4-2 ✦ 暗中模索

 ジルは夜通し魔導書を漁っていた。


 〈書庫番〉になって二年が経つが、未だに総ての蔵書を読み通せてはいない。単純に古い言葉の解読に時間がかかるのと、条件を満たさなければ開かない頁があったり、読むたびに内容が変化する本なども存在するからだ。

 魔導書も一種の魔法具であり、膨大な知が凝縮された情報媒体。読者つかいて次第でせいぎにもあくにも成りえる、という点では杖と近しい。


 現代の魔法は、特定の機能を有する器具に魔力を流せば完結する、かなり単純なもの。杖を振るって複合的な奇跡を起こす旧来オールドスタイルの魔導師は〈大散逸〉に姿を消した。

 ペイジは杖を手に入れて、過去の栄光を復活させたいのだろうか。

 それにしては引っかかる。最初に彼と対峙したとき――厳密には姉のメイベルが操られて代理に寄越されたのだが――彼はこう言ったのだ。


『私は〈書庫番〉を助けたい』


 意味がわからない。助けを求めた覚えはないし、迷惑だ。


 ジルは今の生活を気に入っている。ここには非魔法式の機械しかなくて気楽だし、毎日好きなだけ本を読めて、それで国から賃金が出るのだから最高だろう。

 魔導書の危険性ゆえ、約一名を除けば誰も気軽に来ない。お陰でHS魔力過剰症のせいで周りに迷惑をかけずに済む。

 ……リオさえ会いに来てくれれば、幸せだ。これ以上は何も要らない。


(あっちはどう思ってるのかな)


 そっと自分の唇に触れる。昼間、ほぼ事故に近い状況だったが、初めて彼にキスしてしまった。

 暗くて表情は見えなかったけれど、とりあえず嫌がられた感じはなかった。

 でも期待はするべきじゃない。むしろ、今のぬるま湯のような関係が心地いいから、下手に変えたくない。


 リオに恋人ができたらきちんと諦めるつもりだった。未だその時が来ないのは、もしかせずともジルが彼にべったりなせいだろう。

 いい加減、寄りかかるのをやめないといけない。


「……やめやめ、今はそんなこと考えてる場合じゃないっ」


 ふるふる頭を振って思考を霧散させる。今は世界の一大事、色恋沙汰は後回しだ。


 ふたたび魔導書の世界に入る。魔術の記述に用いられる古の言葉〈秘語ススッリ〉に触れると、神秘と邪悪の混沌に飲み込まれる心地がする。

 読むというより聞いている感覚だ。『囁き声』という語義どおり、文章が語りかけてくる。

 ――さあ、ジル、こっちにおいで。


 言葉が、文字が、ジルの中に入ってくる。幾百年の時を超え、死者の声がこちらの魔力を書き換えていく。

 この侵蝕効果こそ魔導書が危険な理由だ。現代人は少ない魔力をすべて上書きされることで、それを永遠に失ったのと同じ状態になる――つまり死ぬ。


 耐えられるのはHSだけ。これはジルにしかできない仕事。



 書庫には窓がない。どれくらいの時間が経ったかはわからないが、恐らく真夜中すぎ。

 暗闇の中で、ついにジルは求める知識ひかりに辿り着いた。


「よかった、これなら……、……?」


 安堵から下ろした手の中で、魔導書が勝手にぱらぱらとめくれる。見ればさっき見ていたのと違う頁に、恐らく栞代わりだろう、一枚の紙切れが挟まっていた。

 読んでいる間は気が付かなかったが、それだけ没頭していたのだろうか。

 自分で挟んだ覚えはないから、前任の〈書庫番〉か、あるいはその前の……。紙はそれほど古くはないし、さすがに魔導書が現役だった時代のものではなさそうだ。


 何の気なしにそれを拾い上げて、ジルは目を見開いた。



 …✦…



 朝から食卓にまともなものハムエッグとサラダが並ぶなんて魔導書庫わたしのいえとは思えない。

 ……と、普段は適当にオートミールを啜る程度のジルは思った。


 ついさっきまで寝ていたので、この健康的な朝食はすべてリオが用意してくれたものだ。

 自分用に豆を挽いている彼の隣に行き、挨拶がてら後頭部の寝癖を撫でつける。自分の身支度はそっちのけか。

 かくいうジルも今日は後頭部で団子シニョンにひっつめただけだが。


「おはよ」

「はよ。なんだ、機嫌いいな」

「聞きたい?」


 リオがちょっと目を開いてこちらを見たので、ふふん、と自慢げに胸を張ってみる。


「詳しいことは警察署でね。……あ、あと調べてもらいたいことがあるんだけど、それって誰に頼めばいいの?」


 と言いつつ、手の中の紙片は見せない、つもりだった。

 だがしかしリオは目ざとくそれに気付き「それか?」とその場で取り上げてしまう。


「あ、ちょっと……!」


 古い紙切れを拡げた途端、彼の表情は固まった。



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