第5話   狩人と獲物は容易に逆転し得る(前)

 とにかく、全ては狙われて起きたことだった。

 その日もカシム達は獲物を求めて街道を見張っていた。

 狙っているのは、やたらキョロキョロしている御者一人しか見えない馬車とか、身綺麗な男女二人組とか、成人直前の子どもばかりな者達とかだ。

 無論、狩りの話である。

 ただし、獲物は人だが。

 カシム達は盗賊団だ、むしろ人以外のものは狩れない。

 やたらキョロキョロしている御者一人しか見えない馬車というのは、護衛代をケチった商人だ。ここで重要なのは「一人しか見えない」という方ではなく、「やたらキョロキョロしている」方である。やたらキョロキョロしているのは必要以上に周りを警戒しているということであり、つまり襲われることを恐れているということでもある。

 だから、カシム達はやたらキョロキョロしていたら二人でも三人でも獲物にしていた。ただし、四人以上ならやめていた。ただの経験則からだが。

 逆に、御者一人しか見えないのに前方しか見ていない馬車は襲わなかった。それは緊張しているという証拠で、討伐への協力を請けた商人に多いからだ。

 御者一人しか見えないのに鼻歌混じりの者からは隠れた。腕っぷしに相当な自信がある証拠だからだ。ただのバカか開き直ったバカの可能性もあるが、命を懸けるには危険過ぎた。

 身綺麗な男女二人組というのは滅多にいないが、大抵は駆け落ちした貴族である。もちろん、両方ともとは限らないが、どちらかは確実に貴族だ。女側がただの町娘だった時はある意味でボーナスだが……理由はあえてここに書くまでもない。

 成人直前の子どもばかりの者達というのは、たまにいるドラ息子とその取り巻きのことだ。貴族の三男四男だったり、商会の息子だったり――カシムが一番笑ったのは領主の次男だった時だが。貴族や商会の子どもは人質にして親に身代金を要求する。報復されるから絶対に殺してはいけない。殺してしまっては金にもならない。

 そして、カシム達がその日遭ったザインとアルビノの少女という二人組は二つ目に該当した。二十歳くらいの若い男と成人直前の少女という組み合わせだ。しかも二人とも身綺麗で、それなりに上等そうな服を着ていた。男の方は歩き方からして偉そうだったし、少女の方は妙に真っ白だったが見目も良い。

 間違いなく貴族だとカシムは思った。上手くすれば両方とも。二人の距離感もかなり近く、駆け落ち途中の恋人にしか見えなかったからでもある。

 だからいつも通り、かしらのカシムが十人ほどを引き連れて囲むように前方を塞ぎ、仲間の中で最も腕が立つジョニーが数人を連れて後方に回り込んだ。

 つまり挟み撃ちだ。

 こうすれば男の方は青い顔で身構え、少女の方は今にも死にそうな顔で神に祈り始める――それがいつも通りだった。

 ところが、カシムの予想とは異なり、ザインはあごに手を当てて値踏みするようにカシム達を見ただけだった。怯えてザインの後ろに隠れたアルビノの少女の方が普通の反応だ。

 さらに予想外なことに、ザインは後ろをチラッと振り返り、カシムをジッと見てニヤッと笑った。

(バレてる――)

 そんな思いがカシムの心によぎった時には、もう嫌な予感しかしなくなっていた。

 そして、その予感はすぐに現実となった。

領域ゾーン――バインド

 ザインの足元から出た黒い影が地面をあっという間に覆い、次の瞬間にはカシム達は動けなくなっていた。

 正確に言えば、目や口、指は動いた。だが、腕や足はピクリとも動かせない。

(ヤバい奴を狙っちまったかもしれない……!)

 カシムがそんなことを思っているとはつゆ知らず、ジョニー達はザイン達の後方から少しずつ近付いていた。

「……! 逃げろ!」

 とっさに叫んだが、遅い。

バインド

 とっくに地面を覆う影の中に入ってしまっていたジョニー達も、すぐにその場から一歩も動けなくなった。

 街道から少し外れたところにある山の中腹の洞窟を利用したアジトには、まだ何人か仲間が残っていたが、こうなってしまっては助けは呼べない。

 逆に冷静になったカシムは、周囲の仲間達を観察し、その体に黒い縄のようなものが絡みついていることに気付いた。

 最初はそれが何かわからなかったカシムだが、足元の黒い影ともつながっているのが見えたことで、その正体を看破した。

 言わずもがな、影である。

 ザインの足元から広がった影が縄のようになり、カシム達を縛り上げているのだ。なぜ影が絡みついているだけで動けないのか、と思うだろうが、実を言うとこの程度は闇影魔法でもできる。だからカシムはザインのことを魔法師だと思い込んだ。

「さて……この中で一番強いのは…………貴様か」

 ザインはカシム達をまた値踏みするように見ながら歩き、ジョニーの前で立ち止まった。

「だが、トップではないな……。おい、トップはどれだ?」

「あぁ? 誰が教えるかよ! それよりさっさと離しがれ!」

 ジョニーは何をされているかわかっていなかったが、目の前の男が何かをしたことはわかっていた。だから、そうわめいてつばをザインに吐いたが、

ウォール

 黒い影が壁のようになってそれを防いだ。

 いよいよ意味がわからない。

 本来、影とは物理的な影響力をもたないただの現象だ。もっと言えば、影はそれが映る対象がなければ存在できない。だというのに、なぜ影が単独で存在できて、その上、つばを防げるのか。

 これは魔法であっても不可能なことだ。

 だが、カシムが最も驚いたことは、この次に起きた。

「……そうか、動きを封じられただけでは立場がわからんか。では、貴様は要らんな」

 ――パイル

 ザインがそう告げた瞬間、ジョニーの足元から尖った影が伸び、股に突き刺さると、そのまま頭の上まで突き抜けたのだ。

 カシム達はそれをただ呆然と見ていることしかできなかった。

 尖った影は一拍の後に消え、同時にジョニーを縛り上げていた影の縄も消えた。そしてその体は前のめりにゆっくりと倒れ――その頭には風穴があいていた。

 トラウマものである。まして、それを直視してしまったカシム達にとっては。

 だから、次に同じことを訊かれた仲間は、素直に紫のバンダナで髪を覆っているカシムが頭だと喋った。

「では貴様らのアジトへ案内しろ」

「へい、わかりました」

 無論、カシムも素直に従った。体に風穴をあけられて死にたくはないからだ。その頃にはもう、ヤバい奴を狙ってしまったという思いは確信になっていた。

 カシム達がザイン達を連れてアジトへ戻ると、残っていた仲間は当然のように反発した。知らない男が我が物顔でいるなど、到底許容できることではなかったからだ。

 だが、頭はあくまでカシムだ。頭が従っている以上、ぐだぐだ言って従わない者は排除される。カシムにそう迫られると、反発していた者達も黙るしかなかった。彼らは後に感謝することになるだろう。何しろ、ある意味では命を助けられたのだから。

「それで先生、アジトに案内しましたが、他には何を……? ああ、もちろん、奪ったもんは全部差し上げますが」

「要らん」

「へ、へい、さいですか」

 カシムは困惑するしかなかったが、ザインが盗賊団のアジトに来た目的は金ではなかった。

「ところで、なぜ俺を先生と呼ぶ?」

「へ……? ああ、いや、オレ達みたいな盗賊は用心棒とかをそう呼ぶんですが、その、あんたは力でオレ達を黙らせてここに来たわけですし、そう呼ぶのが一番しっくりくるかなと……」

「そうか。要は部外者だが目上の者に対する尊称ということか」

「お嫌でしたかい?」

「いやなに、貴様らのような生徒は欲しくないなと思っただけのことだ。意味が違うのなら別に構わん」

 少しだけ機嫌が良くなったザインは、そう笑い混じりに言って誤魔化した。

「では、俺からの要求を話そう。仕事の依頼だ」

 だから、力に物を言わせた命令ではなく、あえて仕事と言ったのは、カシム達を多少なりとも安心させるためだった。

 それでもカシム達はやはり困惑するしかないのだが。

「し、仕事、ですかい?」

「そう、仕事だ。明日、先ほど貴様らと会った街道をザッハトルテ子爵家の馬車が通る。それを襲撃する手伝いだ」

 ザインの口から出た言葉にカシムはまたしても驚いた。何しろ、ザッハトルテ子爵家とは、カシム達のアジトがある山も含めた一帯を治める領主家のことだったからだ。

 ザッハトルテ子爵家はまだまだ歴史の浅い貴族だが、現当主は実直な男という噂で評判は良かった。その領主本人か関係者が乗っているはずの馬車を襲撃する――ザインは手伝いだと言ったが、カシムとしては簡単に頷ける話ではない。

 下手を打って捕まれば、拷問の上、打ち首。かといって断れば、ザインに風穴を開けられて殺されるかもしれない。

 仲間達――特に一緒にザインを襲おうとした者達は迷った。迷った末に、「お前が決めろ」と言わんばかりにカシムへと視線を集中させた。丸投げである。

 一方、アジトに残っていた者達は、実のところ最近仲間に加わった者ばかりで、こういったことを判断する覚悟がなかった。つまりこちらも丸投げである。

 結局、ザインの依頼を請けるか請けないかはカシム次第だった。

 それを敏感に察知したザインは、カシムに判断材料を与えることにした。

「心配するな、基本的には俺一人でやる。貴様らに頼みたいのは盗賊に襲われたと相手に思い込ませることだ」

 つまり、カシム達はザインの周りでただ突っ立っているだけでいいのだ。要は無視させないための壁のようなものである。肉壁だが。

 では、なぜ盗賊に襲われたと思い込ませる必要があるのか。

「とはいえ、いくら貴様らでも何も知らずに引き受けるのは嫌だろう。なぜそんなことをするか説明してやる」

 それからザインが語ったことは、こう言ってなんだが、盗賊に理解を求めるような話ではなかった。

「まず大前提として、この話の関係者は、ここの領主家であるザッハトルテ子爵家と――隣領の領主家であるサーターアンダーギー伯爵家だ」

 大前提の時点で二つの領主家が関係していると言われたカシム達は、その半分が早々に理解を諦めた。雲の上の話過ぎて。

「この両領主家には共通点がある。それは、どちらの領地も塩の生産が盛んなことだ。故に両領主家は商売上のライバル関係にあるんだが、争いになるほど不仲ではない。というのも、子爵家の方針は質が悪くても庶民にまでゆきわたるように大量の塩をつくることで、伯爵家の方針は生産量が少なくても手間暇をかけて高品質な塩をつくることだからだ」

 ここでさらに半分が脱落したが、頭であるカシムだけは何とか理解が追いついていた。

「つまり、子爵家の塩は不味いが安くて、伯爵家の塩は美味いが高いってことですかい?」

「そう、棲み分けができていたわけだ。ところがここ数年でこの関係が変わり始めた。というのも、長年塩をつくり続けてきたことで子爵家の技術が向上し、量を維持しながらも塩の品質を上げることに成功したからだ」

 これは確実に揉める。

 そもそも高品質な塩を欲しがる者は限られている。貴族や商会の会頭以外では、味にこだわる料理人くらいだ。おそらく、その料理人が伯爵家の塩から子爵家の塩に乗り換えたのだろう。味にそこまで差がないのなら、よほどこだわりがない限り安い方を選ぶのが人情というものである。

 貴族や商会の会頭であっても、高くても美味い方を選ぶのは見栄を張る時くらいだろう。毎日使えるほど余裕があるのは大貴族や大商会の会頭だけだ。

「さらに言えば、伯爵家の塩はわずかだが味が落ちてきている」

 そこにこんな事実が加われば、伯爵家が焦ることは目に見えている。おそらく、以前の子爵家の塩が低品質過ぎて、多少品質を落としても高く売れると高をくくったのだろう。

 慌てて品質を元に戻しても、伯爵家には大量につくるノウハウがない。

 一方で、子爵家はさらに品質を上げる可能性がある。

 伯爵家の塩はどんどん売れなくなっていったはずだ。何しろ無意味に高いのだから。

「そこで伯爵家は子爵家の乗っ取りを企てた」

「んーっと……なるほど、そもそもの原因を潰そうとしたってことですかい」

「そうだ。……しかし、よくついてこれるな、正直さほど期待していなかったんだが」

「へへへ……オレも驚いてます」

 どうやらカシムの地頭は本人が思っていたよりも良かったらしい。

「ふむ、貴様、名は?」

「へい、カシムと申します」

「そうか、覚えておこう。またそのうち使ってやる」

 おかげでザインに顔と名前を覚えてもらうことができた。目をつけられたとも言うのだが……。まあ、良いことか悪いことかは決めかねる。

「伯爵家が執った手段は穏便かつ悪質なものだった。まず、三男が子爵家の令嬢に近づき、婚姻を結ぶ。その後、一人ずつ子爵家の人間を消していくという計画だ」

「まあ、手っ取り早い方法ではありますが……それがどうして馬車を襲うという話に?」

 どうにも伯爵家の計画とザインの依頼が結びつかず、カシムがそう訊くと、

「それはだな……コレだ」

 ザインは懐から細かい装飾の施された短剣を取り出した。

「それは?」

「ザッハトルテ子爵家当主の証だ」

「「「「へぅっ!?」」」」

 誰もが思わず変な声が出してしまうほどに驚愕した。

 貴族家の当主であることを証明する証とは、要は初代が当時の皇帝から賜った唯一無二の品のことである。家宝どころか、無くしただの、他人に渡しただの、そんなことをした日には、一家全員の首が飛ぶような代物だ。子爵家を乗っ取りたい伯爵家からすれば、喉から手が出るほど欲しい物のはず。持っていくだけで伯爵家から相当な謝礼が出るだろう。

 なぜザインがそんな物を持っているのか。

「おそらく帝都かそれに近い大きな街で、自分のところの塩が伯爵家の塩より売れることにようやく気付いたのだろう。実直さは美徳ではあるが、すぎれば視野を狭くする。塩の品質を上げることばかりに目がいって、それが周囲にどういう影響を与えるか見えていなかったわけだな」

 何のことはない、本人から直接渡されたのだ。

 預けられたと言ってもいいかもしれない。

「子爵領に入ったばかりのところで、そこの白いのが血の臭いがすると言ってな」

 もちろん、アルビノの少女のことである。彼女は狐系の獣人だ。獣人である以上、臭いには敏感だ。

 それはザッハトルテ子爵領に入る直前のことだった。アルビノの少女の導くままに、少し街道を逸れて森に入ったザインは、身なりの良い男が死にかけているのに出くわした。その男こそザッハトルテ子爵家の当主だった。

 そこで当主の証を無理矢理渡されたのだ。

 その直後に男は死んだ。ただ一言、「娘を頼む」と言い残して。

 そう語ったザインは、妙なことに何だか嬉しそうだった。

 盗賊に身を堕としたカシムには理解できないことだろう。

「なぜ馬車を襲うのかという話だったな。中身は子爵令嬢だ。伯爵家の計画は上手くいっていた。令嬢はすでに三男に夢中だ、子爵もそれを歓迎していた」

 見ず知らずの相手に大事な娘を託す気持ちも――そんな遺言を押しつけてくる相手を嬉しそうに語る気持ちも。

「ところがここで予期せぬことに、子爵が伯爵家の狙いに気付いてしまった。慌てて口を封じたが、一度逃げられた上に、やっと見つけたと思ったら当主の証がない。どこかの誰かが持っていったのかもしれんし、その時に子爵が余計なことを言ったかもしれん。子爵の妻や令嬢本人に計画をバラされたら水の泡だ、伯爵家はなりふりかまっていられなくなった」

 利があるとは思えないのに、ザインがこんな面倒ごとを解決しようとする理由も。

「伯爵家としては、令嬢さえ手に入れれば問題はない。あとは子爵の妻をどうにかして殺すだけ。三男から秘密裏に会おうとでも手紙を出せば、恋に夢中な令嬢は確実に来る。逆に言えば、令嬢さえ渡さなければ、伯爵家の計画は潰えるわけだ」

 一つだけわかっていたことがあるとすれば、それはザインに子爵家の未来がかかっているということだけだろう。

「だが、それだけでは事態は解決せん。故に――伯爵家には消えてもらう」

 こんな――関わってはいけないヤバい男に。

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