4 埒が明かない


         *


「――つまり、年貢の納め時ってことかしら?」


 丸窓の内側、小首をかしげつつ自身のあごに人差し指を当ててそうつぶや白梨びゃくらいに対し、同じ丸窓のその外側、朱の欄干らんかんし猛烈にたけり狂ったぎょくらんが「冗談じゃねぇ!」といきり立った。

 二人の頭上に広がるねり色の天は今日も美しい。

 ややおいてから、玉蘭はぶすくれた顔をさらした。白梨に当たり散らしたところで何かの役に立つわけでないのだ。


「あらあら。可愛らしいお顔が台無しね。そんな口汚い事ばかり言い続けていたら、あっという間に不細工になっちゃうわよ?」

「はあああ。ったく言ってろよなぁ。どうせめるんなら水もしたたるなんちゃらにしてくれよ」

「じゃあ落ちて見る?」


 白梨が袖に半ば隠れたままの手をついとかかげて、玉蘭の背後をゆびさす。その華奢な指先が指す先で、ぱしゃりとこいの跳ねる音がした。

 音に誘われるようにして、玉蘭はぐるりこうべめぐらし視線を背後へ向ける。大池の表が光を散らしながらさんざめいていた。これはつまり、白梨は「池にはまって見ろ」と言っているのだ。

 玉蘭は大げさに「おおお」とふるえつつ自らの肩を抱きすくめた。


「白梨が言うと冗談に聞こえないんだよ」

「冗談のつもりもないのよ、玉蘭」

 

 白梨はにっこりと笑ってからすっと手を下ろした。

 玉蘭は再び盛大な溜息を吐いて、欄干にかじりついた。「ああ厭だ厭だ」としつこくかしましい。


「ったく、どいつもこいつも好き勝手言いやがって。一体人の事を何だと思ってんだよーちくしょー! 大体何なんだよ! たかが経血が来ただけでこの変わりようは⁉ 今朝だけで届いた連名の恋文が二百だぞ⁉ もう誰が書いてんのかすらわかんねぇよ!」

「しかもそれが毎日なんでしょ?」

「そう!」


 がん! と欄干に玉蘭は両拳を叩き付けた。みしっ、と厭な音がしてその表面がへこむ。

 繁殖のために必要とされる不死石しなずのいしは、五邑ごゆう同士の間においてのみ求められるものだ。姮娥こうがとの混血である玉蘭が姮娥の民と交を結ぶならばその限りではない。つまり、雌性しせいであれば姮娥と結べ。雄性ゆうせいであれば増えずともよいという意味である。

 故に玉蘭に不死石しなずのいしは安置されなかった。結果としてのこの膂力りょりょくである。


「厭だ、ちょっと壊さないでよ」

「壊れたら直させるよ!」


 悪態をき続ける美少女に、白梨はくすくす笑いながら針を針山に戻した。丸窓の内側で白梨が刺繍しているのは自身の髪だ。白玉はくぎょくの参拝に使う彼女の布である。

 丸窓の外は細い形ばかりの回廊で囲まれている。その回廊を囲むのは朱の欄干。その下段に器用に腰掛けつつ、玉蘭はその上段で腕を組み、あごうずめていた。対面する白梨の部屋があるのは、ここはくおう邸の中二階だ。

 脳裏に浮かんだ恋文の山を思い、玉蘭はその背中心に冷たい怖気おぞけい上らせた。

 雌性しせい二種と露見ろけんすれば三交求婚の雨が降る。

 そんなもの、実体験などしたくなかった。自然苦い溜息が口かられる。


「しかもあれ、八割代筆屋の仕事なのな。筆跡見りゃわかるっての。しかもその内五割は一人がけ負ってやがる。むしろそいつが今一番頑張って仕事してるだろうから、この代筆屋を三交に指名してやろうかと本気で思ったくらいだぜ」

「あら、いいんじゃないの?」

「残念ながら三交埋まってる爺さんだったよ! めっちゃくちゃ文才あるな!」


 再び盛大な溜息をこぼしながら「あの文才で女だったら是が非でも口説いたのに……」と、玉蘭は不穏ふおんかつ軽薄けいはくな事を口に出した。


「もー、いつまでも益体やくたいのない。溜息を吐きたいのはこっちよ」


 さすがに愚痴を聞かされ続けるのにいたのか、びゃくらいの言葉も容赦ようしゃがなくなってきた。当然だろう。玉蘭が唇を尖らせながら悪態を吐きだして、既に四半時が経過している。

 羊の刻を大幅に過ぎた、心地よい春の日だ。毎日とは行かないが、玉蘭はこうしてこの時刻に白梨を訪ねては、彼女のところにあるおやつを失敬している。見ればその指先に摘ままれているのは胡麻油で揚げた薬菓やっかである。

 口の中にそれを放り込み、咀嚼そしゃくしながら「ん」と無造作に手を伸ばした。白梨は「はいはい」と再び溜息をこぼすと白磁の茶碗を差し出す。中には黒茶がれられている。玉蘭は眉間に皺を寄せながら、ずずっと行儀悪く音を立てて茶をすすった。


「俺これ嫌いなのにー」

「文句言わない。人のものを横から盗りに来てる癖して偉そうに」


 しかし、白梨はおもしろそうに愛おしげに笑ってそういうのだ。そんなだから自分は甘やかされて調子に乗って、こうして頻繁ひんぱんに訪ねてきてしまうのだと――玉蘭は内心責任転嫁した。

 彼女が小首をかしげるたびに、さらりと肩口で流れた真っ直ぐな髪がその頬に掛かる。刺繍のために切り落としたから、髪が短いのだ。そして、その頬には淡く紅がのっている。

 彼女が今年に入って急に化粧をするようになったのが気に掛かっていた。似合わないわけではない。むしろまなじりの朱も、額の花鈿かでんも空恐ろしい程に艶やかで美しかった。唇の金赤など、何度触れてみたいと思ったか知れない。

 だからこそ――その急な変化に困惑していた。

 何があったのかびゃくらいは言わない。こちらも何かあったのかとは聞けない。だから何もなかったのかどうかすらわからない。そんな釈然としない状態が、さらに玉蘭を白梨の元へ足繫あししげく通わせた。


 ――らちが明かない。


 玉蘭は、今日もどうしようもないこの膠着こうちゃく状態に頬杖を突きながら、それでもこの眼の前にある華やかな微笑みを見てようやく安堵の溜息を吐く。変わらないでいてほしい。いつまでも健やかであってほしい。そんな、叶わぬ願いを密かに抱えて彼女を見詰めていた。



 この方丈において玉蘭の唯一の安らぎ――それが白梨なのだ。



 白梨は手元の布や針を片付けつつ、自身も口の中に薬菓やっかを一つ放り込んだ。彼女もそれなりに行儀が悪い。そんなところは変わらないなぁと、玉蘭はこっそり笑いをかみ殺した。





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