第15話 大きな歪みは外からしかわからない
ザインに敗れたあの日、ソレイユはノインを経由して送られてきたラプラスからの連絡を見て、すぐにボルト獣帝国エッグボーロ辺境伯領領都カステラの冒険者ギルド支部を飛び出した。ザインの目的地はわかっていた。連絡の中に「メビウス法国へ向かったことがほぼ確実」とあったからだ。
もちろん、最短最速で目指した。
国境の関所では妙に注目を浴びて少々煩わしかったが、厳格な規律のある軍が駐留しているだけあって、ちょっかいをかけてくる身の程知らずはさすがにいなかった。当然と言えば当然だが、その点は法国側でも同じだった。
ちなみに、法国では軍隊のことを「兵団」と呼ぶ。国境の関所を担当していたのは「寺院兵団」と呼ばれる者達だ。「寺院」とは、メビウス教独自の言葉で、ラプラス教における「教会」や「神殿」に相当する。つまり、「寺院兵団」とは、ラプラス皇国の「神殿騎士団」や、ボルト獣帝国の「近衛隊」と同じく、軍部のエリートが集まっている軍である。
それはともかく、ソレイユはザインを追って法国に入ったのだ。
入った、のだが…………見つからない。もうかれこれ一週間以上探しているというのに、ザインもカロンも全く行方がわからない。
国境があるサイダー大司教領にいたことはわかっている。討伐難易度B級のグリードイーグルという大物を討伐してきたらしく、領都ノースレーの冒険者ギルド支部で話題になっていた。
だが、それ以降の足取りが全くわからない。
(やはり、関所で一日遅れ程度だったことに油断して、少し旅費を稼ごうと依頼をこなしたのがいけなかったのか……!? いや、そもそもカロンへの師事の報酬である大金貨五十枚で武器を新調したのがいけなかったのか……!? 少しは妥協すべきだったというのだろうか……!? 冒険者にとって、武器は大事な相棒なのだぞ……! それを妥協など――できるはずがない! というか、根本的にはザインザードが悪いのだ! あの男、私の剣を折ったばかりか、もののついでと言わんばかりに槍まで折っていって! 完膚なきまでに負かした相手の武器をわざわざ折るか、普通!? …………いや、わかっている……わかってはいるのだ……。 もとをただせば、私が無謀にもザインザードに挑んだことが悪いのだ……。くそっ……何をやっているのだ、私は……。勝手にあの男へのトラウマを増やしてどうする……。……はぁ…………)
とまあ、彼女と再会したのも、ちょうどこんな風に自爆していた時のことだった。
結局、サイダー大司教領ではザインの行方が全くわからず、わからないなりに探すしかないと諦め、ソレイユは隣領のエスプレッソ大司祭領へと向かった。
その領都ベゼラは、一言で言えば「冒険者の街」だった。
エスプレッソ大司祭領は広大な森と険しい山に接していて、領内もまだまだ開拓途中の場所が多い。となれば当然、モンスターが多く、モンスターが多ければ冒険者も集まる。
そんな町であればザインも立ち寄っているかもしれないと思い、冒険者ギルド支部の受付嬢や冒険者達に聞いて回ったソレイユだったが……言わずもがな、全て空振りだった。黒髪金眼の男と白髪紅眼の少女――どう考えても、目立つ二人組なのだが、情報が全く出てこないということは、少なくともベゼラには立ち寄っていないということだった。
とはいえ、落ち込んでばかりもいられない。せっかく冒険者の街に来たのだから、気分転換に何か討伐依頼でも請けようと、ソレイユは再び受付に向かった。
そして、ソレイユは法国に疑念を抱くようになる。
「あ、あら、ソレイユ様。申し訳ありません、やはりお探しの方達を見かけた方はいらっしゃらないようです」
「ああ、いや、それはひとまず良いのだ」
「では、何の御用でしょうか?」
「依頼を請けたい。討伐依頼でB級かA級のものがあれば見せてくれ」
「しょ、少々お待ちください」
受付嬢は一度頭を下げると、カウンターの奥に引っ込んだ。
なお、その笑顔が若干引きつっていた理由は推して知るべしである。ヒントを言えば、ベゼラにはソレイユに絡む身の程知らずがいた、ということくらいだろうか。
受付嬢が戻ってきたのは思ったよりも時間が経ってからだった。
ソレイユはまずここで違和感を覚える。時間がかかればかかるほど、確認すべき依頼の数が多いということだからだ。だが、ソレイユが求めたのはB級かA級の依頼だ、そうそうあるものではない。あったとしても数件というのがボルト獣帝国での「いつも通り」だった。
「お待たせしました。現在、B級は十一件、A級は四件ございます」
「……ずいぶんと多いな?」
「多い……のですか? この辺りでは常にこのくらいの数はありますが……」
「何だと……? この数が常に? 領軍は――兵団は何をしている?」
「兵団、ですか……? あの……ソレイユ様は何か勘違いなさっているようですが、兵団の仕事は有事に備えることでして、モンスター討伐は冒険者の仕事です」
「は……???」
最初、受付嬢が何を言っているのか、ソレイユにはさっぱりわからなかった。
獣帝国では、モンスターの脅威は国の脅威だととらえている。だから領主達は、暇があれば「軍事演習」と称してモンスター討伐を行い、国内の脅威を積極的に排除している。冒険者はあくまでそれから漏れたモンスターの討伐を請け負っているにすぎない。だから獣帝国では冒険者の社会的地位が低く、雑用のような依頼も受け付けている。
ソレイユは北方の小国家群でも依頼をこなしたことがあるが、そちらも同じような状態だったことを覚えている。
とはいえ、それだけならまだ国の方針の違いで受け入れられたかもしれない。
だが、おかしい点はまだあった。
「む……? 依頼料金貨十枚……討伐難易度B級カースグリズリーの討伐……!?」
「ああ、三か月前に出された依頼ですね。お請けになられますか?」
「は……? 本気で言っているのか……?」
「???」
「カースグリズリーだぞ? 呪いを振りまく厄介さと強靭な肉体をあわせ持つ、B級でも最上位のモンスターだぞ?」
「ええ、そうですね、存じていますよ」
「金貨十枚程度で引き受けるわけないだろう……!? 倍出されても人によっては首を横に振るぞ!?」
「はあ……そうなのですか? 去年も同じ依頼料で引き受けた方達がいらっしゃいましたが……」
「な、に……?」
ソレイユはもはや二の句を継げなかった。
討伐難易度B級カースグリズリー。
ソレイユも言ったように、呪いを振りまく厄介さと強靭な肉体をあわせ持つモンスターだ。もちろん、A級冒険者であるソレイユよりは弱い。使途の力を使わずとも倒すことはできる。だが、こうした大型モンスターの討伐は、基本的にパーティー推奨である。
理由は単純。倒しにくいからだ。
ところがカースグリズリーはその上にパーティーで挑むことを躊躇させる要素が加わっている。つまり前者の特徴――呪いを振りまくという点だ。
呪いというのは非常に厄介である。毒と違って特効薬などないし、剣と違って防ぐ手段がない。そのくせしっかりと解呪しない限り消えず、半永久的にステータスを低下させる。カースグリズリーの呪いはそれほど強いものではないが、それでも解呪するだけで大銀貨数枚は取られるだろう。
例えば四人のパーティーで依頼を請けたとして、前衛の一人か二人が呪いを受ければ、それだけで一人あたりの報酬が大銀貨一~二枚減る。依頼料が金貨十枚なら、武器の補修や消耗品の補充を引いて、一人あたり金貨二枚いけば良い方だろう。
しかも、こうした高難易度の討伐依頼は、そもそも標的を見つけるところから困難だ。人だろうとモンスターだろうと、大物は奥にいるものだからだ。早くて一週間、場合によっては二週間以上かけることになる。
それで得られる報酬が金貨二枚。とても割に合わない。
それに――
「……いや、待て。先ほど『三か月前に出された依頼だ』と言ったか?」
「はい、そうです、そちらのご依頼は三か月前に出されたものです。正確には八十三日前ですね」
「あのカースグリズリーをそんな長期間放置だと……!? この街はどこから水を引いているのだ?」
「??? 近くの山からですが……それが何か?」
「カースグリズリーが目撃されたのは……森の奥深くか。この森はその山から近いのか?」
「いえ、かなり離れていますよ」
「そうか……ならば問題ない……のだろうか……?」
ソレイユが水源のありかを受付嬢に確認したのも、やはり呪いが理由だ。
呪いはステータスを低下させる。人間の場合、それは身体的能力の低下という形で表れるが、その効力の及ぶ範囲は人間に限らない。それ以外――つまり、動物や植物は言わずもがな、石や土にまでその効力は及ぶ。
もちろん、水にもだ。
そして、水が呪われると、途端に腐りやすくなる。近くの山から引いているというその水源に、万が一カースグリズリーが近づけば、ベゼラで大量の病人が発生することになるだろう。受付嬢は、カースグリズリーが目撃された森と水源のある山はかなり離れていると言ったが、何事にも万が一というものはある。これが獣帝国ならば、目撃証言が出た時点で領軍が動く。仮に領軍が動けない状況にあれば、金貨五十枚出してでも冒険者に早急に解決させようとするだろう。三か月も放置するなどあり得ないし、ましてそれほどの長期間、請ける冒険者が現れないにもかかわらず、依頼料が金貨十枚程度など、もっとあり得ない。
だが、いくらソレイユがA級冒険者でも、冒険者ギルド支部の判断を覆すことはできない。それに、高難易度依頼の依頼料を出すのはその領地の領主だ、本来なら口を出すことすらはばかられる。
結局、これも国の方針の違いと言ってしまえば、それまでだった。
……それでも。それでも、だ。
ひりつくような嫌な予感に突き動かされ、ソレイユは受付嬢が持ってきた残りの依頼を全て精査した。
そして愕然とした。
全てだ。
全ての依頼の依頼料が、獣帝国の半分以下だった。
「…………一つ聞きたいのだが……なぜ、こんなに依頼料が軒並み低いのだ……?」
「低い??? 法国ではこれが普通ですが……」
「これが普通……!? いや待て、わかった、訊き方を変えよう。なぜ、もっと依頼料を上げて、早く冒険者にこなしてもらえるようにしないのだ?」
「それはもちろん、依頼料を高くすれば、お引き受けくださる方が早く見つかるでしょうが、モンスターの討伐依頼に使えるお金は限られています。エスプレッソ大司祭領はまだまだ発展途上で、開拓に多くのお金がかかりますから」
「しかし、隣のサイダー大司教領の依頼料は倍くらいだったぞ。発展途上なのは大司教領も同じのはずだろう?」
「大司教領では関所に寺院兵団の方々がいらっしゃいますから、その分、余裕があるのでしょう。兵団は有事に備えるのが仕事ですのに、困ったことですが、あの方達は独立性が認められていますので」
「そうか、寺院兵団か……。この大司祭領には寺院兵団はいないのか?」
「いません。重要な場所を守るのが寺院兵団の役割ですから」
獣帝国と同じようなことをしている兵団もいると聞いて、いくぶんかホッとするソレイユ。
だが同時に、法国のやり方に疑問を持ったのも確かだった。
受付嬢は、上司が領主から聞いた話を、同じように上司から聞かされて、それを繰り返しただけだ。だが、大司祭領に寺院兵団がいない理由として放った言葉に、ソレイユは眉をひそめた。
確かに国境の関所は重要な場所だ。国境から離れた大司祭領にそういった場所がないのも事実だ。だが、その言い方では、まるで大司祭領など重要ではないかのように聞こえる。
国全体から見ればわずかな数にすぎないかもしれない。それでも――たとえ数十人しかいなかったとしても、どれだけ小さな村だったとしても、そこには確かに民がいる。
命が――あるのだ。
重要ではない場所など、この世には無い。
だというのに――ギルド支部にいた冒険者は、「そんな低い依頼料で不満はないのか?」とソレイユに問われ、
「そりゃ不満がねえって言ったら嘘さ。だが、金にゃ限りがある。たとえ依頼料が低かったとしても、誰かがやらなきゃ皆が困るんだ。決して続けらんねえ金額じゃねえしな。嬢ちゃんもいろいろ言ってたみてえだが、これがここの普通なんだ。しょうがねえんだ、どうしようもねえんだよ」
「……なぜ、それでも続けるのだ?」
「あん? そりゃあ……あれだ、『やりがいがあるから』、じゃねえかな!」
「そうか……」
ソレイユはもう何も言えなかった。
(私が間違っているのだろうか……?)
金には限りがあると言って、低い依頼料で命がけの仕事をやらせる。やっている方は、やりがいを言い訳にそれを良しとして、「しょうがない」「どうしようもない」と諦める。それでも十年やってこられたから、これからも大丈夫だと、根拠もなく誰もが信じている。
(私がおかしいのだろうか……?)
ソレイユには、大司祭領が砂上の楼閣に見えて仕方がなかった。
――法国ではこれが普通ですが――
(法国が砂上の楼閣だらけに思えてならないのは、私だけなのだろうか……?)
そんな鬱々とした思いを抱えながら、結局依頼を請けずにギルド支部を出たソレイユは、宿を探そうと道から道へフラフラと歩き――その背中を狙う影に気付かなかった。
「――ヒッマワーリちゃーんっ!」
「うごふっ!?」
「久しぶりね! 元気にしていたかしら? あら、少し背が伸びた? まだまだ成長中ってことね! 今度はどんな武器を使えるようになったの? お姉さんに見せて! ね?」
「…………今、まさに、そなたのタックルで元気じゃなくなったところだ……」
「ちなみにお姉さんは元気だったわよ?」
「……それは、何よりだな……」
ソレイユのことを「ヒマワリちゃん」と呼びながら、もはやタックル同然の強さで突然抱き着いてきたその女性は、ゆるくウェーブを描く薄く緑がかった金髪を頭の動きに合わせて左右に揺らし、普段なら優しさを感じる垂れ目がちな翠の瞳をいたずらげに細めていた。その背中から生える大きな一対の白い翼がソレイユをやさしく包み込む。その頭上で光輝く魔力の輪を見て、ソレイユは「やはり天使のようだな」と、もう何度思ったかわからないことを再び思い浮かべた。
彼女の名は、ヒバリ・マニ。
S級冒険者であり、S級冒険者パーティー「天輪」のリーダーでもある才女。そして、ソレイユの大切な友人がそこにいた。
ソレイユがヒバリ出会ったのは、もう五年以上前のことになる。
まだラプラスの使徒になる前のこと――モンスターパレードに故郷を滅ぼされたソレイユは非常に荒れていた。ただ憎しみのままに剣を振るい、自身の命すら顧みずにモンスターを討伐し続けていた。
当時、すでにA級の高みに立っていたヒバリは、そんなソレイユの噂を聞いて声をかけたのだ。その後、紆余曲折あり、武芸者とは何たるかを共に考える仲になった。わずか数か月の切磋琢磨だったが、それでも互いが互いを無二の友人だと思っている。
結局、離れ離れになってしまったのは、互いの隠し事が原因だった。
ソレイユは使徒になったことを隠したし――ヒバリは明王だったことを隠していた。
秘密が発覚した理由はソレイユの無知さだった。便利な魔法を覚えたと言って使徒の力を見せ、魔力を使っていないことを指摘され、問い詰められて白状してしまった。その時に、ヒバリはメビウスの明王に選ばれていることを打ち明けた。
いや、それ自体は別にいい――とソレイユとヒバリは思う。それだけで破綻するような関係性ではない。ただ、互いを選んだ神同士が対立していただけのことだ。
だから、こうしてきっかけでもなければ会うこともままならないが、それでも友人だと胸を張って言える。
選んだ道も、手段も違うが、生き方は同じだから。
「ところで……何で髪の毛が短くなっているのかしら? もしかして……失恋?」
「いやそれは断じて違う」
「じゃあ、どうして?」
「ぐっ……そ、それは……それは…………も、モンスターに喰われたのだ!」
「ふぅん……なぁんだ、残念。お姉さんてっきり、ついにヒマワリちゃんにもいい人ができたのかなと思ったのに」
時折、訊かないでほしいことまで訊いてくるのがヒバリの悪い癖だった。
ちなみに、ヒバリがソレイユのことを「ヒマワリちゃん」と呼ぶのはふざけている時だけだ。
何はともあれ、まずは宿を確保してからということにし、ソレイユ達はその宿の食堂で再会の祝杯を挙げる。
「改めて、久しいな、ヒバリ」
「ええ、久しぶりね、ソレイユ。……それで? ソレイユはどうしてこんな辺境に?」
「ああ……いや、少々仕事でな……」
正直に言うわけにもいかず、ソレイユは言葉を濁した。
だが、それはヒバリにはそれだけで通じるからでもある。
「ふぅん……そっちの仕事ね……。ターゲットはまた十番目かしら?」
「内容は監視だがな」
一方のヒバリは、相変わらず法国中を駆け回り、高難易度討伐依頼を中心にこなしていた。
「ここ最近で一番ヤバかったのは、エンヴィースライムね……。知っているかしら? エンヴィースライム」
「名前だけなら」
「じゃあ、どんだけヤバかったか教えてあげないとね!」
酔いの回ったヒバリが語ったことは、実にゾッとする話だった。
討伐難易度A級エンヴィースライム。
まず、このスライムの第一の厄介な点は「エンヴィースライムによる被害だと推測できるまでに時間がかかる」ことだ。
通常、モンスターの討伐依頼が出される場合には、目撃証言が基になる。目撃証言を基に調査依頼が出され、その結果を反映して討伐依頼が出される。
だが、このエンヴィースライムは、まず目撃証言が出てこない。その上、調査依頼も出されない。行方不明者の情報を統計し、その結果から出た推測を根拠に、いきなり討伐依頼が出される。
なぜか?
そこで、第二の厄介な点だ。エンヴィースライムは「男女混合の複数人数でなければ遭遇しない」。
当然だが、モンスターによる被害は一度に遭遇した人数が多いほど発覚しやすい。遭遇した時点で全員が逃げ出せば、誰かが生きて帰れる可能性が高いからだ。
だが、エンヴィースライムだけはその論理にあてはまらない。このスライムによる被害は、男女混合の複数人数に限られ、先ほど言ったようにそれ以外の場合はそもそも遭遇しない。逆に言えば、男女混合の複数人数ばかり行方不明になっているなら、それは高確率でエンヴィースライムによる被害だと推測できる。
そして、目撃証言が出ない理由――第三の厄介な点だが、これがこのスライムの最も際立った特徴だ。
エンヴィースライムは――「他の生物に擬態する」。しかも、「
さらに言えば、仮に擬態を見抜けたとしても、その強さはA級冒険者と同等だ。まず勝てる相手ではないし、逃げることすら困難極まる。
「よくそんな討伐依頼を達成したな……」
「文字通り命がけのギャンブルだったわよ……。運良くお姉さんのとこに来てくれたからよかったけれど、他のメンバーのとこだったら一本くらい持っていかれていたかもしれないわね……」
「最悪でも腕か脚の一本で済むと豪語できるところが、さすがS級冒険者パーティーと言うべきか?」
「うふふふふふふふ、褒めても何も出ないわよ?」
ソレイユからは、とりあえずプライドタイガーの話をしておいた。あの虚偽報告のあった件だ。
討伐難易度B級プライドタイガー。
まあ、エンヴィースライムに比べれば、まだ容易いモンスターだ。
その特徴はただ一つ。獲物をなぶること……なのだが、別名を言った方がわかりやすいかもしれない。
プライドタイガーは、高ランク冒険者の間ではこうも呼ばれている――舐めプタイガー、と。
とにかく相手を侮った戦い方をする。その上、しつこいほど煽ってくる。だが、決して弱いわけではない。
だから、プライドタイガーの別名を聞いて侮った冒険者が逆に心をへし折られることが絶えない。
まあ、迷惑と言えば迷惑なモンスターだ。
「そういえば……今、追っている十番目って『あの枠』よね? どんな悪人なの?」
「む……いや、その…………今回の十番目は、悪人じゃない……と思う……」
「あら? あらあら? ずいぶんと歯切れが悪い上に、何やら鬱屈した思いを向けているみたいね? その人と何かあったの?」
「う、む……少し、な……」
ソレイユは目を逸らしながらそう濁したのだが、結局、「とっっっても気になるわ!」というヒバリの目の輝きには勝てなかった。
しかも、ポツリポツリと話しているうちに、全て白状してしまっていた。
なお、使徒になったことを白状してしまった時も同じような感じだったりする。
「ふぅん……ヒマワリちゃん、負けちゃったのか……」
「ぐっ……! そ、その通りだ……」
「その上、その人に言われたことが妙に胸に響いて、完全に嫌いになれないのね?」
「むぅ…………」
(……自分で白状しておいてなんだが、よく心の細かい機微まで話したな、私……)
互いに切磋琢磨した相手が見ず知らずの男に負けた上に、妙な感銘を受けてしまった――普通なら言いづらい。だが、その言いづらいことを言い合えるからこそ、ソレイユとヒバリは無二の友人なのかもしれない。
「……まあ、言われたことは的を射ているし、『未熟』としか言ってくれないどこぞの教皇様よりかは親身だって思うけれど……。ソレイユ、これは友人としての忠告だけれど――」
「む……?」
「――憧れるなら、もう少しマシな人を選びましょ?」
「なっ!? 待て待て待て待て! 憧れ!? そんなわけないだろう!?」
「えぇ……」
「何だその『何を言っているのかしら、この子……』みたいな目は!」
「だって……言葉が胸に響いちゃったのよね?」
「む……」
「言われたことが忘れられないのよね?」
「むむ……」
「あんな風にはなれないって、思っちゃったのよね?」
「むむむぅ……」
言われれば言われるほどに、ソレイユはわからなくなっていった。
自分のことだというのに。
(憧れて……いるのだろうか? 確かにザインザードは、私に足りないものを持っていたが。…………いや、ない。ないな。理不尽に命を奪うような奴に憧れるなどあり得ない)
こればかりはヒバリの考察が間違っている、と断ずることにしたソレイユ。
単に自分より強い相手の言葉だから一考に値すると思っている程度だろう。実際、使徒の力の使い方には悩んでいたのだから。まあ、憧憬が微塵もないとは言い切れないが。
「それにしても、人として戦うことに囚われすぎている、か……。お姉さんも結構胸にグサッとくる言葉かも……」
「ただの武芸者のままだったら一蹴する言葉だが、私達にとっては別だな」
「もっと理不尽になるべき……どういう理不尽を目指すべきかは自分で考えなさいってとこが、同じ武芸者に言われていると感じられて特に堪えるわね」
「うむ……同年齢くらいなのに、まるで師と話しているかのようだった」
「ふぅん……。……え、今、同い年くらいって言ったかしら?」
「言ったな」
「うわぁ……お姉さんショック……。まさかそんな有望株が野に埋もれていたなんて……」
酔いが吹っ飛んだ、とばかりにヒバリは頭を抱えた。
改めて言われてみれば、確かに奇妙な話だ――とソレイユは思考の海へ潜る。
使徒の力ありきとはいえ、ザインは格闘術だけでソレイユと渡り合ってみせた。これでもA級冒険者だ、多少はうぬぼれていい実力だろう。
その上で言えば、あれほどの実力がある若者がこれまで無名だったのはおかしい。モンスターの脅威はどこにでもある。どの国も、実力者は喉から手が出るほど欲しいはずだ。冒険者になったのは確かに最近のことだが、ラプラスの神殿に現れる前のことが全くわからないのはどういうことなのか。しかも、ザインは家名持ちだが、皇国が調べてもなお、ブラッドハイドという家名が記録から出てこない。
「それで、ソレイユがここにいるってことは、その人はこの街にいるってことよね?」
「むぐっ……」
不意に痛いところを突かれ、ソレイユは思わず目を逸らしてしまった。
「あら?」
「…………」
「あらあら? どうして目を逸らすのかしら?」
「…………見失った……」
「……………………」
耐えられなかった。
数秒後にはテーブルに突っ伏していた。
なぜかといえば、「うわぁ……その程度のおつかいもできないのかしら、この子は……」とヒバリのジト目が雄弁に語っていたからだ。
「……まあ、友人のよしみで、お姉さんも手伝ってあげるわよ」
「恩に着る……」
「まずはコーラ枢機卿領に行きましょ。あそこは法国中から人が集まるから」
(再会して早々に頼ることになってしまうとは……)
友人としては頼もしい限りだが、冒険者としては複雑なソレイユだった。
ソレイユがヒバリと再会した日に話したことには続きがある。
ソレイユとしては、本当は訊かずに済ませるつもりだったのだが、
「……ねえ、ソレイユ? ホントに聞きたかったことって、もっと他にあるんじゃない?」
そう問われてしまっては、あえて避けていた話題に触れざるを得なかった。
「…………先ほどのエンヴィースライムだが……報酬はいくらだったのだ……?」
ソレイユの問いに、ヒバリは重いため息を一つついて、
「――……金貨二十五枚」
と端的に答えた。
ヒバリのパーティーは五人で構成されている。そのうちの一人が二度と冒険者として生きられなくなるリスクを背負った上で、必要経費を抜いて一人あたり金貨四枚強の報酬。
たったの金貨四枚強だ。
それがヒバリ達の命の価値だとでも言うのだろうか。
ソレイユはただただぶちまけた。
法国に来て感じた理不尽を。
必死に押さえ込んだ怒りを。
ヒバリはそれを黙って聞いて、
「やっぱりソレイユもそう思うわよね……」
「っ! ヒバリも同――」
「でも、どうしようもないのよ……」
だが、その口から出てきたのは「諦め」だった。
いや、もっとよどんだ「何か」だった。
「マックスさん、覚えている?」
「う、うむ、覚えている。大剣使いの大男だろう? 確か、去年、A級冒険者になったのだったか?」
「彼は今、コフィー大司教の奴隷よ」
「な……」
「『依頼料が難易度に見合ってない』って、十数人の冒険者達と一緒に抗議しに行って、次に会えた時にはもう奴隷になっていたわ」
「…………」
「ちなみに、他の人がどうなったかはわからないの。同じように奴隷にされたか……、あるいはもう生きてないかも」
ソレイユはもう何も言えなかった。
「ホントに……どうしたらいいのかしらね……?」
「……そうだな……どうしたら、よいのだろうな……」
ただ、ヒバリの問いとも呼べない嘆きに、そう返すのが精一杯だった。
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