第8話 強すぎる光は進むべき道を見えなくする(前)
ソレイユはその日、ボルト獣帝国エッグボーロ辺境伯領にて、B級冒険者が倒し損ねたという討伐難易度B級のモンスターの討伐依頼を達成し、冒険者ギルドに報告するため、領都カステラに戻ったところだった。
(全く……何が「倒し損ねた」だ、手も足も出ずに返り討ちに遭っただけじゃないか!)
にもかかわらず、ソレイユは心の奥底から憤っていた。
ソレイユに討伐依頼が持ち込まれたのは、あくまでB級冒険者が「倒し損ねた」からだ。手傷を負ったモンスターは凶暴性を増し、危険度が上がる。
だが、ソレイユが発見した時、討伐対象であるプライドタイガーは、特に手傷を負っていなかった。
虚偽報告――そうとしか考えられなかった。
当然のことながら虚偽報告は規約違反である。全くもって嘆かわしい。
ともかく、ソレイユは無事にプライドタイガーを討伐し、依頼達成の報告と虚偽報告の疑いを伝えるため、領都に戻ってすぐに冒険者ギルドへ向かったのだ。
冒険者ギルドは……まあ、いつも通りと言えばいつも通りだった。
ソレイユが戻ったのは夕方だったが、その時間帯の冒険者ギルドは依頼達成の報告者が多く、まして辺境伯領の領都ともなればさらに多い。ギルド内は非常にごった返していた。
まあ、中には併設された酒場ですでに飲んでいるパーティーもいたが。
ただ、それはソレイユにとってはあまり好ましいことではなかった。
というのも、ソレイユはどうも他の冒険者から絡まれやすいようで、人が多い時間帯にギルドに行くと、「身の程を知れ」と警告してやっても聞かない奴に毎度毎度出くわすのだ。
理由は明白である。
ソレイユが女で、しかもエルフだからだ。
確かにソレイユは若いし、エルフの中でも特に見目がいい自覚もあった。
だが、ソレイユはA級冒険者だ。冒険者の中でも上位1%未満しかいない実力者だ。それなりに有名だと自覚してもいる。
だというのになぜこうも絡まれ続けるのか。冒険者にはバカしかいないのか、と思わず遠い目になってしまうのも無理はない。
ソレイユはその日も、ギルドに入った途端、いくつもの視線に晒された。特に嫌な視線を感じてそちらを見れば、好色かつ侮った目で見る若い男がいた。
(ああ、また絡まれるのだな……)
と思ったソレイユだったが、その男は近くにいた――おそらくパーティーメンバーであろう――中年の男に止められ、何やら耳打ちされて驚愕に目を見開いていた。
まあ、その男は思わず、またしてもソレイユを見てしまい、中年の男に頭を叩かれていたが。「見てんじゃねえよ、バカ!」という声が聞こえるような、それは見事な叩きっぷりだった。
(あれは良い冒険者だな……二つの意味で)
その日、ソレイユに絡もうとした男はそれだけだったが、彼女の災難は終わっていなかった。いや、あれはソレイユの災難と言うより――ギルド支部の災難と言うべきだろう。
絡まれずに済んだことにホッとし、報告をしようと受付の方に向かったソレイユは、そこでようやく眼前の奇妙な光景に気付いた。
三つある受付のうち、二つには長蛇の列ができているにかかわらず、最も壁寄りの受付にはなぜか誰も並んでいない。だが受付嬢はいる。いるのに誰も並んでいない。
「……?」
どうしたことかと首を傾げつつ、誰も並んでいないならと最も壁寄りの受付へ向かおうとして――ソレイユの目はその原因をとらえてしまった。
力自慢の男ばかりな冒険者ギルドには似つかわしくない、まだ成人すらしていないと思われる真っ白で可愛い獣人の少女が、壁際に座ってボーッと遠くを見ている。
それだけならまだいい。いや良くはないが、まだ許容できた。
ただ……その少女が座っていたのが、屈強な男が三人積み重なったものだった。
誰もが見ようともしない理由を理解し、ソレイユも全力で目をそらした。あれは絶対に関わってはいけないものだと直感が告げていた。
魔法や呪法がある以上、幼く見えても、体が細くても、強い者は確かに存在する。だが、戦いに身を置く者は、自然とそういう風に体がつくられていくものだ。
その少女はどう見てもそうではなかった。明らかに戦いに身を置く者ではない。だというのに屈強な男を三人も物理的に尻に敷いている。
だから、ソレイユも他の冒険者達と同様にすぐに理解した。
あれは、罠だ、と。
明らかに美味しそうな餌に群がろうとするバカを釣るための囮だ、と。
そして物理的に尻に敷かれている男達はそのバカだったのだ、と。
ちなみにギルド内は暴力沙汰厳禁である。厳禁であるはずだ。ならば何がどうなってそうなったのか。全く想像できない。
ソレイユはなるべくそちらを見ないようにしながら、受付に並んで順番を待った。
幸いなことに、報告を終えるまでの間、特に変わったことはなかった。ソレイユは討伐完了したが、虚偽報告の疑いがあると伝え、受付嬢は調査を確約した。万事完了である。
だが、ソレイユがそのまま何事もなくギルドを出ることは叶わなかった。
「すまんが、少しいいか?」
入り口近くの壁にもたれかかっていた黒髪金眼の若い男に声をかけられたからだ。言わずもがな、ザインである。
ソレイユのザインに対する第一印象は、ちぐはぐな奴だった。
立ち姿からそれなりに戦えることは確かだが、透けて見える自信はそれ以上。服装は駆け出し冒険者のようなのに、妙に偉そうで気品がある。
ソレイユとしては一刻も早くギルド支部から出たかったが、礼儀を失していない相手を無視するわけにもいかなかった。何より、ソレイユが帰ろうとしたタイミングで声をかけてきたのだ、今までに絡んできたバカとは違う。
これに応えない方がむしろ礼儀を失しているだろう。
「ああ、構わない。何用だ?」
「実は連れに戦い方を教えてくれる師を探していてな。都合が良ければぜひ頼めないだろうか?」
「……依頼を達成したばかりだし、次の依頼も特にはない。スケジュールは確かに空いているが……。理由を訊いても?」
「道理だな。連れは旅中で拾った孤児なのだが、少々特殊な種族でな、俺では適した戦い方を教えられん。だが、道中探してみたものの、これといった者はいなかった。故にここでも探していたんだが、A級冒険者が依頼のために来ていると聞いてな」
「なるほど、それで私か……」
もちろん、ザインはソレイユがA級冒険者であるとわかった上で声をかけていた。
ソレイユが何と呼ばれているのかも、どういう人物なのかもある程度は調査済みで、なおかつ師として適しているとの確信もあった。
つまり、ソレイユが非常に困ることを認識した上で依頼したのだ。確信犯である。
何しろ、ソレイユとしては断る理由がない。これが単に教えを請いたいという依頼であれば、相手が貴族だろうとソレイユは即座に断っていた。ソレイユとお近づきになりたいだけの下賤な依頼ばかりだからだ。
だが、ザインの依頼は違う。連れの師として適しているか否かが最初にあり、ソレイユに白羽の矢を立てたのは単なる偶然でしかない。
ソレイユが思い悩んでいる間、ザインは黙って待っていた。
「…………うむ、正直に言おう。後々を考えると断りたい。しかし、理由がない。その上、礼儀にも欠ける」
「それは難儀だな」
ソレイユの答えにザインは笑い混じりに返した。
「そこで、何を教えれば良いのかまず聞かせてほしい。場合によっては心変わりして受け入れられるかもしれない」
「くははっ、心変わりさせてくれという願いを聞くのは初めてだな」
「うむ、自分でも奇怪なことを言っている自覚はある、あまり笑わないでくれ」
「いやすまない、それは無理だ。……真っ直ぐだな、貴殿は。強弁も方便も使いたくないという思いが伝わってくる」
「うぅむ……」
気恥ずかしさに唸るソレイユに対し、ザインは愉快そうにしばらく笑い続けていた。あのお堅いエルフが男と親しげに話している、と周りの者達は奇妙なものを見るような視線を注いでいたが。
だが、ソレイユの感じた気恥ずかしさはすぐに吹き飛ぶことになった。
「……ところでその連れはどこに?」
「ん? ああ、そこにいる」
ザインが指した先を見ると、そこには――三段重ねになった屈強な男達の上に座る真っ白な獣人の少女――つまりカロンがいたからだ。
「……………………」
思わず遠い目になり、続いて頭を抱えたのも無理はない。
「お前か! あの悪質な罠を仕掛けた下手人はお前か!」
ザインの胸倉をつかんでそう叫びたくなるソレイユだったが、A級冒険者が率先してギルド内でトラブルを起こすわけにはいかず、何とか言葉を飲み込んだ。
「カロン」
ザインが名を呼ぶと、カロンはピクリと反応し、どこを見ているかわからない目をやめ、小走りにザインの元へと向かった。
「主様、よか人見つかったと?」
「ああ、この方が場合によっては請けてくれるそうだ」
「そら良かったたい。……カロンばい、よろしゅうお願いします」
「あ、ああ、こちらこそよろしく――するかどうかはこれから決めることか。私はソレイユ、知っての通りA級冒険者だ」
「A級……! そぎゃん凄か人に会うとは初めてばい」
ソレイユを見るカロンの瞳はキラキラと輝いていた。先ほどまでのどこを見ているかわからない目はいったい何だったのか。
「その……カロン、ちゃんは先ほどまで何をしていたのだ?」
「……? 主様が、声ばかくるまで主様はおらんて思え、て言うたけん、主様ば見ないように昔んことば思い出していただけばい」
「そ、そうか……」
昔のことを思い出すだけでああなるのか、とカロンの身の上が垣間見えて若干同情するソレイユ。あるいは、それは共感に近かったのかもしれないが。ソレイユも過去にはいろいろあったのだ。それはもういろいろと。
今は幸せなのだろうな、とソレイユは優しい眼差しでカロンを見ていた。
(だが、なぜこの男を「主様」と呼ぶのだろうか……? 元は貴族だったとかそんな感じか?)
確かにザインは妙に偉そうなため、知らない者からは貴族にも見えるだろう。
若干、気にはなったものの、結局、ソレイユは大したことではないと結論付けた。
それはそれとして、
「……それで、結局アレは何なのだ?」
三段重ねになった屈強な男達を指して問うソレイユ。
ザインを見るカロン。
そしてやはり下手人であったザインは、
「あれか……カロンを見て絡んできた分をわきまえん連中だ」
「やはりそんなところか……。しかし、ギルド内では暴力沙汰は厳禁だ。感心しないな」
「知っている。だが、問題ない。手を出したわけではないんでな」
「何?」
「手どころか、足も頭も出しておらん。勝手に倒れただけだ。小さな意趣返しついでに利用させてもらったが」
その説明に間違いはない。間違いはないが、影は出している。
ソレイユの視線に頷いた何人かの冒険者では認識できないような早業だっただけだ。
「むぅ……ならば良い、のか……?」
後日、ソレイユは受付嬢達にも確認したが、やはり目撃者は一人もいなかった。要するに、ザインが何かしたのは明白だが、何が起きたかわからないので追及できない、とこういうわけである。
「……さて、カロンに何を教えてほしいか、だったな」
ザインが話を戻したことで、ソレイユの思考は中断された。
「カロンは見ての通り真っ白だが、狐系獣人だ」
言われてカロンを見る。
頭の上でピクピクと動く三角形の耳。
ふさふさの大きく膨らんだ尻尾。
「……うむ、確かに。だが、狐系獣人は魔法や呪法の才能が高い傾向にあったはず。私は魔法も呪法も使えない。師として不適じゃないか?」
「本来ならばそうだが、魔法や呪法の習得には長期間かかる。それにカロンはすでに成人間近だ、今からでは遅い。そこで、魔力を用いた格闘術ならばと思ってな」
「……なるほど、『あり』だな」
獣人は全体的な傾向として身体的能力が優れているが、一方で魔法的能力には乏しい。こと戦闘においては身体的能力を生かした戦い方をするのが一般的である。
だが、その中でも狐系獣人や狸系獣人といった例外は、魔法的能力も高い傾向にあり、戦闘においては魔法や呪法も使って――いや、むしろ魔法や呪法しか使わなかった。それで充分だからだ。
獣人は優れた身体能力のみを用いて戦い、例外は魔法や呪法のみで戦う。それが当たり前だった。
ではカロンはどうか?
カロンは狐系獣人である。身体的能力も魔法的能力も優れている。
だが、迫害されて生きてきたカロンは魔法など欠片も知らない。一から学んでいる余裕もない。それでも、ザインは戦う力を与えたかった。
だから、ザインはその当たり前を壊す。
魔力はあっても魔法が使えないならば――その豊富な魔力そのものを剣や槍の代わりとして用いればいい。
それがザインの考えだった。
発想としては魔法剣士に近い。魔法剣士は、魔力伝導効率の良い剣に魔法を纏わせる「魔法剣」と呼ばれる剣技で戦う。
一方、ザインの考えは剣を体に変えたものだ。
魔法剣ほど多様な効果はつくれないだろうが、魔力で形成した武器は魔力がある限り壊れない。ましてそれが狐系獣人ともなれば、相当な継戦能力を発揮するだろう。
実のところ、その発想自体はすでにある。魔力で武器を形成して戦う格闘術――魔闘術と呼ばれる流派が存在するのだ。
ザインの発想の特筆すべき点は、それを獣人にやらせようとしたことにある。先ほども言ったように、獣人は全体的に身体能力が優れている一方で魔法的能力には乏しい。つまり、魔闘術に向いていないのだ。
だから例外を魔闘家にする。魔法で戦う獣人を、魔法でも戦える獣人ととらえ直し、魔力で戦う獣人という可能性を導いた。
「魔力を武器とする方法を俺は知らん。だが、格闘術の心得はある」
「つまり、私は魔力の扱い方を教えるだけで良いということか……それならば、短期間で済むだろう。しかし、なぜ私なのだ? 魔力の扱い方など、できる者にとっては基本中の基本だろうに」
「ん……? 貴殿ともあろう者が、そんな単純なことが引っかかるのか?」
意外だと言わんばかりにザインは金色の双眸をしばたたかせ、
「格闘術においては――基本こそが最強、だろう?」
「――ふははっ……うむ確かに、確かにその通りだ」
「ならば、より洗練された基本に触れさせることこそが、主と呼ばれる者の務めだ」
「そなたが出会った誰よりも、私の基本が洗練されていると?」
「無論だ。美しさすら感じるほどにな」
顔の造形を指して美しいと言われたことはあった。
武技の冴えを指して美しいと言われたこともあった。
だが、よもや武術の基本を指して美しいと言われるとは……。
気恥ずかしさもあるが、ソレイユはそれ以上に得も言えない嬉しさも感じていた。
「うぅむ……参った、な……。どうやら私は心変わりしてしまったらしい」
「ん? 口説き文句はこれからだったんだが……」
「勘弁してくれ、これ以上は顔から火が出そうになってしまう」
「くははっ、そこまでか。では?」
「うむ、その依頼引き受けよう――と言いたいところだが、最後の問題がある」
「ほう?」
「依頼料だ。一応、指名依頼という形になるからな。A級は高いぞ?」
「ああ……それか。問題ない」
ザインは肩をすくめ、懐から袋を取り出し、ソレイユの目の前に掲げる。
「先日、少々臨時収入があったんでな」
そしてその袋をソレイユの手の上に乗せた。
重い。
袋の口の隙間から金色の輝きが見える。
もしもこれが全て金貨だとすれば、百枚は入っているかもしれない。
その軽装のいったいどこから取り出したのかという疑問が、どうでもよくなりそうなほどの重みだ。
「大金貨で五十枚ある」
「大金貨!?」
まさかの手が震えそうになるほどの金額だった。日本円にして五千万円である。
ザインは本気だった。本気すぎてドン引きするほど本気だった。
依頼料さえ払えれば引き受けても良いと言ったことを、ソレイユは早速後悔し始めていた。
これほどの金額をポンッと出せるほどの臨時収入とはいったい何なのか。
そして本当に魔力で武器を形成する方法を教えるだけで済むのか。
だが、これだけあれば、より良い武器に新調することすら可能だ。
報酬の高さに対する不安と実利の狭間で迷うソレイユに対し、
「……ああ、そういえば、まだ名乗っていなかったな」
ザインはいっそ軽薄にさえ思えるほど軽々しくそれを告げた。
「俺はザインザード・ブラッドハイド。C級冒険者だ」
その名を聞いた瞬間、ソレイユの腹は決まった。
ザインザードブラッドハイド。
ソレイユはその名を――知っていたから。
「主様、こん人結構チョロかね」
「同感だが、口にするな。顔に出るぞ」
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