異端のザイン―血みどろの影使い―
喜多院那由他
序章
第1話 神が選ぶ時は大概気紛れ
「故に貴殿はここで死んでおけ」
愛する者の肉を裂く感触を初めて味わった。
今、自分はどんな顔をしているだろうか――と己に問う。
哀しんでいるのか? 楽しんでいるのか?
泣いているのか? 笑っているのか?
哭いているのか? 嗤っているのか?
――故郷を燃やす火が、金色の双眸を煌々と照らしている。
安寧。
あるいは退屈。
何の変化もない停滞したラプラスの神殿。
いつものように特注の巨大なベッドの上でゴロゴロしながら「た~い~く~つ~」とボヤいていたラプラスの耳に、聞こえるはずのない音が聞こえた。
それは何か大きなものが倒れたような、ドンッ――という音。
最初はノインかアハトあたりが何か持ってきたのかと思ったラプラスだったが、あの二人なら最初に声をかけるはずだ。
つまり、イレギュラーの可能性が高い。
だが、どうやってここに入ったのか。
ラプラスの神殿は大聖堂からしか来られず、唯一の通路は入り口を神殿騎士の精鋭達が固めている。神殿に入るにはノインの許可が必要で、よしんば許可があったとしても、ノインは部外者のみを入らせたりはしない。
つまり
好奇心と退屈しのぎを求める心のままに、ラプラスは神殿の入口へと向かった。
そこにあったのは確かにイレギュラーだった。
ボロ布としか言えないほどボロボロな(おそらく)マントにくるまった何か。石畳の床と布の隙間から黒い毛が見えている。大人の男くらいの大きさがあった。
風を感じてふと上を見れば、天井の一部が壊れている。
(なるほど、面白い)
つまり、この何かはラプラスの神殿と大聖堂をつなぐ通路に上から落ちてきたらしい。
非常に面白いが危ないものかもしれない、と思ったラプラスが一応離れてじっと見ていると、目の前の何かがピクリと動いた。
どうやら生き物らしい。
そしてまだ生きている。
どれくらいの高さから落ちてきたのかはわからないが、少なくとも即死しない程度の高さではあるようだ、とラプラスは判断した。
そしてそれはゆっくりと立ち上がった。
荒い呼吸を繰り返している。
立ち上がったはいいものの、どうやらそれで限界らしい。
「ようこそ私の神殿へ――とでも言えばいいのかしらね? それとも単にこんにちは? まー、何でもいいけれど。ところで言葉はわかるかしら? いえ、別にわからなくても構わないのだけれど」
とりあえず接触を図ってみるラプラス。
突然襲ってくる可能性もあるが、死にかけの奴にビビるのはそれ以上にあり得ないからだ。
すると金色の双眸がラプラスを映した。
その瞳は困惑に染まっていた。
「……し…んで……ん……?」
どうやら言葉は通じるらしい。
石畳の床とボロ布の隙間から見えていた黒い毛はそいつの髪の毛だった。というか、落ちてきた何かは若い男だった。
世に問えば十人中七人は「かっこいい」と評するかもしれない。ただし、死にかけて顔色が最悪でなければ。
ちなみにラプラスは評さない方である。
目の前の男よりも、ノインの方が顔立ちは整っているし、アハトの方が可愛い。
有象無象ではないが、そばに置きたいほどではない。
だが、欲しいか否かと問われれば、ラプラスは欲しいと答えるだろう。何しろ数年ぶりの
(……いえ、数十年ぶりだったかしら? まー、何でもいい)
経験上、こういう偶然の出会いの中でもあり得ない状況での偶然の出会いは、得てして暇つぶしに直結することを、ラプラスは知っていた。
それにちょうどそろそろ新しい
面白いというだけの理由で力を与えるには絶好のタイミングである。
「では、改めて初めまして、見ず知らずの誰かさん。私はラプラス――極限の運命神ラプラス。喜びなさい、あなたは今日生まれ変わる。凄く幸運よ、何しろ私に選ばれたのだから」
「……? ら…ぷ……ら…す……?」
「そう、ラプラス。さー、願いを言いなさい。望む力を与えてあげる」
さて、この男はどんな力を望むのか。
(今までで一番面白かったのはノインの「法」で決まっているけれど)
数百年も神をやっていると、人々が望む力の傾向がわかってくる。
大抵の者が望む力は自然の力だ。
炎を操るだとか、水を生み出すだとか、ちょっと面白いところだと光を集束する力というのもあった。
(まー、そういうのは聞き飽きているし、限界も見えているからすぐに処分してしまうのだけれど)
なぜならそんなことは魔法でもできるからだ。
(っていうかもう結構経ったわよね? 何でこいつはずっと黙ってるわけ?)
イライラを顔に出さないようにラプラスが耐えていると、ようやく男の口が動いた。
どうやら体へのダメージが大きすぎて上手く思考が回らないらしい。
「……と…き………とめ……」
その声は何とか聞き取れる程度に小さかった。
(ときとめ……時を止める力ってこと?)
「あー、無理無理、時を止めるとか私の権能より大きい力だもの。結果的に干渉するだけならまだしも、流れそのものをつくるとか消すとかは無理よ」
最後まで聞かずにそう伝えると、また男は黙った。
「………き……ず………い…や……」
そして再び口を開く。
さっきよりは早かった。
(きずいや……あー、わかった、傷を癒す力ね)
そこでラプラスは男が勘違いしていることに気付いた。
「それならできるけれど、意味ないわよ。どうやらあなたは死にたくないみたいだけれど、力を与える時に全部一回治るもの」
そう、ラプラスの権能は力を与えるが、それはまさしく生まれ変わるに等しいものだ。たとえ四肢が全て欠損していたとしても、全てあるべき姿に戻される。
だが、生まれた時から無いものがどうなるのかは、さすがのラプラスも知らなかった。
そういう者はノインがラプラスのところに来させないからだ。
そこで、ついに立つこともできなくなったのか、男は再び倒れた。
「…………し……に…たく…………な…………」
そして全く動かなくなった。
(あー、これは本当に死んだかも?)
石造りの天井を壊して落ちてきたのだから当然と言えば当然だろう。
面倒くさくなったラプラスは、死にたてならまだ間に合うだろう、と判断し、さっさと終わらせて今日は寝ることにした。
「それにしても、死にたくないからって時を止めるだの傷を癒すだの、発想力が乏しいわね……。まーいいわ。とりあえず力はあげる。ショボい力でも文句言わないでよね」
権能起動――運命歪極。
赤黒い光の塊としか表現しようのないものがラプラスの指先から出現し、ゆっくりと男の体を包み込んでいく。
(へー、珍しい)
若干、望み薄かとも思い始めていたが、そうでもないらしいとラプラスは認識を新たにした。
ラプラスの権能によって与えられる力の傾向は光の色によって大体わかる。
赤とか黄色とか暖色系は「命を活性化させる」力が多い。
逆に青とか紫とか寒色系は「命を鎮静化させる」力が多い。
白は「何かをつくる」力。
そして黒は「何かを支配する」力。
ちなみに、ありきたりな「自然を操る」力はただの光、あえて言うなら無色だ。
黒と無色の違いはよくわからない。
ただ一つ言えることは、黒が支配する対象は「人間」であることが多いということ。
ラプラスの記憶にある限りで、以前黒だった者の力は、「他人の五感を支配する」というものだ。
(……ったはず。もっと最近に黒がいたような気がするけれど、たぶん気のせいね)
自信はなかったが気のせいで済ますラプラス。
つまり、男を包む光の色から察するに、「命を活性化させる方向で何かを支配する」力だと推測できる。
(…………全く想像つかないわね……)
しばらくすると光は男の体に吸い込まれるように消えていった。
どうやら完全な死の回避に成功したらしい。どれくらいが境かはわからないが、失敗したときは光が弾けたように消える。
これはラプラスが何度か死刑囚を使って実験したことがあるので確かだ。
光が完全に納まると男はすぐにピクリと動いた。
一度死んだ割には早い。
案外、ただ気絶しただけだったのかもしれないが。
だが、ラプラスとしては、さっさと出ていってほしいのでありがたくはあった。今は周りに誰もいないので、ラプラスが片付けなければならないからだ。
かといって放っておくと、せっかく力を与えたのに侵入者としてノインかアハトが処分しかねない。
男は再び立ち上がり、不思議そうに体の調子を確かめている。
「……。……ステータスオープン」
そして一度頷くと、すぐにステータスを開いた。
この世界にはステータスというものが存在する。
表示されるのは種族、個体名、レベル、ステータスもとい能力値、スキルもとい特殊技能、称号の六つ。
ラプラスが力を与えた今、男のステータスには新しく「ラプラス第十使徒」の称号と、与えられたスキル、そしてスキルと同じ名称の称号が増えていることだろう。
それに伴ってレベルやステータスの数値も上がっている。
自身のステータスをじっと見ていた男は、気が済んだのかようやくラプラスを直視した。
「…………対価は?」
「え?」
「対価は何だ、と訊いている」
(対価?)
無論、力を与えた対価だ。
体へのダメージが回復したからなのか、男は先ほどまでと違って、急に思考の回転が早くなっていた。
「うふふ、話が早い人は好きよ?」
ラプラスはそう言って微笑むが、男はさっさと言えと言わんばかりに少し目を細めただけだった。
(チッ、照れて少しはうろたえるかと思ったのに)
だが、それでこそ
「――要らないわ」
「何……?」
とはいえ予想外の答えを返されて動揺するのを楽しむのはやめない。
まあ、既定路線なのだが。
「対価なんて要らないって言ったのよ。私は極限の運命神ラプラス。かしずく者に不自由はしてないし、祈る者も願う者も掃いて捨てるほどいる」
有象無象は要らない。
そばに置く者の席は埋まっている。
だから求めるのはそれ以外の何か。
自身にかしずかず、祈らず、願わず、崇めず、媚びない、そんな存在。
だからあえて言うなら――
「でも、あえて言うなら――好きに生きなさい」
(私をせいぜい楽しませなさい)
「私はここから出られない。だからあなたが見てきなさい」
停滞した安寧を。
変化のない退屈を。
その命で彩れ、とラプラスは願う。
「そしていつか再び会いに来なさい」
(そして飽きたら
「私が望むのはそれだけよ」
「…………」
男は何も言わずただじっとラプラスを見ていた。
さて、あとは何となく儀式めいたことだけだ。
というか、これをやらないとラプラスはすぐに男のことを忘れるだろう。
バレないように声の調子を整えて、
「さー、我が第十の使徒よ、あなたの力を述べなさい」
「……異端の影」
影。
影!
影っ‼
(面白い、面白い、面白い!)
それはラプラスでも初めて聞く力だった。
影をどう使うのはわからないが、まさかそんなものを選ぶとは。
しかも「異端」である。
まさしく有象無象でもなく、かしずく者でもない証だ。
男はいったい、何を願ってそんな力を得たのか?
「ならば我が第十の使徒よ、あなたに異端のツェーンの異名を与え――」
「不要だ」
「――今、なんて?」
「不要だ、と言った。ザインザード・ブラッドハイド。それ以外の名は要らん」
(あー……あー! 何ということか!)
ラプラスの信者であれば感涙にむせび泣いて喜ぶ異名の授与を即座に拒否するとは。
まさしく異端。
その名に恥じぬ即断即決。
(……ところでその名前ってどこで区切るのかしら?)
ザインか?
ザインザーか?
ザインザードか?
まさかザインザードブラッドまでが個人名だとか言わないわよね? と、ラプラスはわりとどうでもいいことが気になったが、
「……まーいいわ。うーん……では、異端のザインよ、旅立ちなさい。再び巡り合う日を楽しみにしているわね」
やはりどうでもいいことだったのですぐに諦めた。
もちろん、三つ目が正解である。
男――これからはザインと呼ぶが、彼は何も言わず、一度も振り返ることなく去っていった。
(……それにしても必要以上のことを喋らない奴だったわね)
楽だったからいいけれど、とラプラスは気にしないことにした。
しばらくして、ザインと入れ違うようにノインがやってきた。
ラプラス第九使徒――理外の法。
腰まで伸びた銀髪は星々のように輝き、大海の如く澄んだ瞳は深く静かな知性を感じさせ、それらが彩る顔は想像の限界を体現するほど整っている。
間違いなく世界一の美丈夫だろう。並べばさっきの死にかけの男など霞んで見える。
ノインはなぜか悪人面の汚い男を引きずっていた。
「おや、ラプラス様、神殿からわずかでも出られているとは珍しい。何かご懸念でもございましたか?」
「いいえ、単なる暇つぶしよ。……ところでその汚いのは何?」
「さようですか。ならばよいのですが……ああ、コレでしたね。いえ、そろそろ新たな十番目を欲される頃合いかと思いまして、ちょうどよさそうなゴミ――失敬、材料がありましたのでお持ち……したのですが、先ほど新たな十番目とすれ違いましたので、コレはやはり単なるゴミですね。すぐに処分いたします」
「そう、ならいいわ」
言うまでもなく、神殿と大聖堂をつなぐ通路で、ノインはザインとすれ違っていた。もちろん、それだけならば不審者として処分を命じるが、「理外の法」の力によって、ノインはザインが新たな使徒であることをすぐに理解したため、近くにいた神殿騎士に出口まで案内するよう命じただけだった。まあ、そのせいでゴミを持ったままだったことを忘れてしまったのだが。
悪人面の汚い男はノインが呼んだ神殿騎士に引きずられて通路を戻っていった。
しばらくの間、「話が違う!」だの「騙しやがったな!」だのわめく声が聞こえていたが、神殿騎士が何度か殴ると大人しくなった。
どうせまた死刑囚だったのだろう、とやはりラプラスは気にしない。むしろ、気にするだけ無駄だ、と思っていた。
「しかし、私が持ってきた材料以外を十番目になさるとは、初めてのことですね。それほど面白い者だったのですか?」
「ええ、最初からずっと」
ラプラスがそう言って上を向くと、ノインもつられて上を向く。
「……これはこれは、なるほど。一体どうやって侵入したのかと不思議でしたが、そういうことでしたか」
視線の先にはザインが落ちてきた時に壊れた天井があった。
「すぐに補修するよう命じておきます。……ついでに強度を上げられないかも打診しておきましょう」
これで近日中にこの天井は元通りになるだろう。少なくとも見た目は。
強度が上がっているかもしれないが、ラプラスには関係のないことである。
「それに異名の授与を拒否したわ」
「ほう……立場的には不敬罪を適用したくなりますが、個人的にはとても興味深いですね」
ノインの目つきが鋭くなり、だが一瞬で元に戻る。
「前任の処分から半年ですか……いずれにしましても、ラプラス様の退屈を紛らわす存在が現れたことは喜ばしいことです」
「半年……? 何言ってるの、『幻惑の霧』を処分したのはもう十年も前のことじゃない」
「ラプラス様、それは三代前の十番目です。いえまあ、先々代も一年で飽きられましたし、前任の『支配の音』に至っては三か月でしたから、忘れられるのも無理はありませんが」
(そうだったかしら?)
疑問に思いつつも、ラプラスはどうでもいいとしか思わない。
飽きて捨てた上に忘れたおもちゃのことなんて考えるだけ無駄だ、と考えているからだ。
「ところで新たな十番目はどのように呼べば?」
「得た力は『異端の影』。どういう力かは知らないわ、自分で確かめなさい。あと呼称は異端のザインね」
「ザイン?」
「そう、ザイン。ザインザードブラッドハイドってのが本名らしいわよ」
(本当にどこで切るのかしら、この名前)
どうでもいいはずなのにやはり気になるラプラス。
その理由に気付くのは、遥か未来のことである。
「家名持ちですか……厄介なことにならなければよいのですが……」
「放っておきなさい。所詮は人間、たいしたことはできないわ。何かあったらアインスかゼクスにでも処分させればいいわよ」
そう、何も憂うことなどない。
所詮は人間、一人ではたいしたことなどできないのだから。
一人では。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます