2 万歳万歳万万歳




「万歳万歳万万歳――姫様です。姫様でございます。ぎょくらん様は雌性しせい二種でございます」



 ぎんしゅの宮の起居室は、他のそれと比べてせまい。そんな室の床の上で大仰おおぎょう跪伏きふくれいの形をとりながら、御典医ごてんいがそう高らかに告げる。


 その言葉を、母であるぼくらんは満面の笑みを浮かべて満足げにうなずき受け止めていたが、当のぎょくらん自身は『何処どこがめでたい物か!』と叫び出したいばかりの心境で聞いていた。

 二次性徴による身体変化らしき予兆よちょうが現れ出したのがつい最近の事。そもそも成長がいちじるしく遅かった玉蘭にとって、先日急におとずれた経血のあらわれは地獄の沙汰さたと言って過言ではなかった。



 長大なる白瓊環はくけいかんおさめしはく国が、その三交さんこうごうたるげつ如艶じょえんにより簒奪さんだつき目を見、天をたがえてげっ姮娥こうが国と名を改めてから、およそ二百年という光陰こういんが流れている。

 朝があらたまれども、統治のいただき帝壼宮ていこんきゅうより転じなかった。

 赤玉信仰の最高峰が、変わらず高臼こううすに置かれているのと同様に、である。

 玉蘭母子が起居するこのぎんしゅの宮は、両朝の中心たる帝壼宮ていこんきゅう最奥さいおう――その最深部にあった。かつてほう壺宮こぐうと称され後宮として機能したものは、現在では方丈ほうじょうと名を変えている。数多あまたの宮を城牆じょうしょうにて取り囲むのは、その内に守るものが治天ちてんの君の無聊ぶりょうなぐさめる雌性しせいの美姫達ではなく、異地いちより送り込まれし短命種の民――五邑ごゆうへと転じたが故である。



 囲い込まれたるは五邑の内の一邑いちゆうはち方丈ほうじょう――その主家を四方津よもつと言った。

 玉蘭は、この四方津の長を父に持つ。

 畢竟ひっきょう、姮娥と五邑の混血としてこの世に生を受けた。



 姮娥は、三人の親を持つ。それぞれから一種ずつ性を受け継ぎ、三種の性をあわせて一個の人となる。

 生まれ落ちてはじめは、誰しもただ子であり人である。性の別は匂いにも表れず、他者から認知もされ得ない。大抵、生後五十年から百年程で二次性徴を迎え、それによって性が顕在化けんざいかする。雌性しせい雄性ゆうせいの配分は匂いに現れ、そこでようやく成人として周知されるのだ。

 外見上にも雌性しせい変化か雄性ゆうせい変化が露呈ろていする。ただし、雌性二種ならば雌性らしく、雄性二種ならば雄性らしく外観変化が出る、といった単純なものではなかった。


 のうかんは同一ではない――つまり、実能と外観は一致しない、という事である。


 玉蘭には、生後百年を超えても変化が現れなかった。やや雌性寄りに見えるのは、母である璞蘭に似た為だろうと見なされていた。

 しかし実際のところはどうかというと、玉蘭の容姿の構造自体は、むしろ父である堂索どうさくに似ていた。だが、何故か総じて見ると璞蘭に似て見える。五邑ごゆうとの混血であるという極めて前例の少ない生まれである事実も加味されて、その異質性は受容されていたが、それでも異質は異質。あまり善くはない意味で朝廷側からは一目置かれていた。


 その結果、玉蘭は自身の異質を当然とあなどった。己の身にもいずれは二次性徴が訪れるのだという事をすっかり念頭に置かずにおいた。考えずにおりたかった、という側面も無論ある。


 その日の目覚めは――けだし最悪だった。覚醒とともに玉蘭を持ち受けていたのは、今まで経験した事のない、地味だが不快極まりない体調不良だった。

 腹痛、頭痛、腰痛に加えて吐き気。

 あまりの倦怠感けんたいかんに、寝台の中でぐずぐずと丸くなっていたところで、ようやく脚の間にぬるりとした物があるのに気付いた。がばりと掛布をいで見れば、襦袢じゅばんの股間周りと敷布を赤黒い汚れが染めている。


 悲鳴は、出なかった。

 ただただ瞠目どうもくした。


 最初はそれを下血かと思った。若しくは知らない内にまた女に刺されたかのどちらかだな、とも思った。結果的にそのいずれでもなかった訳だが、そのどちらかの方が遥かに良かった。これが早々に下女に見つかり、璞蘭に報告が上がるや否や御典医が呼ばれる運びとなった。


 眼前がんぜんに突き付けられたこの結果に対し、玉蘭は困惑を超えて怒り狂った。今もなお体調がすぐれないという点を差し引いても、この状況は最悪だ。


 それ程までに己は絶対に雄性ゆうせい二種だと信じて疑わなかった。否、そうであってくれねば困るのだ。しかし御典医の手前、本心を大っぴらに表に出す事は許されない。幾重にも重ねられた絹の袖の下で、玉蘭は拳を固く握り締める。表には麗々しい微笑を浮かべ、随所随所で首肯を見せ続ける。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに反吐へどが出そうだった。

 これで母は益々喜びいさんで玉蘭を姫として飾り立てていく事だろう。いやそうに違いない。これまでとは比べ物にならない程の厳重な警護を玉蘭の周りに着け、深窓の令嬢として扱い自由を奪うのだ。

 



 ――やってられるかこん畜生ちくしょうが。



 胸中激しく毒づきながらも笑みを絶やさぬ事はいくらでもできる。それだけの精神的鍛錬は積んできた。

 反吐へどは出るが見せない振りならできる。





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