3-2 ✦ 懐かしい香り
帰り着くなり、ジルは魔導書庫に籠った。今日は夜を徹してでもペイジへの対抗策を見つけるつもりらしい。
リオは好きにしろと言われたので、とりあえず台所を借りて食事を作ろうとした。彼女は熱中するとすぐ寝食を忘れるから世話が必要なのだ、というのは言い訳で、なんでもいいから護衛任務失敗の挽回をしたいだけであったりする。
とはいえ家主が家事全般を不得手とする――
もっぱら
「ジル、買い物行ってくるけど欲しいものあるか?」
書庫に顔を出して窺うと、ジルは魔導書と睨み合っていた。
伸ばしっぱなしの前髪を野暮ったい大きなピンで留めただけの、まともな神経の女なら他人には見せない姿を晒しているが、それをリオに見られても気にしていない。というか、声を掛けたのに視線すら寄越さなかった。
もちろん彼女は集中しているのであって、リオがどうでもいい存在であるというわけでは、ない、はず。
「んー……、何か甘いもの。頭いっぱい使ってるから」
「わかった。……なるべく早く戻る」
「あーい」
生返事に見送られてリオは外に出る。書庫は
ところでジルに夕食の希望を聞かなかった理由は二つある。
一つはリオ自身それほど料理の
もう一つは、彼女はかなり偏食なので、聞かなくてもおおよそ予想がつくからだ。
よって買う食材は概ね決まっているから迷いはないが、頼まれた
リオはあまり甘いものを好まないので、腐れ縁と言えどもジルの甘味の好みについてはあまり明るくなかった。とりあえず果物や菓子類の棚を眺めながら、子ども時代の記憶を辿って、嫌いだと言っていたものを消去法にかけていく。
そうして闇雲に歩き回っていたリオは、ふいに懐かしい香りを感じて足を止めた。
「……あ」
食料品店に併設されたパン屋の店先。
白いクロスを掛けた平台に、つやつや光るアップルパイが並んでいた。
…✧…
今から十年以上前、リオとジルが初等教育を受けていたころの話だ。
それ自体は幼少期に限った話ではないが、春といえば身体測定と健康診断がある。
身長体重に座高、視力、聴力、エトセトラ。それらに加え、二人が通っていた学校では体力測定も一緒に行っていた。
ジルは運動神経が壊滅的で、毎年これをものすごく嫌がったが。
もちろん魔力の測定も行われる。
検査に使われる器具は何種類かあるが、よく見られるのは〈
それを使って自分の魔力の量や、属性に偏りがないかを確かめるのだ。たとえば炎熱系が強く出ている場合、反対の性質である氷雪系の魔法が苦手だったりするので、知っておく必要がある。
リオとジルは同じクラスだったけれど、身体測定は男女で組が分けられていた。男子が先で、全員が計測を終えてから入れ替わる方式だったので、ジルとは検診部屋の前ですれ違う。
着脱のしやすさと後の体力測定への備えで、生徒はみんな体操着姿だ。
「ジル」
例によって彼女は青い顔をしていた。リオには大げさとしか思えないが、ジルはこのあと待ち受けている体力測定を心底恐れていたのである。
そんなに緊張していたら余計に数値が悪くなるだろう。そう思ったリオは、気を紛らわせてやるために声を掛けた。
「顔。ブスになってんぞ」
「……な、なによう。わざわざ意地悪しに来たの?」
「べっつに。……そういや、新しい先生っておまえの病気のこと知ってんの?」
「んん、まだ」
ジルはふるふると首を振る。両耳の上で二つ結びにされた銀髪が、赤い
「ちゃんと言っとけよ。また測定器ぶっ壊して怒られんぞー」
「わかってるもんっ」
決して本人には言わないが、むっとした顔もかわいいと思っている。なのでリオはよくわざと意地悪を言ってジルを怒らせた。
周囲には、彼女は大人しくて温厚な子だと認識されていたようだけれど。
そんなことはない。ジルはただ、いつだって人の何倍も我慢を強いられているから、堪えることに慣れているだけだ。
今思えば、だからこそ余計に彼女を怒らせたいし、泣かせたかったのかもしれない。
たとえ周りと違ったって、それで病気扱いされていたって、人と同じように泣いたり笑ったりしてもいいはずだろう。
ぷりぷりしながら身体測定の部屋へ歩いて行くジルを見送って、リオも次に向かった。視力や聴力は隣の部屋だ。
――そして数分後、事件は起きた。
→
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます