3-4 ✦ 一番欲しいもの
箱の中に鎮座していたのは、小さいが
ジルはそれを見た途端に機嫌を直し、わぁっと眼を輝かせた。
「美味しそう! ねえほら、リオ起きて!」
「甘いもんはあんまし……」
「ちっちっち。あんたがそー言うと思ってこの
「お姉ちゃん、早く切ってっ」
もはや女どもはリオを無視し、皿やナイフを取り出し始めた。ベルはちゃっかり自分の分も切り分けている。
刻まれるパイ生地のざくざくという軽やかな音には、確かにリオもそそられるけれど。
「リオは甘いのダメだけど、果物は好きでしょ。とくにりんご。で、ジルはおやつが好き。そこであたしは考えた」
ベルは綺麗に四等分したひと切れを持参した小皿に載せ、リオに差し出しながら芝居がかった口調で続けた。
「りんごのお菓子なら二人とも喜んで食べるはず! ってね」
「……どーいう理屈。まいいや、食う」
「一言足りないんだけど?」
「……。ありがとう」
「よろしい」
姉と幼馴染みのそんなやり取りを、ジルはくすくす笑って見ていた。
だからリオもアップルパイを受け取ったのだ。一番欲しいものはもう貰ったから。
楽しいおやつの時間のあと、ベルがあれこれジルの世話を焼いているのを、リオは隣でぼけっと眺めていた。女っていろいろ面倒なんだな、と思いながら。
とくに長い髪はまめに櫛を通さないとぐちゃぐちゃになってしまうとか、痛まないように毛先の方からほぐすのだとか。あーだこーだいいながらも楽しそうだ。
だが梳き終わった髪を結う結わないの話になると、また不穏な空気が流れだす。
「え、リボン捨てちゃったの……?」
「ごめんね。でも、血まみれのボロボロだったから」
「……お気に入りだったのに」
またしてもジルはしょんぼりと俯いてしまう。ベルは慌てて「退院したら新しいのを買おう」と宥めるが、あまり効果がない。
とうとう「今欲しいの」と言って泣き出してしまった。
見ていられなかったリオは寝台から降りて、ベルの足許に置かれていた紙袋を勝手に漁る。
出したのはパイが入っていた箱。それもまた、ジルが失くしたのと同じ格子柄のリボンが結んであったからだ。
といっても、ジルが持っていたのは鮮やかな赤で、これは
そんな細かいところまで配慮してやる気もないリオは、箱から外したそれをジルの眼前に突き出した。
「ほれ」
もちろんジルはちょっと意味がわからなくて、きょとんとしてリオを見る。
「え……?」
「リボン。とりあえずこれ着けとけ」
「いや、あんたそれお菓子の箱のだし……色も違うし……あと一本しかないし」
「髪型変えりゃいいだろ。とにかくジル、くだんねーことで泣くなよ」
「く……くだらなくないもんッ!」
あんまりな言いぐさにジルは怒ったが、リオにとっては計算どおり。とにかく泣き止んでくれさえすればよかった。
笑わせるのは上手にできないから、せめて。
ジルはしばらく怒っていたが、リオは幼馴染みがきゃあきゃあ吠えているのを、はいはいと慣れた具合に聞き流す。正直いつものことなので。
その間、ベルはジルの髪を結っていた。しかも面白半分でか、とくに許可もとらずに菓子箱のリボンを勝手に結んでいる。
最後に手鏡を使って仕上がりを見せられると、やっとジルは怒気を収めた。
「ん、嫌いじゃないかも」
「もーワガママ娘。あ、ついリボンつけちゃったけどどうする? 取る?」
「……ううん、これでいい」
正直よくわからないが、なぜかジルは新しい髪型とリボンをお気に召したようだった。指先でちょいちょいとつついて楽しそうだ。
まあ文句を言われ続けるよりは好ましいので、リオも何も言わずにその様を眺める。
そんな二人を見てベルも満足げにしていた。
入院期間は二週間ほど。HSであるジルのために魔法式機器が持ち込めないせいか、四人部屋なのに他の患者が入らなかったので、短い間ながら二人きりだった。
その間「着替えるから今カーテン開けちゃダメ!!」とか、リオとしては心穏やかでいられない事態もあった。
しかし、昼夜を問わず傍に相手を感じられる、というのはなかなか稀有な経験であったと思う。寝台の間隔は歩数にして十足らず、ジルが不安そうなときはすぐに駆け付けてやれる距離だった。
だから退院したあと、改めて考えた。
今までは、将来は結婚でもすれば、ずっと一緒に居られると思っていた。けれど案外そうでもないらしいのは自分の両親を見ていればわかる。
大人は色んなものを抱えている。ときには家庭より仕事を優先しなければならず、それが原因で夫婦喧嘩したりする。
ずっと傍にいられないなら、どうやってジルを守ればいい?
一番いいのはそれ自体を仕事にすることだ。でもジルは〈書庫番〉の道を選んでしまい、原則として魔導書庫に警備員は置かれない。
それならもっと広い範囲、つまりこの街ごと守るのが手っ取り早い――それが、リオが警察官を志した理由だ。
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