3-3 ✦ 鮮赤の記憶

 最初に聞こえたのは、硝子か何かが砕けたような破裂音だった。直後に何人もの折り重なるような悲鳴が続く。

 それらの発生源は隣――身体測定の部屋だと察したリオは、視力検査の途中で遮眼子スプーン状の器具を放って走り出した。

 騒然としている廊下を突っ切り、扉のところにいた教師に止められても振り切って、中に飛び込む。


 目に飛び込んできたのは、夥しい赤。赤。赤。

 そして原型がわからないほど粉々に砕け散った硝子のようなもの。


 惨劇の中心には、誰あろうジルが倒れていた。


「――ジル!!」


 リオは迷わず駆け寄り、手足に破片が刺さるのも構わずにその場に膝を衝いて、ジルを抱き起こす。

 体操着はあちこち引き裂かれてぼろぼろになり、じっとりと血に湿っていた。辛うじて意識はあるようで、虚ろな瞳がリオを見上げ、桜色の唇がわなわなと震えている。


 辺りを見回すと、すぐ傍に大人も倒れていた。白衣を着ているから検診を請け負っている病院の職員スタッフだろう。

 それから教室の隅に他の女子生徒が塊になって怯えている。

 見たところ怪我をしているのはジルと職員だけで、他は無傷か軽傷で済んだようだ。それだけ確認するとリオは入り口に向かって叫んだ。


「先生、救急車!」

「え、っあ、ああっ……」

「早く! ――あと怪我人はHS魔力過剰症だって、言い忘れんなよ!」


 少年の怒号に、まだ若い教師は肩をビクつかせる。図星だったのだろう。

 ジルには教師に話すよう約束させたし、彼女が自分から器具を触るはずがない。

 状況からして病院の職員が事情を知らずに対応してしまった風だ。となると連絡漏れがあったのは教師と職員の間になる。


 離れるべきじゃなかった。もっとジルの周りに気を配るべきだった。

 これからはちゃんと、リオが彼女を守らなくては。


 HSは国内に片手ほどしかいない稀少体質。身近にいなければ、その苦労はなかなかわからない。

 この教師は赴任してきたばかりで、今までHS患者の生徒を持ったこともなかったのだろう。

 それに魔法式の機械に触れると壊してしまうとはいっても、大抵は動かなくなるだけだ。こんなふうに爆発したりはしない。


 周囲の破片は恐らく〈煌玉晶〉だ。測定器だから普通の魔法具よりも魔力の伝導率が高く作られているし、属性を検出するために増幅する機能もある。


「……リ、オ」


 ジルの声がした。視線を落とすと、紺色の瞳と眼が合った。


「て……逃げ……、……触……ちゃ、……」

「え? 何――」


 うまく聞き取れずに訊き返そうとした直後、リオの視界は真っ赤に染まった。



 次に目が覚めたのは病院のベッドの上。あとから聞いた話では、あのとき周りに〈煌玉晶〉から零れた魔石の破片も散らばっていたらしい。

 それにジルから漏れた魔力が通伝して二次爆発を起こした。リオはそれに巻き込まれたのだ。


 かくして少年の身体には幾つかの傷が残った。肩から胸にかけてと、右の手のひらから二の腕まで続く裂傷が一番大きくて、あとはもっと小さなものも何個所か。

 ジルは当事者だけあってこちらの倍ほど傷だらけになったようだ。唯一の幸運は、顔には痕になるような深い傷が残らなかったことだろう。

 二人はなぜか同じ病室だった。普通は検診と同じく男女で分けられるはずだが、どうやらジルがかなり駄々を捏ねたらしい。


 そのジルはというと、すっかりふさぎ込んでいた。


「……リオ、痛い?」

「べつに」

「ごめんね……」

「は? おまえが謝ることじゃねえだろ。悪いのは言い忘れてた先生だし」

「でも」


 ジルは寝台の上で膝を抱えて俯いた。下ろした長い髪が背中を覆っているのが、まるで白銀の盾のようだった。

 けれどリオは知っている。それは柔らかくてふわふわで、触れた相手を癒すことはあっても、ジルのことを守ってはくれない。


「……もうやだ。なんで、……リオまで……」


 彼女が涙声でぼやいたとき、病室の扉が開いた。続いて「お見舞いだよー!」という場違いなほど明るい声。

 リオたちが揃って顔を上げた先には、大きめの紙袋を手前に突き出しながら笑う、ジルと同じ色の髪と眼をした歳上の女子の姿があった。

 彼女はメイベル。ジルの四つ上の姉で、リオとも長い付き合いだ。


「ベル姉、……ここ病院だぞ。静かにしろよ」

「はいはい、あんたは仏頂面どうにかなさいね。で、……あれジル、なんで泣いてんの? お見舞いがそんなに嬉しい?」

「っ、ちが……」

「え……ひどいわジル、リオといちゃいちゃしたいからお姉ちゃんは邪魔だっていうのね!?」

「……それはもっと違うー!!」


 ご覧のとおり、ベルはあまり空気を読まない性格をしている。まあたぶん、このときは彼女なりに落ち込んでいる妹を元気づけようとして、わざとボケをかましたのだろうが。

 実際ジルは涙を引っ込め、顔を真っ赤にしてきゃあきゃあ怒り始めた。


 まったく女が集うとかしましいったらない――というのは建前で、ジルが気を取り直したらしいのを見て、リオは内心ほっとしていた。言葉足らずでぶっきらぼうな自分では、うまく慰めてやれないという自覚はあったからだ。

 だからあとはベルに任せて寝るか、と布団に潜り込もうとしたところで。


「まあまあ。それよりこれ、二人でお食べ」


 ばばーん、と口頭で効果音を添えながら、ベルが紙袋から取り出した箱を開けた。



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