第10話   強すぎる光は進むべき道を見えなくする(後)

 ハッと気が付くと、ソレイユの目には見覚えのある天井が映っていた。左右に目を向ければ、やはり見覚えのある壁がある。

 そこは間違いなく見覚えのある部屋で、ソレイユはその部屋のベッドに寝かされていた。

「――大丈夫ですか、ソレイユさん?」

 上から覗き込んできた顔に、ソレイユはそこがどこかすぐにわかった。

 何のことはない、冒険者ギルド支部の救護室だった。

「…………あ、ああ……大丈夫だ」

 だが、ソレイユの頭は困惑でいっぱいだった。

(なぜ、私はこんなところに……?)

「良かった……。本当に驚きましたよ、突然担ぎ込まれた時は」

「担ぎ込まれた……?」

「はい。道端で倒れていたって……何があったんですか?」

 そう言われ、必死に記憶をさかのぼる。

(確か私は……最近の日課通り、ザインザードとカロンとの待ち合わせ場所に向かって――)




領域ゾーン

 ザインの足下から、妙に黒い影があっという間に広がっていく。ザインの力は影を操るものだ。つまり、自身に有利な環境をつくるための一手である。

 だが、これは同時に隙でもあった。広がりきるまでは何もしないと言っているようなものだからだ。

 当然、ソレイユもそのことに気付いた。A級は伊達や酔狂ではなれない。

 背中の矢筒から新たな矢を取り出す――ふりをして、同じく背中のベルトに留めている槍をぶん投げる。

「っ! ウォール!」

 矢をつがえて放つよりは動作が一つ少なく、ソレイユとしては不意を突いたはずだった。

 だがザインは機敏にもそれを防ぐ。影の壁が形成されるまでの時間はソレイユの想像よりも遥かに早かった。

「初手で武器を捨て――」

 それでも問題はない、とソレイユは断ずる。

 問答の流れで放った矢は足を狙っていたにも関わらず、影の壁はザインの姿を完全に隠していた。必要のない部分まで守る――明らかに無駄だ。

 つまりあれはブラフではなく、そうせざるを得ないのだと、わずか一度でソレイユは看破していた。

 だから、影の壁でザインの視界が塞がれた隙を狙い、頭上から飛んでくる曲射を最速で放つ。

「……っ! スフィア!」

 球状に展開された影がまたしても矢を防ぐ。

 展開速度が早いということは、消滅速度も早いということだ。影の壁を消した瞬間、ザインはソレイユの弓が上を向いていたのを見ていた。

 にもかかわらず、影の球の中でザインは歯噛みする。

 壁と球――ザインの主な防御手段はこの二つしかない。どちらも早々に見せてしまった。しかも最速の展開速度を。次は確実に対処される。

 だからといって、次があるとは限らないが。

 ソレイユはとっくに地を蹴っていた。

 球状の影が消え――刹那、ザインの首に鋼の刃が迫る。

 壁は間に合わない。

「くっ、パイル!」

「これも防ぐか……」

 ザインはとっさに上体を逸らし、刹那すら制して棒状の影――杭が割り込み刃を阻んだ。壁よりも遥かに展開速度が早い。

(賞金首の股から頭のてっぺんまで串刺しにされたような傷跡は、足下からこれで攻撃されたからか……。グラトニーウルフの頭部の穴もおそらくそうだな)

「――なるほど、『武芸百般』とは誇張ではないな」

「当然だ」

 ザインからすれば、突然、ソレイユが目の前に現れたようなものだった。とっさとはいえ、よく防げたなと内心苦笑するしかない。

 至近距離で互いに睨み合う。

「初手で武器を捨てるとはいい度胸だが、悪手ではないか?」

 ザインは先ほど言いかけたことを繰り返し、

「問題ない」

 そしてソレイユはそれを切って捨てた。

「私の槍はあれでも魔術道具でな――」

「――っ!?」

 槍を留めていたベルトに魔力が流れる。

 同時に、ザインの視界の隅で何かが動いた。

 地面に落ちていたはずの槍がひとりでに浮いている。槍は導かれるように空中を浮遊すると、さも当たり前のようにソレイユの背中へと戻った。

 当然だが、ソレイユの手は二本ある。剣を左手に持ち替え、槍を右手でつかみ――

「ちっ……! バインド!」

 瞬間、足下から危険を感じたソレイユは、とっさに後ろに向かって地を蹴った。

 地面の影から黒い縄が何本も飛び出し、直前までソレイユがいた空間を締め上げる。直感に従わずとどまっていれば、ソレイユは捕まっていただろう。

(おそらく、これが子爵令嬢の証言にあった「動けなくなる謎の魔法」の正体だな)

 少しずつ「異端の影」の力が引きずり出されていく。

 まだ杭も縄も残ったままだ。防御に割く余力があるか確かめるため、

「――ジャベリンとして使うのが、最も適しているのだ!」

 後ろに跳んだ勢いそのまま、ソレイユは右手の槍をぶん投げる。

スフィア! そんな使い方でよく壊れんな!」

「私もそう思う!」

 球状の影がそれを防いだ。

(杭状の影や縄状の影が残っていても、球状に影を展開できるのか……。攻防一体とはまた違うが、厄介だな)

 冷静に分析を進めるソレイユ。

 これまでに見たのは壁、球、杭、縄の四つ――

(む? 待てよ……なぜ一々壁を消すのだ?)

 その時、ふと、ソレイユの脳裏に疑問が浮かんだ。

 確かに壁は視界を遮る。だが、それならば、邪魔な時は遮らない位置に動かすのでもいいはずだ。影を操るのが「異端の影」の力なのだから。にもかかわらず、ザインは毎回壁を消していた。

 確認すれば、杭も縄も消えている。

(もしや――移動させられないのか?)

 もう一つ、杭の使い方もおかしい。刹那すら制する速度で展開できる技なのに、なぜそれを利用して射出しないのか。

 使徒の力は魔法ですら不可能なことを実現する。ソレイユはわりと何でもありだと思っていた。もしもそれが思い込みだとしたら?

 もしも、「異端の影」は展開した位置から動かせず、しかも必ず地面と接触していなければならないという制限があるとしたら?

 ザインには遠距離攻撃手段がないということであり、ソレイユは弓に持ち替えれば一方的な防戦を強いることができるということでもある。

 まだザインは球状の影の中にいる。試すには絶好の状況だった。

「…………」

 静かに剣を鞘に納め、右腰の弓を取る。矢筒から取り出した矢をつがえ――一息に放った。

 影の球に当たる。

 反撃は――ない。

 勝ったな、とソレイユは頬を歪めた。

 代わりに言葉の応酬が始まる。

「というか、貴様、先ほど完全に取りにきたな!? 面通しが目的ではなかったか!?」

「首だけでも面通しはできるからな! 何、安心しろ、カロンちゃんはちゃんと引き取ってやる!」

「……貴様、そっちが主目的ではないだろうな!?」

 勝利の確信に、思わず浅ましい願いが表に出てしまったらしい。

「…………そんなわけないだろう!」

「今の妙な間は何だ!?」

「何のことかわからないな! それより、いつまでそうして閉じこもっているつもりだ? 魔法じゃないにしても、限界はあるだろう!」

 怒鳴り返しながらも矢を放ち続ける。

 使徒の力は魔力を必要としない。

 だが、だからといって無限に使い続けられるわけではない。

 ソレイユが矢を放ち続ければ、いつか必ず限界が訪れ、ザインは防御手段を失う。

「限界があるのは貴様も同じだろうが! これまでに何本使った? そろそろ矢筒が空ではないか!?」

「心配するな、魔力で矢を創るなど造作もない! 魔力が続く限り放ってやろう!」

「貴様、それができるならなぜ矢筒など背負っている!?」

「バカが引っかかるから以外に理由があるとでも!?」

 もちろん、エルフは魔法や呪法の才能が高い傾向にある。魔力量だけなら狐系獣人以上だ。魔力で矢を創るのはそれなりに消耗するが、それだけなら二日は戦える自信がソレイユにはあった。

「そして当然、私は魔力回復ポーションを常備している! しかも上級を三本だ! これで四日はぶっ通しで放ち続けられるな!」

「体力の限界を加味しなければな!」

「それでもお前より先にバテることはない! さあ、どうする!?」

(さっさと諦めて大人しく投降しろ!)

 ザインはすでに詰んでいる。球状に影を展開している状態では動けない。だが、矢が放たれ続ける限り、防御し続けなければならない。

 ただし、あくまでそれはソレイユの視点で見た場合だった。

 ザインの周囲に展開している影が少し小さくなる。

(何だ……? 思ったより限界が近いのか……?)

 ソレイユがいぶかしんでいる間にも、影は少しずつ小さくなっていく。

 そしてついに影が人間大になったその時、

メイル

 ザインは影を纏ったまま、静かに一歩踏み出した。

 影が少しずつ、鎧の形に変わっていく。

 そして同時に、変わらず矢を弾き続ける。

 ついに完全な鎧となった瞬間、初めてザインザードが地を蹴った。

(そんなバカな……!? 影は展開した位置から動かせないはずだ! いったいどうやって影の鎧を纏ったまま走っている!?)

 放たれ続ける矢を無視して、全身を影の鎧で覆ったザインが迫る。

 ソレイユはもはや弓では無理だと判断し、剣に持ち替えた。ザインが動けないことが前提の戦術だったからだ。

 先ほどまでとは違い、今度はソレイユが近距離戦を強いられることになった。

 影の籠手を纏った拳が、幾度となくその身に迫る。

(――強い!)

 それがソレイユの率直な感想だった。

 拳は決して速くない。避けるだけなら余裕だ。

 だが、ソレイユは次第に追い詰められていった。

 何しろ、反撃しようにもことごとく鎧で弾かれる。有効な攻撃手段は兜のスリットを狙ったもののみ。狙いが明確である以上、それを防ぐのは容易だ。

 一方、近距離戦を強いられたことで、影の鎧を纏ったまま素早く動ける秘密に気付いてもいた。

 仕掛けは実に単純明快。何のことはない、左足首の後ろに影の縄がつながっていて、元居た位置からそれをとにかく伸ばし続けていただけだった。

 もっと言えば、ザインは足首から下を影で覆っていなかった。まあ、黒く頑丈な靴である上に、そこを狙う隙など皆無なのだが。

「よもや格闘術のみで私と渡り合えるとはな!」

 ザインは何も返さなかった。ただ的確にソレイユを追い詰めていった。

 ついにその拳が獲物をとらえる。ソレイユは剣で防ぐしかない。

 瞬間、スリットの隙間から覗くそれと目が合った。

 影の兜の中で金色の双眸が笑う。

 そして拳と剣が激突し――

杭打パイルバンカー――!!」

 金属と骨がきしむ嫌な音と共に一方が吹っ飛んだ。

 ソレイユには何が起きたかわかっていた。

 拳と剣が激突した瞬間、ザインは拳から杭を生やしたのだ。いや、打ち出したと言うべきか。

 ソレイユにとっては予想外の攻撃だった。

 それでもソレイユは踏ん張った。まだ膝をつくわけにはいかない。剣や手も使い、姿勢を整えて衝撃に耐え続ける。

 それが間違いだとも知らずに。

 完全に止まったことを確認し、ソレイユは顔を上げ――

「――スラッシュ

 刹那、視界の端に黒い線が映った。とっさに剣で防いだのは本能の為せる技だった。

 それでも黒い線は止まらない。

(曲がっ――!?)

 そして致命的な音が響く。

「――くははっ、今のを避けるか、貴様!」

 確殺のつもりだった一撃を避けられ、それでもザインは笑う。

 まさしくそれは絶技を超えていた。二度と同じことはできないと確信するほどに。

 黒い線は確かに剣で受け止められた。だがその線は、そんなことは無駄だと言わんばかりに、剣を支点に曲がったのだ。

 間違いなくあの刹那、ソレイユには死が見えていた。

 その命を救ったのは、衝撃に耐えるため剣を逆手で持っていたこと、ただそれだけだった。

 とっさに黒い線を防いだ時、剣の柄が線より上にあったのは、逆手にもっていたからこそ。だから、柄で線をおさえるようにしてその場で飛び跳ね、横転宙返りをするなどということができた。

 代わりに、アングリーベアーの首を一撃で刎ね飛ばした黒い線に挟まれ、剣は完全に折れてしまったが。

 一気に荒くなった呼吸を必死に整える。

 わずかでも遅れていたら、間違いなく体のどこかが切り落とされていた。想像し、恐怖に心がしぼむ。

 剣は失われ、弓は効果がない。となれば槍を使うしかない。

 まずは槍を背中に戻さなければ、とソレイユはベルトに魔力を流したが、

「おっと、それは困る。ハンド

 ひとりでに浮いた槍は細長い手の形をした影によって奪われた。

「……ちっ、無茶な使い方に耐えるだけあってさすがに頑丈だな……このままにしておくしかないか」

 ザインとしてはそのままへし折りたかったのだが、すぐには無理そうだった。

 とはいえ、槍を奪ったことに変わりはない。

「さて、どうする? 貴様に残された武器は弓だけになったが」

「…………まあ、無理だろうな。逃げながら矢を放つにしても、完全に無視できるお前より、全て避けねばならない私の方が先にバテるのは明らかだ」

「ではこれで終わり――」

「じゃない」

「――何……?」

 これ以上、何ができるというのか。

 ザインは首を捻るが、ソレイユにとっては相当な覚悟をもって発した言葉だった。

(うっかり殺してしまうかもしれないが――まあ、ザインなら問題あるまい)

 自問自答しつつ、周囲を改めて確認する。

 間違いない。領都からも街道からも遠く、見ているのは少し離れたところでアワアワしているカロンだけだ。

 それはあまり使いたくない力だった。そして、あまり他人に見られたくない力だった。

「さっきのは本当に死ぬかと思ったぞ。しかし、お前も命を狙ってきたのだ、死んでも文句はないだろう?」

 警戒するザインを嘲笑うように、ソレイユはただ手のひらを掲げる。

 そう、太陽に向かって。

「光武創製――」

「っ! バインド!」

 何もさせまいと、影の縄で捕らえようとするザインだったが――全くもって遅い。

 一瞬の後、影の縄は、いつの間にかソレイユの手の中で輝いていた一振りの刃によって、ことごとく斬り裂かれていた。

「――ソード」

 ソレイユがラプラスより与えられた力は、あらゆる武具を創り出すもの。触媒は光。集束した光を武具と成す。

 まさしく光の速度で。

「……! 魔力も無しに魔法ではあり得ん現象を起こすその力――貴様、ラプラスの使徒か!!」

「いかにも。私はラプラス第一使徒――創製の光アインス。ああ、お前は名乗らなくていい。知っているからな。十番目――異端のザイン」

「ただ調べただけではわからんことまで知っているのが不可解だったが、なるほど、使徒なら話は別だ。何しろ皇国が後ろにいるんだからな!」

(む、しまった……せっかく直感と言い張って誤魔化した情報源がバレてしまった)

 全てはあとの祭りである。致し方なかったと自分で自分に言い訳するしかない。

 まあ、「遠見の鏡」を持っていることがバレなければいいか――とソレイユは切り替えることにした。

「……じゃ、続きをしようか」

 あるいは黙秘とも言うが。

「光武創製――アロー」

 光の剣を手放し、今度は矢を創り出す。

「……ウォール

 影の壁が展開されてなお、その動作に乱れはない。

 弓につがえ、解き放つ。

 ただ真っ直ぐに。

 影の縄を斬った時、ソレイユは一つの確信を得ていた。

 「創製の光」は――「異端の影」と拮抗すると。

 その矢じりが影の壁に触れた瞬間、光の矢は消滅した。だが、そこにもう遮るものは何もない。内側に隠されていた魔力の矢は影の壁を貫通し、ソレイユの目には向こう側の景色が映っていた。

 先ほどまで弾かれていたはずの矢がなぜ貫通したのか。言うまでもなく、どちらも使徒の力だからである。

 当たり前のことだが、本来、影は物理的な影響力を持たない。ではなぜ、「異端の影」が影響力を持つのかといえば、使徒の力で無理矢理持たせているのだ。使徒の力が影のように見えている、と言ってもいいかもしれない。

 その点は「創製の光」も同じだ。

 互いに使徒の力であることは同じなのだから、ぶつかれば相殺されるのは当然の結果というわけだ。

 ソレイユがそれに気付けたのは、影の縄を斬った時にただの縄のような感触だったからだ。実は同じ使徒と真っ向から戦うのは初めてのことで、使徒の力同士が拮抗することを、ソレイユは今の今まで知らなかった。

 ちなみに、光は高密度に集束すれば恐ろしい熱を放つが、そうした場合、ソレイユ自身も傷ついてしまうため、「創製の光」はあくまで光で武具を形成する力である。

 一方、「異端の影」はどうかというと、あれはもっと単純だ。たとえば影の壁だが、壁のように見える上に、ザイン自身も壁と呼んでいるため勘違いしそうになるが、実のところあれに厚さはない。斬撃がただの黒い線であったように、根本的に「異端の影」もあくまで影でしかない。だからこそ展開速度も速いのだが。

 いずれにしても、使徒の力が相殺されてしまえば消滅するしかない。光の矢の内に内に秘められた魔力の矢が貫通したのはそういう理屈だった。

 まあ、当然のごとくそこにザインの姿は無いのだが。

 横にズレたか、それとも這っているのか。

 もう一度矢を放ってもよかったが、それでは芸がない。「武芸百般」の称号が泣く。

「光武創製――」

 だからソレイユは、その称号の意味するところを存分に味合わせることにした。

「――モーニングスター・フレイル!」

 光が集束し、棘付きの鉄球と柄、そしてその二つをつなぐ鎖を創り出す。

 もちろん、鉄球部分は一回り小さい魔力の鉄球入りだ。

 左手で柄を握り、右手で鎖をつかむ。

 そして鉄球はソレイユの頭上で惑星のように数回転した後、影の壁を紙屑のように粉砕した。

「…………一言いいか?」

 果たしてザインは、這ったまま少しずつ後ろに下がっている途中だった。

 実に無様で滑稽な恰好である。

「何だ? こちらは今のお前の姿について、非常に煽りたいところなのだが」

「それも後でいくらでも聞いてやるが、もっといい煽りネタだ。……今、魔力が扱えんことを切実に悔やんでいるところだ」

「……ふふっ、ざまあないな!」

「それとついでにもう一つ。貴様の光、理不尽すぎんか?」

「お前にだけは言われたくない!」

(私の光も大概だが、壁だの球だの杭だの鎧だの手だの、果てにはよく気付けたなと今でも思う上に新しいトラウマを与えてきたただの線!)

 ザインの影は自身の光以上に千変万化だと少しだけ嫉妬するソレイユ。

「光武創製――アロー。……それで、今度こそ諦めるか?」

 再び光の矢を創り出し、頭に狙いを定める。

 一方のザインはというと、

「……使徒の力の使い方を最初に考えた時、俺は一つのものを捨てることにした」

 這った姿勢のまま何やら語り始めた。

「それがあるとどうにも十全に使いこなせん気がしてな。そしてどうやらそれは正解だったらしい。捨てきれておらん貴様を見て確信した」

「……何が言いたい?」

 問うとザインは鼻で笑い、

「いやなに、貴様が使徒の力を得ながら、未だ『人として戦うこと』に囚われすぎているのが滑稽なだけだ」

「……っ!」

 思わずだった。いつの間にか矢が放たれていた。

 ソレイユ自身もわからなかった。

 ザインの指摘が図星だったから、という理由が。

パイル

 最初から狙っていたのだろう。放った本人にとっても不意に放たれた矢だというのに、ザインは影の杭で自身を打ち上げて避けてみせた。

 その上、空中で後方宙返りし、整った姿勢で着地する始末だ。

「……余裕のつもりか、ザインザード・ブラッドハイド」

「無論、余裕だとも、ソレイユ」

 静かだった。静かに睨み合っていた。

「こと戦いにおいて、手札というものはなるべく隠しておくものだろう?」

「当然だ。付け加えれば、その上で多ければ多いほどいい」

「わかっているではないか」

 金色の双眸が再び笑う。

 ソレイユはただ弓を構えて返した。

 つまり、ザインにはまだ手札が残っているのだ。

 最大限警戒するソレイユの視界がとらえたのは、ザインの足下から生える手の形をした影だった。

 ため息がこぼれる。

「……何かと思えば……それはもう見――」

 だが、ソレイユは最後まで言うことができなかった。

 ザインの足下から、手がもう一つ生えたからだ――いや、それも正確ではない。

 手、手、手手、手手手、手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手手。

 警戒するソレイユを嘲笑うように、その視界が影の手で埋め尽くされていく。

「――百手ハンドレッド

 弓を構える手が震えていた。

 いつの間にか強く歯を食いしばっていた。

(ほら見ろ、お前の影の方が、理不尽じゃないか……!)

「……さて、最後に一つ訊きたいんだが」

「…………何だ……!?」

 挫けそうになる心に鞭を入れ、それでもソレイユはザインを睨む。

「これまでの戦いを振り返るに、どうも貴様は使徒の力をあまり見せたくないようだが、俺に対しては使ってきたな。そうまでする理由は何だ?」

「決まっている――」

 そうだ、答えは決まっている。

 その問いに対してなら、ソレイユは何度でも即答できる。

 あの日――故郷を滅ぼされたあの日から、

「――私は、理不尽に命を奪われることが何よりも嫌いなのだ‼」

 もはや憎しみと言っても過言ではないほどに。

「ほう……奪う者が、ではなくか」

「っ!」

「やはり真っ直ぐだな、貴様は。人としては正しい道だ。が、最善の道だとは思えんな」

「何だと……!?」

「おっと……勘違いするな、貴様の在り方を否定しているわけではない」

 怒りに任せて放たれた矢は、わずか二本の手に相殺された。

「ただ、そうだな……貴様は使徒の力という光を手に入れた。頭上に輝く無二の光だ。貴様ならば、それで多くの人を照らし、多くの人を救えるだろう。だが、その輝きは強すぎる。貴様は頭上を見上げてばかりで、視界を光のみで潰し、進むべき道を見ておらん。真っ直ぐ走るのは構わんが、太陽を見て走っても太陽は得られんぞ」

「……何が言いたい……?」

「俺が貴様に塩を送ると思うか? 在処を暗示してやっただけでも感謝してほしいものだ。が、あえて言うならば――言葉遊びにしか聞こえんかもしれんが、貴様はもっと『理不尽』になるべきだな」

 放たれた矢はやはり相殺された。

 二度目ともなれば、ソレイユもさすがにその理由に気付く。気付きたくもなかったが。

 定期連絡を寄こすあのまとめ役――ノインにも常々言われていたことだ。

 未熟。

 実のところ、ソレイユは使徒の力を十全に使いこなせていない。光を集束し武器を創り出す力は確かに特異なものだが、それを強力たらしめているのはあくまでその技量だ。だが、使徒の力はそれのみで「理不尽」を実現する。しなければならない。ソレイユの技量あってこその力など、使徒にとっては無いも同然なのだ。

 それを指摘された。しかも二度も。

「それで――覚悟はいいか?」

「ぐっ……!」

「言うまでもなく貴様の手は二本だけ。対してこちらはご覧の通りだが――まあ、せいぜい足掻くことだな」

「……っ! ザインザード・ブラッドハイドォォォオオオオオオ!!!」

 そこから始まったのは、まさしく蹂躙だった。

 理不尽だった。

 ソレイユは諦めることなく最後まで足掻いた――いや、本当は最初から諦めていたのかもしれない。

「光武創製――シールド!」

「くははっ、盾まで出せるのか、貴様!」

「ぐぅ……っ! お前……最初からこれを使えば私に勝つことなど容易かったはずだ! なぜ使わなかった!?」

「何を言うかと思えば……手札はなるべく隠しておくものだと言ったばかりだろう。本当ならメイルまでで勝つつもりだったんだがな」

「その言い方――まだ手札が残っているのか!?」

「無論だ」

 その理不尽ですら、ザインにとって切り札ではなかった。

 一方のソレイユは、持ち得る手札の全てを出したが、文字通りさらけ出しただけだった。

 意識が暗闇に落ちるまでに、いくつの影の手を潰したか覚えていない。ただ、無数の影の手に体中が覆われていく気色の悪い感触だけが、今もソレイユの心にこびりついている。

 その日ソレイユは、完膚なきまでに負けた。




(――そうだ、思い出した……!)

 何がどうなってこうなったかを思い出し、ソレイユは深いため息をつく。

 ソレイユは負けたのだ。しかも使徒であることを明かした上で。

 殺してしまっても構わない気持ちで戦ったつもりだ。ザインも同じだったはずだ。だというのに、なぜかソレイユは生かされていた。

 そう、生かされたのだ。見逃されたのだ。一方的に仕掛けておきながら、殺し合いの果てに些事だとみなされたのだ。

 これほどの屈辱を味わったのは初めてだった。武芸に生きる者として、それ以上の侮辱はなかった。

 だが、なぜか、不思議と憎くはなかった。

 ――人として戦うことに囚われすぎている――

 その言葉が今も胸に響いているからだろうか。

「あの、ソレイユ様、こちらを……」

「……?」

 差し出されたのは一通の手紙だった。

 ザインにしては律儀なことに手紙を残していたらしい。しかもわざわざ冒険者ギルドの受付嬢に預ける念の入れようだで。


〈前略 ヒマワリちゃんへ

 おそらく目覚めたばかりの貴様は、なぜ生かされたのかという困惑でいっぱいだろう。故にそれへの回答を預けておく。

 単に面倒だからだ。

 貴様は未熟だが、ラプラスの使徒だ。命まで奪えば皇国を完全に敵に回す。獣帝国程度ならいざ知らずだが、それは困る。草々

 追伸:勝利の証として貴様の光を少しもらっていく〉


 本当に預ける必要があったかどうかまでは、ソレイユのあずかり知るところではない。

 ちなみに宛名はソレイユの名の由来である。手紙でまでおちょくってくるな、と読む前に破きたくなったのは無理もない。

 一方で、追伸には非常に焦った。まさか使徒の力を奪うことまでできるのか、と。

 もちろん、違う。ソレイユもすぐに気付いた。同時に焦りは怒りに変わったが。

 ザインが勝利の証としてもらった光とは――髪の毛のことだった。つまり、バッサリ切っていったのだ。透き通るような金色の長髪は密かな自慢だったのに。

 鏡を見たソレイユは愕然とするしかない。

 しかも「勝利の証として」ということは、ずっと持ち歩いているということである。どう考えても変態の発想だ。

(殺す! やはりザインザード・ブラッドハイドは殺さねば! そしてカロンも魔の手から救い出さねば!)

 とはいえ、今のソレイユには無理だ。

 ザインの発想にすら追いつけていないようでは、再び負けることになるだろう。

 今度は何を勝利の証とやらにされるか。あの変態のことだ、純潔を奪われるかもしれない。

 ――もっと理不尽になるべきだな――

(全く……どうしろと言うのだ……。あんな理不尽は、私には無理だぞ……)




「……酷い風評被害を受けた気がする」

「???」

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