4-3 ✦ 不都合な真実

『私が私で居られるうちに

 忘れる 記しておかなくては

 妻の名はフィオナ 息子はガス

 ……私は ザカライア……ペイジ』


 辛うじて読めるものの、ひどく字の歪んだ走り書きだ。かなり震えながら書いたのだろう。

 注目すべきは『ペイジ』の姓。これから世界を脅かす予定の男と同じ、というのは偶然ではないはずだ。

 それにかの敵は『オーガスタス』と名乗った。『ガス』はその愛称形でもある。


「これ、どこで見つけた?」

「……魔導書。挟まってたの」


 ジルは諦めて肩を竦めた。


 辻褄は合う。例の杖の情報は恐らく魔導書にしかない、つまり〈書庫番〉でなければその存在自体を知り得ない。

 だからペイジも魔導書庫の関係者である可能性は、〈追憶鏡〉の記憶を見た時点でジルも考えてはいた。


 それはそれとしてリオの反応が怖い。

 しかし、このとき彼は紙片の内容にはそれ以上触れず、ただ「とっとと食って出るぞ」とだけ言って、そのあともずっと黙っていた。



…✦…



 朝食後、二人はすぐに警察署に向かった。


 そしてあっさり分かったが、やはりザカライア・ペイジは前任の〈書庫番〉だった。

 妻のフィオナは一年前に病死。一人息子のガス――本名オーガスタスは、母親の葬儀のあと失踪している。


 ザカライア本人は存命で……所在は、精神病院となっている。


「……どういうことだ」


 愕然とした声でそう言ったリオは、ジルを振り返ると、すごい勢いで彼女の肩を掴んだ。


「痛っ……」

「おい、ジル……おまえなんで驚いてねえんだよ。知ってたのか。前任者は死んでないって」

「……うん」

「なんで言わなかった!」


 リオの剣幕に、調査資料を持ってきた別の警官が困惑しているが、彼は気づいてもいない。

 彼の手がひどく震えているのを感じながら、ジルは諦観していた。こうなると思っていたし、だから黙っていたけれど、いつまでも隠しておけないこともわかってはいた。


 魔導書は読者を侵蝕する。一般的な現代人にとっては、数頁も見れば即死ものの猛毒になる。

 ジルたちHSは侵蝕に耐えられるし、よほど何日も飲まず食わずで読み続けたりしなければ、休むうちに回復する。けれど全く腐食ダメージが残らないわけではない。

 少しずつ、何十年もかけて侵蝕は進んでいくが、魔力を失うまでは死なない。だから先に精神に影響が出る。


 二年前にジルが後任を頼まれたのは、前任ザカライアが廃人になったからだ。


「……辞めろ。〈書庫番〉、今すぐ降りろ」

「嫌。それに無理」

「なんでだよ!」

「……他にないからよ。知ってるでしょ、私が触ると、普通の魔法具は壊れちゃうんだから……こんな身体じゃ、他の仕事なんてできないの!」

「ッだったら俺が面倒見てやる!」


 売り言葉に買い言葉だ。勢いで言ってしまったのだろう、そんなこと、わかっていても。

 ジルは悲しかった。リオにそんなふうに言わせてしまったことが。

 何より心のどこかで嬉しいと思ってしまう自分のことが、情けなくて憎たらしくて、哀しかった。


「そんなの、……もっと嫌よ……ッ」


 これ以上、彼の人生を煩わせたくないのに。


 耐えきれなくなったジルは、リオの制止を振り切って飛び出した。

 傷ついた手で、同じ傷を持つ手を跳ね除けた。


 書庫に帰っても仕方がない。けれど他に行ける場所なんてそう幾つもない。

 自分が泣いていることには気づいていたけれど、濡れた頬を拭うのも億劫だった。

 涙と一緒に、余分な魔力を流して捨てられたらいいのに。もしそうならまともな人間になれるまで泣き続けるのに。


 立ち去る直前に、警察署へ続く道を見た。そこにリオの姿が見えないことに、ホッとしたし、寂しかった。




 …✦…




「……だから反対したのよ、あたしは」


 姉のメイベルは苦笑いしながら、ジルに温かい紅茶を出してくれた。

 ジルの交友関係は極めて狭い。どうせ誰のところに逃げ込んでもすぐに見つかるのだから、身内が一番気楽だ。

 ちなみにここはベルが営む花屋だが、先日ペイジの事件に巻き込まれたこともあり、しばらく休業するらしい。


「……あんなに怒るリオ、初めて見た」

「そりゃそうでしょ。ねえジル、もうプロポーズされたようなものだし、諦めて結婚しちゃえば?」

「絶ッ対やだ!」

「……あれだけ尽くして全力拒否なんて、可哀想なリオ……」


 ベルは涙を拭く仕草をした。かなりわざとらしかったが、言っていることは本音だろう。

 妹たちの関係を一番近くで見守ってきた人だ。


「リオが嫌なんじゃないよ。でも……。

 それに〈書庫番〉を辞めるのだけは絶対にない。私が降りても他の人が代わりになるだけだし」

「そうね。でもねえジル、二年前と同じことを言うけど。

 ――もしあんたが壊れちゃったら。そのときはあたしも、母さんと父さんも、リオも、みんな一緒だからね」


 人間はどう頑張ったって一人じゃ生きられないんだから――優しいけれど悲しい言葉を載せた手が、ジルの銀髪を撫でた。



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