ。一方で、魔法的能力には乏しく、性格も逆に言えば大雑把すぎるとも言えるなど、マイナス面もある。まあ、人としては当たり前だが。

 ちなみに、鬼人と呼ばれるようになったのは、角が生えているからではなく、その戦い方が非常に激しく、鬼のように暴れることが多かったからだ。

 なお、鬼人は「鬼」と呼ばれるともの凄く怒る。

「まずは任務ご苦労。酒でも振舞って労いたいところじゃが、緊急事態じゃ。先日も伝えた通り、現在、我が国はボルト獣帝国より宣戦布告を受けておる。そして、先ほど、ついに獣帝国軍が視認範囲に入った。規模は五百から六百。まあ、一個大隊じゃな。小競り合い程度じゃが、戦闘も視野に入る。早急に防衛体制を整えよ!」

 野太い声が明かしたのは確かに緊急事態だった。

 数百人の軍属達が各々の役割を全うするために散っていく。

 アルデバランも顔色が悪くなっているシヴァンシカを避難させなければならない。

「ということですので、申し訳ありませんが、本日はここまでです。ここは戦場になります。あなたもすぐに離れてください」

 そう告げると、シヴァンシカはアルデバランの身を案じた。

 小競り合い程度とはいえ戦争は戦争だ、一兵卒などいつ死ぬかわからない。今日会った者が明日死体になっているなど、気分が悪くて仕方がない。

 実のところ、心配など無用なのだが……正直に言うわけにもいかず、適当に誤魔化そ――

「おい、バラン! 緊急事態じゃというのに何をまだ遊んどる! さっさと本業に戻らんか! お主、兵団の筆頭軍師じゃろ!」

 ――うとしたところで、アルデバランは唐突な身バレに晒された。

 周囲の軍属達はとっくにおらず、スコッチが明らかにアルデバランを見て怒鳴ったため、誤魔化しようがない。

 仕方なく、騙していたわけではないと言い訳し、

「本業は有事が無いと暇すぎるんで、こうして一兵卒のふりをして、内部監査をしてるんです」

 事情も明かして、アルデバランは改めて名乗った。

「ボクはメビウス法国寺院兵団総司令部所属筆頭軍師。名をアルデバラン・バートルと申します」

 灰色の髪に緑色の瞳を持つ褐色肌の狼系獣人――すなわち風狼族。絶妙にダサい丸眼鏡の奥で、その瞳がいたずら気に細められる。

「ですので、よほどのことがない限りボクは無事ですよ。さあ、もう行きなさい。ここはもうすぐ戦場になりますから」

 そう念を押されて、ようやく大司教の小間使いシヴァンシカは素直に帰った。まあ、本人は最後まで獣帝国出身だと偽っているつもりだったが。

 シヴァンシカが今日聞いたことを全て話せば、しばらくの間、サイダー大司教も大人しくしてくれることだろう――とアルデバランは期待する。

 人と接するという慣れない任務の一兵卒になった甲斐はあった。

 願わくは、次に彼女と会った時、それが死体ではないことを祈るばかり。

 ハニートラップ要員として再会したなら――何とかして大司教から切り離そう。

 などと、アルデバランはせんなきことを考えていたのだが、仕事をしようと振り返ると、事態は想像以上の早さで悪化していた。

「ぬぅ……どういうことだ、これは! まだ防衛体制すら取っておらんではないか!!」

 スコッチに負けず劣らず筋骨隆々な猫系獣人の男が、獣帝国側の関所の上で理不尽なことを叫んでいたからだ。

 荒々しく整えられた濃い金髪に、鋭く睨む碧眼。そこを戦場にした張本人だというのに、執務服のままでいたことが、短気な性格をよく表していた。

 これが獣帝国の皇帝だというのだから、振り回される部下の苦労を思うと……アルデバランはため息しか出ない。

「アルナイル! お主、よもや軍を置いて一人で来たのか!?」

「ぬ? 余を呼び捨てにするとは不敬千万。いったい何者――おお! スコッチではないか! 久しいな! 喧嘩し遊びに来たぞ!」

「それは喜ばしいがな! 軍を置いてきたら戦争にならんじゃろ! 何をしとるんじゃ、お主は!」

「ぬははははははっ! 言われてみればそうだな! あまりにも楽しみすぎて周りを見ておらんかったわ!」

 妙な頭痛に思わず頭を押さえる。

 アルナイルとスコッチは、敵対する二大国の皇帝と軍のトップでありながら、非常に気が合う。

 かたや戦争をしたがる脳筋皇帝。

 かたや前線に出たがる脳筋司令官。

 出会うべくして出会ったバカ二人と言っても過言ではなかった。

 アルナイルが関所の上から飛び降ると、二人は無言で歩み寄り握手を交わす。これから戦争するというのに。

 まあ、その後すぐに互いの顔面を殴り合うのだが。

「ぬはははははははは! 相変わらず良い一撃をしているではないか、スコッチよ!」

「お主こそ、相変わらずうっとうしい攻撃をしおるのう、アルナイル!」

「――総長」

 そして、そこに水を差すのがアルデバランの役回り――なのだが、この時は別だった。

「何じゃ、バラン。よもやまた『邪魔だから下がれ』と言うんじゃなかろうな!?」

「いえいえ、今回はオベリスク都市国家連合じゃなくて獣帝国が相手ですから、そんなことは言いませんよ。むしろ人死にを出すのがバカらしいので大いにやりあってください」

 二人だけで、という言葉はあえて続けなかった。

 言うとスコッチがうるさいし、言わなくてもそうなるのは目に見えていたから。

 この二人はとにかく理不尽だ。

 言動もさることながら、その強さが。

 ただの殴り合いとは思えない重低音が響く。

 目にも映らない速度でアルナイルがスコッチの腹に何発もの拳を叩き込んだかと思えば、それを意にも返さずスコッチがアルナイルの胸に強打を加える。

 明らかにあばらが何本か折れた音がしたにもかかわらず、ほんの数瞬の後にアルナイルは立ち上がり、再び何発もの拳をスコッチに叩き込む。

 この二人の喧嘩は基本的にその繰り返しだ。

(くわばら、くわばら……この二人には近づかないに限りますね)

 立場的に無理なことを思いながら、アルデバランは二人の殴り合いを見ていた。

 同時に、やはり間違いない、とも思う。この皇帝――ラプラスの使徒だ。

 そもそもスコッチと殴り合える時点でおかしい。もう五十は超えてるはずなのに三十代半ばに見えるのもおかしい。

 公言しているわけではないが……使徒としての力らしきものも、隠さず使っている。

 ――雷帝。

 あの皇帝にかしずく者は、誰もが畏れをもってそう呼ぶ。

 おそらく雷が力の媒介なのだろう。

 だが、いったい雷をどう使えば若さを保てるのか。ぜひその仕組みを教えてほしいものだ。

 いずれにしても、「不死身」に近いスコッチとまともに殴り合える時点で、アルデバランとしては人間をやめているとしか思えなかった。

「――陛下、早すぎるんだけど」

「ぬ? おお、アシヤ、ようやく来おったか!」

「しかももう始めてるんだけど……。もう少し部下のことを考えてほしいんだけど」

「すまんすまん! 心の赴くままに駆け出しておったわ!」

「反省が感じられないんだけど……」

 ふと気が付くと、隣で薄紫髪の美女がアルナイルをジト目で睨んでいた。

 重帝国の重鎮、ルチカ・アシヤ宮廷呪法師長である。

 意外な人物の参戦――わずかに違和感を覚えるアルデバラン。

「お久しぶりですね、アシヤさん」

「…………記憶に無いんだけど?」

「おやおや? これは予想外の反応ですね。ボクですよ、アルデバラン・バートルです」

「……? ……。……あ!」

「思い出してくれましたか!」

「この間クビにした肩もみ係?」

「違います。というか肩もみ係とかいるんですか、宮廷呪法師。しかもクビって……なぜ?」

「肩もみと称して胸を触ってきたからだけど?」

「それはクビにすべきですね」

 思ったよりまともな理由だった。

 アルデバランのことをなかなか思い出せず、アルデバランをジッと見つめて首を傾げるルチカ。

 美女にまじまじと見つめられ、アルデバランは少し顔を赤くした。

「おい、バラン。お主、眼鏡を忘れとるぞ。それでわからんのじゃろ」

「え……いえいえ、まさか、そんなバカな……」

 スコッチの指摘に、素で忘れていたのを誤魔化しつつ、アルデバランはいつもの丸眼鏡をかける。

「!!! いつも足を厭らしい目で見てくるドS軍師なんだけど!」

「……何でしょう、思い出してもらえたのに涙が出そうです」

(ボクの最大の特徴は名前じゃなく眼鏡なのでしょうか……)

 とりあえず上を向く。

(今日も空が青いですねえ……)

 ついでに両手も上げておく。

「……とりあえず、アシヤさん、杖を下ろしてもらえますか?」

「私はやりあってもいいんだけど?」

「ご冗談を。ボクはただの軍師、言わば裏方です。アシヤさんと戦えるほどの実力はありませんよ」

 つまり降参ということだ。

 アルデバランは、このルチカもラプラスの使徒ではないかと疑っている。ならば戦っても勝てる道理はない。

 もちろん、根拠もある。

 噂や伝聞を基にルチカの呪法の効力を推計すると、どう考えても強すぎるのだ。一般的な呪法の効力は身体的能力の二十~三十%低下である。それに対し、ルチカの呪法は五十~六十%低下という恐ろしい推計値になった。

 アルデバランとしては、ルチカも人間をやめているとしか思えなかった。

「……強いくせに、やる気なさすぎなんだけど」

 小言を言いつつも、やる気のない相手を攻撃するつもりはないアシヤは杖を下ろした。

 今現在、ラプラスの使徒であることを公言しているのは二人だ。

 ラプラス皇国の永久とこしえの教皇ノイン・ラー・ラプラスと、幼子おさなごの守護聖人アハト・マリアナ・ラプラス。つまり、第九使徒――理外の法と、第八使徒――輪廻の炎。

 そこに、ボルト獣帝国の皇帝アルナイル・ビスタ・ボルトと、宮廷呪法師長ルチカ・アシヤを加えて四人。

 いったい何人いるのかわからないが、皇国にもう数人はいるはず――とアルデバランは予想する。

 一方のメビウス法国はというと、ラプラスの使徒と同等の存在――すなわち、メビウスの「明王」であることを公言しているのは、奇しくも同じく二人であった。

 一人はもちろん、寺院兵団総長スコッチ・チャンク。

 そしてもう一人は――

「ぬ……? おい、メビウスの軍師! ヒバリの奴はどうした? 来んのか!?」

「来ませんよ。戦争より友人を優先するそうです」

「何と……来んのか……。まあ、スコッチがおるなら文句はないが……」

 アルデバランとしては意図していないことだったが、ヒバリなる人物が友情を選んだおかげでアルナイルのやる気が少し削がれていた。

 このままなら人死にを出さずに済む。

(今日も総長には幸運の星が輝いてますね)

 前線に出たがることからよく誤解されがちだが、どこぞの皇帝と違って、スコッチは決して戦争を望んだりはしない。

 戦争が起きれば必ず部下が死ぬからだ。

 まあ、起きたら起きたで前線に出たがる、筆頭軍師のアルデバランとしては困った上司でもあるが。

 そして、アルナイルが言及した「ヒバリ」こそ、メビウスの明王であることを公言しているもう一人の人物である。

 S級冒険者パーティー「天輪」のリーダーにして、「法輪の天使」と慕われる心優しき翼人の女性。

 メビウス第一明王――天道のヒバリ・マニ。

 ちなみに翼人とは、読んで字の如く、背中に一対の翼がある人類のことだ。

「友人ってソレイユのことだと思うんだけど?」

 珍しく、ルチカがアルデバランに声をかける。

 ヒバリとソレイユの仲が良いのはわりと知られている話だ。

「はい、そうですよ」

「なら、いいこと教えてあげてもいいけど?」

「おや、何でしょう? ぜひお願いします」

「ソレイユは使徒を追っているんだけど」

 その情報は確かに「いいこと」だった。

 何しろ、法国に使徒が入り込んでいるということだからだ。国防上の観点から見れば、これほど重要な情報はない。

 その時、アルデバランがふと思い出したのは、一週間ほど前に関所を通った「シロコ」のことだった。

 まさかあのシロコが? いや、それはない。あれはまだまだ弱かった。

 だとしたら……誰だ? いつ? どこから?

 自問自答を繰り返し、一つの可能性を否定した。代わりに多くの疑問を抱えることになったが。

「……その使徒について教えては――」

「そこまでは教えられないんだけど」

「――ですよね……」

 さすがに詳細な情報まで得ようというのは虫が良すぎたか、とアルデバランは諦めかけ、

(……あれ? 教えられない? 教えないじゃなく?)

「待ってください。教えられない、とはどういう意味です?」

「知らないことは教えようがないんだけど」

 ルチカはソレイユが使徒を追っていることは知っていた。だが、その使徒がどういう人物なのかまでは知らなかった。

 つまり、ルチカもその情報を誰かから聞いたか、もしくは偶然見たということ。

 だとしたら情報源は……まあ、当然、皇国しかあり得ない。

 それにもう一つ。ルチカは「ソレイユが使徒を追っている」と言った。「使徒がソレイユに追われている」ではなく。

 主観がソレイユか使徒かという違いでしかないが、これは重要なことだ。

 ルチカが伝聞で得た情報をそのまま話したとすれば、皇国はソレイユ側から見ていることになる。

 ここから推測できることは、使徒同士で仲違いしているか――もしくは、ソレイユが実は使徒の一人か、あるいはその両方か、である。正解は両方なのだが、アルデバランはそこから絞り込めるほどの情報を持っていなかった。

「……なるほど、貴重な情報ですね。ありがとうございます」

「ルチカもそう思うんだけど。ヒバリが使徒と接触するかもしれないけど?」

「いえいえ、彼女なら心配いりませんよ。何しろメビウス様の第一明王ですから」

 この反応を見るに、ルチカはソレイユが使徒か否かを知らないらしい。

 情報戦で獣帝国に半歩リードできたわけだ。

 わずか半歩だが、貴重なリードだ。

 ――と、アルデバランに思い込ませることがルチカの狙いだった。

「ついでに一つ教えていただきたいんですが」

「言ってみるといいけど」

「今回の小競り合いは陽動ですよね? 何を狙ってるんです?」

「何のことかわからないけど? ルチカは陛下の言う通りに動いただけだけど」

(やっぱり本命はソレイユですか……。そうなると、ヒバリに任せるしかありませんね。まあ、彼女なら問題ないでしょう)

 アルデバランとしては、あとはもう小競り合いがアルナイルとスコッチの殴り合いだけで終わるよう努力することくらいしかできなかった。

「陛下、凄く楽しそうなんだけど」

「総長も実に良い笑顔ですよ」

「……これで国境軍の連中がいなかったら気楽なんだけど……」

「同感ですね……こちらも、血の気の多いのが突発的な行動に出ないよう抑えるのに苦労しそうです」

 この脳筋二人には、周囲への迷惑を考えるということをぜひ学んでもらいたい――それはアルデバランもルチカも共通する思いだった。あとジェームスも。

 本人同士が楽しくても、周囲もそうだとは限らないのだから。

 アルデバランとルチカは互いに苦笑し、それぞれの陣営を抑えに走り出した。




「……ドS軍師、マジチョロすぎなんだけど」

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