第2話   隣の新人はよく飯食う客だった(前)

 クリスの勤め先はラプラス皇国の皇都エミールにあった。言わずもがな、ラプラスの神殿がある都市だ。

 そこでは、戦いを生業とする者達が日々仕事を求めて詰めかけ、そしてわずかばかりの金銭と引き換えに命を懸けた仕事へと向かっていく。

 時にはモンスターと戦い、時には盗賊と戦い、大半は薬草とか肉とか何かしらの素材を持ち帰ってくる。

 働き始めたばかりの新人として街中の雑用をこなす者もいれば、もっと危険度の高い仕事を求めて皇都を去る才能ある者もいる。

 そして、時折二度と帰ってこない。

 そう、クリスが働いているのは、コルピタゲム大陸冒険者ギルド本部――ではなく、併設されている酒場だった。

 美人の受付嬢とかではなく、ただの酒場の店員である。

 冒険者ギルド本部とは、その名の通り、各地の支部を管理指導する機関だ。依頼の受付や素材の買取なども行っているが、基本的には冒険者が来るところではない。なのに、なぜ酒場が併設されているのか。真相はクリスも知らなかった。

 そもそもここ皇都エミールは周辺に危険なモンスターがおらず、仕事を求めてやってくる冒険者も新人ばかりだ。

 そうなると当然、お金などさほど持っておらず、いくらギルド直営の酒場とはいえ、それなりの値段がするここには来ず、もっと安くお腹いっぱい食べられる大衆食堂へと行く。

 必然、職場に来るのはギルドの職員か、新人から脱却しかけていて多少は余裕のある冒険者のみ。日々、閑古鳥が鳴いていた。

 本当に、なぜ酒場が併設されているのか。

 それでも潰れないのは、やはりギルド直営である強みなのだが。

 ちなみに、この世界の冒険者ギルドは各国に一つの本部がある。ただし、横のつながりがないわけでもない。言ってしまえば、冒険者という国際ライセンスを発行し、管理している国ごとに独立した国際機関だ。

 では、なぜそんな酒場でクリスが働いているのかというと、有り体に言えば「コネ」、あるいは「しがらみ」だった。

 何を隠そうクリスの父親もここで働いているのだ。

 職場は酒場ではなく隣のギルド本部だが。

 特にやりたい仕事もなく、スネをかじっているだけだったクリスに業を煮やし、父親が半ば無理矢理ここで働かせ始めたのだ。

 とはいえ、特に忙しくもなく、客といえばほぼ父の身内みたいな職場なため、今となっては割と気に入っているクリスだった。

 だが、その一方で、忙しくないことが悪い方向に働き、有望そうな新人冒険者とのラブロマンスを狙いながら、日々、クリスはギルドの受付を覗いて暇を潰していた。

 もちろん、客のいない時間帯だけだが。

 ザインが現れたのはそんな時だった。

 そもそもこの時間にギルド本部を訪れる者というのは、仕事の依頼者かギルド幹部に用事のあるどこぞのお偉いさんくらいだ。

 だから、ボロ布をまとっただけの(ように見える)ザインは非常に目立った。

 クリスも最初は、昼前から酔っ払った乞食が間違えて入ってきたのかと思っていたが、ザインの足取りはしっかりしていて、格好の割に頭髪は清潔だったために、どうやら田舎の金のない依頼者のようだと認識を改めた。ちょっとほこりっぽかったのは、きっと街の外から来たばかりだからだ、と都合の良い方向にも。言うまでもなく、ほこりっぽいのは上から落ちてきて石造りの通路を壊したからだ。

 とはいえ、依頼者のように見えるのは間違いない。当然、受付嬢のミスティも「何かご依頼ですか?」と話しかけた。

「いや、登録を頼む」

 だがザインは予想外の答えを返した。

 この世界では、冒険者というのは、定職に就くコネもやる気も猶予もない十五歳くらいの若者がとりあえずで就くような仕事だった。

 もちろん、それ以外の理由で就く者もいるが、そういうのは一握りでしかない。

 一方、ザインはというと、背丈はまあまああったが、全体的に細く、力を第一に求められる冒険者に向いているとは思われなかった。さらに言えば、ザインの年齢はどう見ても二十歳くらいで、冒険者になるならもっと早く登録しているはずだった。

 とはいえ、それらを理由に登録を拒否することは規約上できない。

 ミスティも困惑しながら登録用紙を差し出した。

 だが、ギルドへの登録はタダではない。銀貨三枚とそれなりの金がかかる。

(果たしてあんなボロ布だけの人が払えるのでしょうか……?)

 などというクリスの思いは意外な形で裏切られた。

 金額を告げられたザインが、無造作に金貨を一枚置いたからだ。

 ちなみに大陸で流通している貨幣は、一番下が銅貨、銅貨十枚で大銅貨、大銅貨十枚で銀貨、銀貨十枚で大銀貨、大銀貨十枚で金貨、金貨十枚で大金貨、大金貨十枚で聖銀ミスリル貨になる。日本円に換算すると、銅貨一枚が十円ほどだろうか。だが、現代とは時代が違う。庶民が扱うのはせいぜい大銀貨までで、金貨は家を買う時くらいしか見なかった。

 だから、それを無造作に扱えるということは、ザインは金貨を見慣れているという証拠でもあった。

 そして、その瞬間、クリスはザインをただの田舎者から、事情もあるが金もある新人冒険者へとランクアップさせた。

(ですがまだです、まだ心を決めるには早すぎます。まだ将来性を確認していません)

 冒険者になるには試験に合格しなければならない。

 ちなみに、なれるかなれないかの試験ではなく、街の外で戦えるか否かの試験だ。

 この試験に合格しなければ、新人冒険者は街中の雑用を仕事にしながら訓練を受けることになる。

 実に良心的なシステムだが、大きな街のギルド支部には大抵このシステムが導入されていた。ギルド本部にも当然ある。せっかく冒険者になってくれた若者が早々に死んでは困るからだ。

 そして、この試験で合否を判定するのは現役の冒険者だった。

 とはいえ、大半の冒険者は日中何かしらの仕事をしている。

 昼前のこの時間帯にギルド本部にいるような冒険者は――

「あぁ? 試験? ……ずいぶんひょろいなぁ……こんなんやるまでもなく無理だろ、無理無理ぃ。こんな奴放っておいて俺と飯でも行こうぜ、ミスティちゃぁん」

 ――こういったろくでもない奴だけだった。

 右頬に傷跡があることが特徴で、それ以外はありふれた茶髪茶眼の男――D級冒険者グレイは、ガラも悪い上に根も悪い本当にろくでもない奴だと思われている。ガラが悪くても根は良い人ではない。重ねて言うが、ガラも根も悪いのだ。

 D級というのは新人から脱却しつつある冒険者が多いランクだが、このグレイはその素行の悪さからC級への昇格が見送られているため、実質的な強さはC級に近いと言われている。

 人殺しをしたような噂はさすがになかったが、酒場に来る客(つまりギルド本部職員)から暴行、恐喝、強姦、詐欺、見殺しの疑いがあるとクリスは聞いたことがあった。

 ではなぜそんな奴が今でも冒険者をやっていられるかと言うと、被害にあったと思われる冒険者がまだなりたての新人ばかりだからだ。

 そもそも根本的に冒険者は社会的地位が低い。皇都ヒエラルキーなるものがあるとすれば、その位置はスラム街の住民より一つ高いくらいで、突然いなくなれば気にはされるものの、積極的に探す人など身内以外まずいなかった。

 このグレイは、それを利用して新人冒険者を脅して被害を訴えさせず、一方で決してそれ以外には手を出さなかった。そう、スラム街の住民にすら。

 むしろ、スラム街の住民達を使って何かしているのではないかと疑われている。

 ミスティもあからさまに嫌そうな顔をして断っているが、グレイにとっては今の誘いもただのあいさつのようなもので、

「規則は規則ですので、ご協力をお願いします」

 自分の誘いを断った相手からこうして下手に出ている言葉を聞くのが目的だった。今もニヤニヤ笑いが三割増しになっている。

 酒場にも頻繁に来るが、クリスはグレイから誘われたことはなかった。ただの酒場の店員には興味がないということだろうか。

「ちっ、しゃぁねぇなぁ……ミスティちゃんの頼みだし、いいぜぇ、試験やってやるよぉ。ほら、行くぞぉ、新入り。裏の訓練場だ」

(ああ……お金を持っていそうな新人さんがグレイと共に行ってしまいます……)

 きっと酷い目に遭うに違いない。

 担架に乗せられて運ばれてくるかもしれない。

 もしかしたらすぐに辞めてしまうかも……。

 いくら将来性があっても、C級相当の実力者にいきなり勝てるはずもない。

 そんな風に憂いながら、気を紛らわすためにクリスがテーブルを掃除していると、裏の訓練場の方からグレイの汚い声が近づいてきた。

 まだ酒場にあるうちの半分ほどしか掃除し終わっていないにもかかわらずだ。

 ずいぶんと早い。

 新人さんそんなに酷いケガはせずに済んだのかな、と思ったクリスの目に飛び込んできたのはあり得ない光景だった。

 もちろん、グレイがボコボコにされて戻ってきたわけではない。それなら今頃ギルド本部内は大騒ぎだ。

 グレイがやりすぎないように監視していた職員達も困惑しているのは、それがあまりにも不思議なことで、意味不明なことだったからだ。

 あのグレイが。

 あのガラも根も悪いグレイが。

 ザインの肩に腕を回して嬉しそうに笑っている。

「いやぁ、まさかあの家の方だったとは! それならそうと早く言ってくださいよ、もぉ。そしたらあんな態度とらなかったのにぃ」

「別に気にしてなどおらん。このような仕事をしているのだ、ストレスも溜まるだろう」

「さっすがザインの旦那! 俺みたいな奴のこともよくわかってらっしゃる! そうだ、飯食いやしょう、飯。ここの隣はギルド直営の酒場なんすけどね、味も量も値段も良い飯が食えるんすよ。それに可愛い店員もいるっすよ!」

 しかも妙に丁寧な言葉使いになり、男であるザインを食事に誘っている。

 クリスからすればもはや気持ち悪い光景だった。

 周囲の困惑など露知らず、ザインとグレイは連れ立って併設された酒場へと向かう。

(え、何かこっちに来ているんですけど!? 何で!?)

 それはもちろん、クリスがその酒場の店員で、酒場にいるからだ。

 クリスがテンパっている間に、ザインとグレイは一番奥のテーブル席に座っていた。

 こうなっては仕方がない。自身が店員であることを思いだしたクリスは、グレイを凄まじく気持ち悪く思いながらも、注文を取りにテーブル席へと向かった。

「ご、ご注文は何になさいましゅか?」

 そして噛んだ。

 それはもう盛大に噛んだ。

 だが、ザインとグレイは特に気にせず、

「ザインの旦那、何にするっすか?」

「そうだな……今は手持ちがあまりない。なるべく安く、量の多いものを」

「ってなると、ニューカマー定食っすね。んじゃ、それ一つ、と、あとB定食一つで」

「ふぇ……あ、は、はい! ニューカマー定食一つとB定食一つですね、少々お待ちください」

 普通に相談して普通に注文した。

 気にされなかったのは良かったものの、全く無反応なのは、それはそれでちょっと悲しいクリスだった。

 だが、悪いことばかりではない。ザインを間近で見ることができ、グレイが「ザインの旦那」と呼んだことで、たぶんザインという名前なんだろうということも知ることができたからだ。

(黒髪はちょっとほこりっぽいですが、不潔ではありません。黄色に近い金色の瞳はちょっと鋭いですが、冷たい感じはしません。何より、なかなかのイケメンです!)

 高評価を下すクリス。

 ちなみに、ニューカマー定食とは、新人冒険者向けに量多めで値段を抑えた定食だ。要するに「新人向けの定食」である。そのままだった。外から来たばかりの新人冒険者がよく注文する定食で、もちろん、新人冒険者以外も注文できるが、正直他の定食に比べると味が一歩劣り、街に慣れると他のもっと安く食べられる大衆食堂に行くこともあり、他の定食を食べられる余裕があれば、まず注文されない定食でもあった。

「ねっ? 今の店員可愛いっしょ? クリスちゃんっていうんすよ。俺も狙ってるんすけど、父親がギルドの幹部職員で、さすがに睨まれたくないんで、どうにもならないんすよねぇ」

「確かに見目はいいが、あまり目立つようなことはするな」

「わかってやすって! 私情より任務優先っすよね。でもやっぱ可愛いんすよねぇ」

 親しげに話しているように思えるが、どちらかというとグレイが一方的に親しげで、なぜかザインはグレイをたしなめていた。

 そしてやはりグレイがクリスを食事に誘わなかったのは、酒場の店員で興味がないからではなかった。

 クリスは心の内で父に感謝した。

「そういや、ザインの旦那はなぜ皇都に? あの家の方が外に出るなんて、何かあったんすか?」

「何、少々襲撃を受けて壊滅しただけだ」

「へぇ、かいめつ――壊滅!?」

 わりとチャランポランなグレイでもその情報は驚愕らしい。

「いったいどこが……皇国に動きはありやせんでしたし、となるとボルト獣帝国っすか?」

「いや、メビウス法国だ」

「は!? 何であそこが……」

「理由は知らん。が、事実は事実だ」

「じゃあ、俺の任務は……?」

「無論、続行だ」

「へぇ……ザインの旦那は諦めてないと。わかりやした、そういうことなら不肖このグレイ、任務継続させていただきやす」

(よりによって、なぜあたしが働いている酒場でそんな不穏な会話をするのでしょう……?)

 偶然にも聞こえてきた会話に心の内で文句を言うクリスだが、その理由は明確だ。人間にはどうしようもない理由。そう、偶然だ。

 偶然、ザインが冒険者ギルド本部で登録しようとしたら、そこに偶然にもザインが何者かわかるグレイがいて、そしてその隣の酒場でクリスが働いていたという事実があるだけだ。

 ザインがギルド本部に来た時点で遅かれ早かれ同じようなことになっていたことだろう。

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