2-4 ✦ 闇の中の魔導書
ジルが国から〈
十代の娘には重すぎる役目だ。両親や姉は反対したが、結局本人の意志が貫かれた。
そのときリオは、ただ静観していた。
〈大散逸〉によって魔導の大半はすでに失われている。その残留物から再構築された現代魔法は、規模は大幅に縮小したが、代わりに科学と融合した。
伸びしろの多い魔法科学の発展によって人びとの暮らしは日々豊かになっていく。けれど世の中が便利になるほど、反比例して
何しろ身の回りにある機器は大半が
少数のHSのために非魔法式の機材を常設する場所はなく、公共機関はほぼ使えない。時に破損させて弁償することも。
交通、医療、福祉、あらゆる場面で苦労が絶えない。そんな彼らを疎んじる人間も、世の中には存在する。
だからジルは引き篭もりがちになった。外で誰かに迷惑をかけたり嫌な思いをするより、独りでいることを選んだのだ。
彼女の孤独を癒せるのは、触れても壊れることのない本だけ。
リオはそんなジルをずっと近くで見てきた。だから彼女が〈書庫番〉になると言い出したときも、反対する気になれなかった。
それがジルにとっての幸せなのだと思ったから。
「急になんだよ。別に、さっきはそういう意味で言ったんじゃねえ」
「……どうかしら」
拗ねるような口調でぼやくジルは、自分の手のひらを眺めている。今も消えない傷痕を。
「ジル、俺は――」
――ぽわぁ。
リオが悩みながら口を開いたところで、たいそう気の抜ける音が邪魔をした。一応これが警察に公式採用されている探知機の通知音である。
冗談みたいな音はなかなか止まず、壁際でぽわぽわ鳴り続ける。
「あはは、かわいい。……壊れたわけじゃないよね?」
「違う。けど挙動が変だな……たしか、こうなるのは対象物との間に障害物があるとき……」
なのだが。探知光は間抜けな音を発しながら、壁に突進を繰り返している。
魔術的に情報経路が封じられているとはいえ、そのまま剥き出しで転がっているとはリオも考えていなかった。
だが、まさか壁の中か。塗り込めでもしたのか。
一応おばさんを振り返ってみたが、青ざめた笑顔で首を振られる。さすがに壁を壊すなら改めて許可を取る必要がありそうだ。
とりあえず探知機を一旦停止させ、電灯で辺りを照らしながら壁の周囲を探っていると。
「あ……ねえリオ、ここ継ぎ目がある。隠し扉かも」
「お。じゃあどっか押せば開くか?」
「かなぁ。……ふふ、なんか宝探しみたいね」
「実際似たようなモンだろ。そういやガキの頃はよくやったよな」
「――そうだっけ」
また、違和感がリオを襲った。
想定外のジルの返答。思わず隣の彼女を見遣ると、またしても表情が消えていた。
「覚えてねえのか」
「え? 何が?」
「……いや。扉の
「んーん、リオも探してよ」
何かがおかしい。
だが今は考えても仕方がない、事件の解決が先だ。さっさと天球儀を探し出して、危険な杖とやらを敵よりも先に回収し、犯人を逮捕する。話し合うのはそれから。
それに実際、本当に考える暇などなかった。
時間にしてわずかに五秒後。ジルが触っていた壁が、俄かに燐光を放ち始める。
ちょうど扉くらいの大きさの長方形を象り、その内側には無数の記号や文字がつらつらと並んでいる――まるで本の
「……リオ、見ないで!」
ジルが叫んだときにはもう、リオは耐えられずにその場に膝を衝いていた。
身体じゅうの魔力がふつふつと煮えて脳を焼いている、そんなおぞましい感覚に陥る。五感がまともに機能していない。ジルの声も途切れて聞こえる。
これは一種の魔導書だ。太古の呪詛〈
現代人には存在そのものが猛毒に等しい魔導黄金期の遺物。
ジルのように甚大な魔力の持ち主だけが、その侵蝕に耐えうる。ゆえに彼女は〈書庫番〉に選ばれた。
「リオ、しっかりして、ねえっ……!」
「ゔ、あぁ……、ジ、ル……」
「どうしよう、ッそうだ受付さんは!?」
振り返ったジルの眼に、床に蹲る女性の姿が映る。地下倉庫の入り口からはだいぶ離れているが、大きさと光のせいで多少見えてしまったのだろう。
しかしリオはもっと重傷だ。ジルは泣きそうになりながら彼を抱き締める。
〈秘語〉侵蝕への対処は正常な魔力を流し込むこと。いや、こんな至近距離で魔導書を目の当たりにしたのだ、皮膚接触では間に合わない。
――だったら、もっと早いのは。
「……文句はあとで聞くから」
呟くなり、彼女はリオに口づけた。
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