メビウス法国編
第11話 開戦の理由はいつも民とは無関係である
ラプラスがその報告を受けたのは、そろそろあの男のことを忘れかけていた時のことだった。
あの男というのは、ザ……ザ…………何だったか?
(また忘れちゃったわ……。まー、いいか)
ともかく、十番目の話である。十番目の。
「はー?」
その報告に、ラプラスは目をしばたたかせた。
それくらい意外なことだったのだ。
「え、何、アインス負けたの?」
「はい。当人曰く、完膚なきまでに」
答えたのはノインである。
ラプラス第一使徒――創製の光アインス(つまりソレイユ)が、十番目に敗北した。
それは間違いなく予想外のことだった。
つまり、停滞した安寧に変化が起きたということ。
それ自体は望ましいが、少々早すぎる気もしなくもない。
「へー……あの娘、そんなに弱くなかったわよね?」
「使徒としては未熟ですが、A級冒険者として認められておりますし、実力そのものはS級に匹敵すると評価されています。人としては間違いなく強いかと。……使徒としては未熟ですが」
「二回も言わなくてもわかっているわよ。……要するに、アインスより十番目の方が使徒としては強かったってことでしょ」
人としての強さと使徒としての強さは別物だ。
人としての強さでは技術と腕力がものを言うが、使徒としての強さでは発想力がものを言う。
例えば、嬉しさと不安さを同時に表現するという奇妙なことをしているノインは――どちらもずば抜けていて参考にならない。
「にゅ~……ラプラスさま~、そろそろ限界だから来たよ~」
その時、少年の声が神殿に響く。
その声の主を見て、ラプラスのテンションは一気に上がった。
「やった、アハトきゅんキタコレ!」
「いつもいつも言ってるけど~、『きゅん』はやめてくれないかな~、『きゅん』は~」
何やら言っているが無視して膝の上に抱っこする。
何かに全力で喧嘩を売っていそうな橙色の髪はいつも良い匂いがしていて、今は眠そうにトロンとしている黄色に近い金色の瞳は、どこかの十番目とは全く違い、いつも澄み渡っている。
何よりもラプラスが気に入っていたのは、いつまでも抱っこできる小ささだった。
(あー、今日も私のアハトは可愛いわ~……)
ナデナデナデナデナデナデナデナデナデ――
(…………はっ、思わず全力で愛でていたわ……さすがアハト、恐ろしい子……!)
若干、名残惜しく思いつつも、ラプラスは思考を進める。抱っこはやめないが。
ちょうどいいので、アハトを例に説明しよう。
ラプラス第八使徒――輪廻の炎アハト。
彼は、身体的能力と魔法的能力のどちらも優れていることが多い、竜人と呼ばれる種族の一人である。竜人の特徴は、四肢の先――肘から先と膝から先――の部分がまるでドラゴンの如く鱗に覆われていること。その他、各民族によって、翼、尾、角のいずれかの器官がある。アハトはその中でも翼を持つ紅竜族の出身だ。
こう言うとアハトが人として強いように感じるかもしれないが、さっきも言った通り、アハトはラプラスが抱っこできるほど小さい。
ちなみにラプラスは見た目十五歳くらいの少女――
(あ?)
――失礼、美少女である。
つまり、ハッキリ言ってアハトは「幼い」のだ。しかも、その上病弱でもある。人としての強さなど言わずもがな。その辺の子どもと比べてもなお弱い。
だが、使徒としてのアハトは強い。仮にソレイユが十人いたとしても、アハトには勝てない。
絶対に。
なぜそう言い切れるのか――という話は後のためにとっておこう。今までの話だけで推測できた者もいるかもしれないが。
ついでに触れるが、人として見た場合のノインは魔法の達人である。その実力は他の追随を許さない。最北の大国に「大賢者」と呼ばれる魔法の達人がいるが、間違いなくノインの方が上だ――とラプラスは確信している。まあ、途方もない時間を研鑽に費やしているため、これで他人より下だったら、ノインとしては恥ずかし過ぎて人前に出られないのだが。
一方で、使徒としてのノインだが――こちらはわかりやすいが説明しづらい。百聞は一見にしかずと言うが、ノインの場合は一見しないとわからない。百聞で理解できるとすれば、第五使徒と十番目……ラプラスとしては業腹だが第七使徒くらいだろう。かく言うラプラスも完全に理解できているとは言いがたい。
何となく腹が立ったのでノインのスネを蹴るラプラス。
「痛いです」
(チッ、ダメね、全く効いていないわ)
「……で、枠が空いていないってことは、あの娘は生きているのね?」
「はい。見逃されたそうです」
「はー? 何で?」
思わず目を見開くラプラス。
本日二度目の予想外である。
ボルト獣帝国に喧嘩を売っておきながら、せっかくの使徒を仕留めるチャンスをふいにしたというのだ。
(何を考えているのよ、十番目は? まさか、皇国と獣帝国が同盟を結んでいることを知らないの?)
「おそらく……になりますが、確かに獣帝国には喧嘩を売りましたが、ラプラス様に喧嘩を売るつもりはありません、という意志を示したいのではないでしょうか」
「あー……あり得るわね」
ノインの指摘でラプラスも気付く。
そもそも十番目はどこの誰が使徒なのかを知らないのだ。
そうでなければ、使徒が二人――いや、正確には三人なのだが――いる獣帝国に喧嘩を売ることが、間接的にラプラスにも喧嘩を売っていることに気付かないわけがない。
(……早々に伯爵家を一つ滅ぼした奴のすることとは思えないほど小物臭がするけれど)
ラプラスとしては面白ければ何でもいいが。
「それで? 十番目はどこに?」
「アインスの連絡には『不明』とだけ。ただ、ゼクスの報告と合わせて考えますと、さらに南下したのではないかと思われます」
「ふーん……あら? 十番目とアインスが遭遇したのってエッグボーロ辺境伯領よね?」
「はい。その領都カステラです」
とても良い予感がした。ある意味嫌な予感だが。
辺境伯は大抵国境沿いに領地を持っていると言えば、ラプラスの何とも言いがたい気持ちが伝わるだろうか。
「さらに南って、何て貴族の領地だったかしら?」
「いえ、ラプラス様、エッグボーロ辺境伯領より南に貴族の領地はありません」
(あー…………確定しちゃったわ……)
「……ねえ、ノイン」
「何でしょう、ラプラス様」
「それってつまり――獣帝国じゃないってことよね?」
「そうですね」
「もっと言えばあいつの国ってことよね?」
「そうですね」
「……何て領地?」
「サイダー大司教領です」
「…………そろそろ現実逃避はやめるわ。つまり今頃十番目は――」
「メビウス法国にいるでしょうね」
(あー…………嫌な奴を思い出しちゃったわ……)
こういう時はアハトを愛でて落ち着くに限る。
ナデナデ……ナデナデナデ……ナデナデ……ナデ……ナデナデ……。
「……いかが致しましょう?」
ラプラスが落ち着くのを見計らってノインが意向をうかがう。
教皇であるにもかかわらず、こういう細かい気遣いもできる点こそ、ラプラスからの好感度が高い理由だった。
「とりあえず、アインスにはそのまま追わせなさい」
「彼女もラプラス教徒ですが……?」
「あの娘は『天道』と仲が良いし、大丈夫でしょ」
ラプラスの言葉にノインもなるほどと頷く。
「天道」とは、とある者にとっての使徒みたいな存在の一人で、妙にソレイユを気に入っている。積極的に庇ってくれるだろう。
もちろん、ラプラスにとっては業腹だし、理由も謎だが。
「でもまー、それだけじゃ弱いわよね……。ってか、そもそも十番目は何であいつの国に行ったわけ?」
「ゼクスが盗み聞きした内容によりますと、どうもかの国と因縁があるようです」
ラプラス第六使徒――死の氷ゼクス。つまりクリスのことである。
大人しそうに見えて、最も残酷かつ狂悪な使徒――なのだが、
(盗み聞きって……あの娘もあの娘で何しているのよ)
普段は若干、脳内がピンクになりやすい普通の女の子でしかない。
(にしても、因縁、ねー……)
実に面白そうなフレーズである。
「第七使――」
「ダメ」
最後まで言えずにノインの口は封じられた。
「それは、ダメよ、ノイン」
そして同じ言葉が繰り返される。
「アレは軽々しく動かしていい奴じゃないでしょ。塵も残らないわよ。何、
「少々焦っていたようです。申し訳ありません」
「そもそもアレを動かすには私が直接会話しなきゃならないじゃない。嫌よ、気持ち悪いから。ってか生理的に無理」
「重ね重ね申し訳ありません。浅慮でした」
ラプラス第七使徒。
顔も頭も良く、使徒としても強力無比な最恐の使徒だが、ラプラスにとっては思い出したくもないほど気持ち悪い変態である。
思わず出た重いため息が、ラプラスからの心証をよく表している。
「…………………………………………」
しばらくの間、ラプラスは無心でアハトを撫で続けた。
「……獣帝国にやらせなさい」
「はい……? 獣帝国に、ですか?」
「二度は言わないわよ。……まー、単なる小競り合い程度でいいわ。それでもあの
「……十番目を間接的に支援すると?」
「私に喧嘩を売りたかったわけじゃないんでしょ? 滅んだのも獣帝国の伯爵家だし、不幸な行き違いってことで不問にするわ。それに――」
――そっちの方が面白そうじゃない。
あいつを慌てさせられるかもしれない。
それだけで、十番目にベットする理由になる。
どうせ死ぬのは獣帝国とあいつの国の民だけだ。
幸いなことに、こじつけに使えそうな事件もあったことだし。
ラプラスにとって最も優先すべきことは、ただただ「自分が面白いと思うか否か」だけだった。
「かしこまりました。早急に第五使徒へ通達します」
そう言ってノインは足早に神殿から去っていった。
(あの
方針が決まった以上、ラプラスを邪魔する存在はいない。
だからもっともっと愛でよう、とラプラスがその頭を撫でたその時、
「……にゅ~ん……? あれ~……、ノインは~……?」
いつの間にか眠っていたアハトが起きてしまった。
(せっかく寝顔を堪能しようとしていたのに……。でも可愛いから許す)
「急な仕事ができて行ってしまったわ」
「そっか~……また……苦労………してるね~…………、ノインも~…………」
アハトの言葉の間隔が段々長くなっていく。
これは前兆だ。
(そっか……もうその時なのね……)
「…………ぅん…………もう……限界………………みたい~………………おやす…み…………な………………さ……………………」
「おやすみ――私の可愛いアハト」
アハトが静かに動かなくなる。
ラプラスの腕の中でアハトの命は燃え尽きた。
「――戦争がしたい」
唐突でまことに申し訳ないが、そう呟いたのはこの部屋の主だった。もっと言えば、この部屋がある城の主でもあった。
ちなみに、今日だけでもう五回も同じことを言っている。
その日も、いつものように城の主の執務室で共に書類と格闘していたジェームス・ビスタ・クラッカーは、もはやため息をつくことすら面倒だった。
とはいえ、外は快晴だというのに、男二人で部屋に引きこもってそんなことをしているのだ、城の主がストレスを抱えるのも無理はない。無理はないが、一日に何回も同じことを言うのは勘弁してほしかった。
「…………」
「戦争が、したい!」
六回目である。
「……またそれですか、陛下。何度も言いますが、無理です」
そしてそれを切って捨てるのがジェームスの仕事だった。
「戦争が! したい‼」
七回目ともなるとその声もかなり大きくなる。城中に聞こえているのではないかと思うほどだ。
声の主――アルナイル・ビスタ・ボルトは、獣帝国の皇帝であり、自他ともに認める戦争バカであった。
「体力が有り余っているのはわかりました。ですが、戦争は無理です。またモンスター狩りでもすればいいではないですか」
「余を満足させられる獲物がそうそういるわけがなかろう!」
「わかった上で言ってんですよ」
うんざりしすぎれば思わず口調も怪しくなるというもの。
そもそも、この提案も苦肉の策である。
つい一月ほど前も、体力があり余りすぎたアルナイルは、マカロン公爵領の森深くに単身突撃し、討伐難易度A級のラースグリズリーと素手で殴り合っている。二匹の獣のぶつかり合いに恐れをなした周囲のモンスター達は、森から逃げ出し、街道へ向かってしまった。
ジェームスは慌てて近衛騎士団を動かし対処するハメに。何匹かC級やD級を取り逃がしてしまったが、どうやら通りがかった冒険者が討伐したらしく、特に被害がなかったのは不幸中の幸いだったが。なお、この場合の「被害」に違法奴隷は含まれない。
「ぬぅ……ならば余を満足させられそうな獲物を探してまいれ。三日だけ待ってやろう」
「また無茶苦茶なことをおっしゃいますね……」
(近衛隊を総動員すれば可能であろうか……いや、無理であるな)
せめて一週間あれば何とかなるかもしれないが、このバカが「三日だけ」と言った以上、意地になって譲らないのは明白だった。
実のところ、こういった時の最終手段がなくもない。だが、ジェームスとしては、その者に借りをつくるのはなるべく避けたかった。
(……ソレイユ殿が近くにおれば頼むのであるが……うーむ……)
その頃、ソレイユが唐突な寒気を感じたのは言うまでもない。
ノックの音が響く。
アルナイルの悪癖を何とか止めるため思い悩むジェームスと、悶々とした気持ちを何とか抑えようとして間違いなく失敗しかけているアルナイルが執務に励む部屋に。
さすがの二人も追加の書類に対する憂鬱とした気持ちだけは共通していた。
「……入りたまえ」
アルナイルのトーンも下がる。
「失礼するけど」
入ってきたのは意外な人物だった。
薄紫色の髪を丁寧に二房に結い、吸い込まれそうなほど黒々とした瞳と、鮮血を思わせる真っ赤な瞳のオッドアイを輝かせ、何だかよくわからないが凄そうな刺繍が施された黒いローブを羽織っている。
「アシヤか、珍しいな。何用か?」
何を隠そうこの者こそ、獣帝国が誇る宮廷呪法師長ルチカ・アシヤである。
(見た目は二十歳くらいの美女であるが、実年齢は――おっとこれ以上はやめておくのである)
ジェームスはまだ死ぬわけにはいかなかった。
口には出していないのに睨むとは、勘が鋭すぎて怖い。
「別に用ってほどでもないけど。ただの中継役だけど」
「もしや宣戦布告か! どこの国からだ!?」
「そんなわけないんだけど」
ルチカがバッサリ切り捨てると、アルナイルはあからさまに落ち込んだ。
ちなみに、このルチカこそ、ジェームスが借りをつくりたくない「あの者」――最終手段である。ルチカは非常に強い。いや、強いというかエグい。
「ジェームス……余は、戦争が、したい……」
八回目。アルナイルの目はもう死んでいた。実に順調である。
「まだ言いますか。いい加減諦めてください。といいますか、諦めることを覚えてください。アシヤ殿からも言ってもらえませんか?」
ジェームスがそう言うと、ルチカは肩をすくめて首を振った。
横に。
嫌な予感しかしないジェームス。
「宰相閣下には悪いけど――」
なお、ジェームスは獣帝国の宰相である。
偉いのだ。偉い、はずだ。
「――ラプラス皇国からの通達だけど」
「……! ほう、何と?」
ルチカの言葉に、アルナイルの目が生き返る。
「メビウス法国にちょっかいかけろってだけど」
その瞬間、アルナイルは勝者のように拳を振り上げて立ち上がり、ジェームスは敗者のように頭を抱えた。
獣帝国は皇国に対して弱い。軍事的にではなく、立場的にだが。
だが、ジェームスとしてはまだ諦めるわけにいかない。
「待つのである。皇国からの通達だけで戦争をするわけにはいかないのである。戦争にはきちんとした理由が必要なのである」
もはや完全に口調が崩れてしまっている。
だが、こう見えてジェームスはアルナイルと
「それも皇国からの通達にあるけど。サーターアンダーギー伯爵家? の件を使えって書いてあるけど」
「ノォォーである……」
そういえばその件があったのである、と再び頭を抱えるジェームス。
一夜にして伯爵家が滅ぶという前代未聞の事件があった。すでに発生から二週間以上経っているが、誰がどうやってやったのか全くわかっていない。
つまり、メビウス法国がやったと言い張っても誰も否定できない。
(誰であるか、こんな悪質なこじつけを陛下に教えたのは!)
内心憤るジェームス。
もちろん、直接教えたのはルチカだが、そのルチカも皇国からの通達を読んだだけだ。ということは皇国の何者かになるが、ならば下手人は決まっている。
あのやたらキラキラした教皇に違いない、とジェームスは確信する。
(おのれ教皇! である!)
「ジェームスも納得したことだし、余は早速国境に向かうとしよう」
「ぐぬぬ……! はあ~……仕方ありませんね。ただし、あくまでちょっかい、単なる小競り合いです。くれぐれもお忘れなく」
「わかっておるわかっておる」
本当にわかっているのだろうか、この脳筋皇帝は。
こんなに苦労しているのだから、皆にもっと褒められてもいいはずである――とジェームスは思っていた。
「余が出れば、あやつも出てこよう。久々に派手に
「あ、ルチカも行くけど」
「はいはい、アシヤ殿もいってらっしゃいませ」
意気揚々とアルナイルはルチカを伴って出ていく。
一人執務室に残ったジェームスは、嫌々ながら国境軍への指令書と法国への宣戦布告書を書くことにした。
こうして――いつものことながら、戦争は民とは無関係に始まった。
(全く……頭の痛いことであるな)
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