5 天照様の花嫁巡りをするの


「それ、もう終わったの?」


 窓の内側に置かれた裁縫箱をぎょくらんゆびさすと、びゃくらいは「ああ」とそちらへ視線を向けて「ふふ」と笑った。


「だって、あなたの話長いんだもの。お陰で集中して縫えたわ」

「あらあらまあまあ。お役に立てまして何よりでございますわ」

「何言ってるの。ふつうに邪魔よ」

「――それ、縫っても黄師こうしに出しやしないのに、なんでこうもご丁寧に作り続けてるのさ」


 玉蘭の指摘に、白梨は珍しく真顔を向けた。これは余計な事を口にしたかと玉蘭はわずかばかりに後悔して唇をむ。


 白梨は完全なる『色変わり』がない娘だ。ここ方丈ほうじょうの中でもそれなりに貴重な存在である。現在方丈にいる『色変わり』なき娘は五人。彼女を含む三人が完変わりで、二人が半変わりだ。だから、彼女がいかにこの布で白玉の参拝をしても、布に死屍しし散華さんげが移る事はない。彼女が白玉参拝をすれば死屍散華は全て彼女の身体に取り込まれる。最初の一枚で『色変わり』の有無は確認できているのだから、黄師に供物くもつとして提供する事もないものを、それ以上増やす必要は本来ないのだ。

 真っ直ぐな、もの言いたげな視線を、しかし白梨はすっと下げた。それに玉蘭はほっとする。その事実がやや不甲斐ない事には、そっと蓋をして考えない事にした。


「そうね。……わたしがいた証、みたいなものかしらね」


「なんだそれ」

 わざと鈍感なフリをして片眉を上げた玉蘭に、「わからないならいいのよ」と白梨は首を横に振った。


「あ、玉蘭」

「はぁい」

「その上手な代筆屋のお爺さん?」

「うん」

「多分、りょこう氏でしょう?」


 迷いなく紡ぎ出されたその名に、玉蘭は眉間をしかめる。


「――なんでんな事わかんの」

 白梨は軽く肩をすくめてから「ふふ」と笑った。


「彼に代筆を頼んだ連名の中から届けるのが早かった五組を確認しなさいね。まあもうぼくらん様がやってらっしゃるとは思うけど。呂公氏は今でこそ引退なさったけれど、元は廂軍しょうぐんの副将軍だった方よ。民衆の意をみ良質な治水を実現なさった有能な方だわ。彼と繋がりがあるという事はぼう塾の関係者って事だろうし、人間としても役人としても見込みがあるはずよ。玉蘭。あなた、雄性ゆうせいと交を結ぶのは厭かもしれないけれど、将来的な事を考えるなら、検討してみる価値はあるわ」

「お……はい、わかりました」


 にこにこと相槌あいづちを打ちながらも話半分で聞き流されているのかと思いきや、こうして胃の腑が冷えるような的確な助言を寄越してくる。そもそも彼女は智に深く地頭が良いのだ。いつも柔和な笑みを浮かべているが、油断も隙も無い。


「でもねぇ、わたし無理ないと思うの。あなた容色はぼくらん様譲りで頭抜ずぬけて美しいし、頭の回転だって速いわ。仕草や立ち居振る舞いも本来はたおやかで美しいし、女性としても申し分ない逸材いつざいだと思うのよね」

「ちょ、白梨ほんとにやめて?」

 猛烈な寒気がして、玉蘭はぶるりと胴震いした。

「ただ、なよやかさには欠けるのよね。甘えるという手練てれんがないから、殿方から見たら女としての手応えは物足りてないかも知れない」

「いやそういうのいいですー」

「でも大事なことよ? 殿方ってねぇ、頼られると自覚以上の能力を発揮するものなの。それが独占することを許された見目みめうるわしい愛しの姫君なら、尚更」

「それはまあ……わからんでもないけども」

「策略としての手管だと割り切れれば、あなたも上手く甘えたりして立ち回れるでしょ? 逆に、そういう策謀さくぼうの両輪としての三交が欲しい人だったら、あなた喉から手が出る程欲しい人材だと思うのよね。あなた自身、裏の女帝みたいなものを目指せば、絶対覇権を握れると思うのに」

「だーからー! 俺はそういうのは厭なの! そもそも何でこのんでなまっちろい男のもんにならなきゃいけねぇんだよ!」



「あなた、なまっちろい女の子達は大好きなくせに良く言うわ」



 呆れたような白梨の言葉にぐうの音も出ない。

 天を仰ぎながら玉蘭は溜息をいた。ぱん、と自身の胸を左手で軽く叩く。


「ああ厭だ厭だ。なんで俺の周りにはこの切なる思いを受け止めてなぐさめてくれるうるわしい女の子達がいないんだろうか」

「だから、あなたが誰彼構わずちょっかいかけるから方丈ほうじょうから下女がいなくなっちゃったんでしょ?」


 その不名誉な事実を知るのは、五邑ごゆうの内では彼女くらいだ。玉蘭本人が教えたからである。

 白梨の目がじっとりと玉蘭をめつける。


「――ねぇ、わたしが気付いてないとでも思ってた? 三か月前にも五人くらい減ったわよね」


 ぴーぴぴぴーと視線を逸らしつつ口笛を吹く。頭の後ろで両掌を組んでいるのはわざとである。隠す気もないので形だけしらばっくれるのだ。

 「はあああ」と白梨は肩を落として立ち上がる。白い目でついと丸窓の外、玉蘭のそばへ身を乗り出した。


「ほんとにもう、この娘ったら」


 唐突に白梨は、つん、と玉蘭の眉間を人差し指で押した。思わぬ強さに玉蘭は重心を崩し後方へ倒れかける。慌てて組んでいた掌を外して欄干を掴もうとして掴み損ねる。代わりにその手を掴んだのは他でもない白梨だった。

 華奢な彼女の手でも玉蘭を引き留められるのは、不死石しなずのいしのの不安置はその身を六倍軽くするからだ。


「ったあ! 危ねぇ‼」

「ほんと少しは自重して? これじゃわたし、安心して方丈をてないわ」


 思わぬ彼女の言葉に、玉蘭は真顔になった。掴まれた手をぎゅっと握り返す。

「なんだそれ。白梨、何処どこかに行くのか?」

「わたしの嫁ぎ先が決まったのよ」

 ざわりと玉蘭の背筋が総毛だった。

「何処に、いや、誰に」

 白梨は指先を顎に当てて小首を傾げつつ視線をらした。

「何処にも誰にもわからないわ。いるかどうかを探しに行くの」

「は? なんだそれ」

「え、あなた聞いた事ないの?」

「だから何をだよ」



あまてらす様の花嫁巡りをするの」






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