4-5 ✦ そして嵐が来たる

 とうとうただの幼馴染みではなくなってしまった。

 喜べばいいか嘆くべきか。答えは出ないまま、ジルはリオの腕の中で多幸感に浸っていた――が、突然の拍手によって現実に引き戻される。


 二人がぎょっとして振り返ると、ベルが笑顔で手を叩いていた。


「いいもの見せてもらったわー、お姉ちゃん五歳くらい若返りそう」

「……悪いベル姉、忘れてた。でも帰れ」

「ここあたしの家だってことも忘れないで?? てわけで続きイチャつくのは余所で……って、ああ! 帰るで思い出した、ちょっと待ってて」


 急に慌ただしく奥に向かうベルを見送ってから、リオの腕をつつく。なんだかんだ姉を前にしても彼はジルを離さなかったのだ。

 ところが逆に力を強められる。違う、そうじゃない。


「ちょ、苦しいってば。ベルもいるし……」

「今日ほどベルを邪魔だと思った日はない。……逃げんなよ?」


 リオは不服そうにジルを解放したが、その後もさりげなく出口を塞ぐような立ち位置を保持した。そんなに信用ならないかと言いたいけれど前科者なので黙る。


 とりあえず元腐れ縁新米カップルが微妙な空気感を味わっていると、ようやくベルが戻ってきた。手に何か持っている。

 はい、と渡されたのはスプーンだ。といっても食事には使えなさそうな、蔦が絡んだ愛らしい意匠デザインの。


「何これ、魔法具? ……って私が触って大丈夫!?」

「いいわよ。これ実家うちに届いたんだけど、あんたが帰らないもんだから、あたしが預かってたの」


 持ち手の頭に小さな結晶がついている。指先でそっと撫でると、淡く光った。


「見てのとおり〈魔法のスプーン〉。特注のHS魔力過剰症専用魔法具よ。機能はずばり、あんたの有り余る魔力を他の人におすそ分けしたり、逆に掬いとることもできるんだって。

 まだ試作品だけど魔導書の侵蝕対策、ってことで、国からあんたへの贈り物よ」

「……こんな道具あったんだ、知らなかった」

「つい最近発明されたばっかりらしいからね。効果はこれからあんたが証明するの」


 思わず顔を上げるとベルと眼が合った。姉妹でお揃いの濃紺色の瞳は、今はきっと同じ光が浮かんでいることだろう。

 〈魔法の匙〉を握りしめ、ジルは頷いた。


「ありがと、お姉ちゃん」

「ふふ。落ち着いたら実家にも顔出すのよ? あ、リオも連れていきなさいよ、やっと婚約しましたってね。父さん失神するかもしれないけど」

「ちょっ……!」

「……手土産考えとくか」

「リオ!?」


 まだそこまで話進んでないでしょと言いかけたが、似たようなものかもしれない。

 こんな女と付き合うなんて、きっとそれだけで相当な覚悟だ。HSの〈書庫番〉で、大して美人でもないくせしてワガママで偏食で家事もダメで、特技なんて魔導書が読めるくらい。

 どうしてリオが傍にいてくれるのか、正直わからない。


 けれど不安になって彼を見れば、いつもの仏頂面のまま、慣れた調子で手が差し出される。


「ほら。帰るぞ」


 ジルがつけてしまった傷痕。そこに自分のそれを重ねた。

 混じり合う手のひらの温もりに、そういえばそうだったな、と思い出す。


 あの日、恋を自覚した。リオが幼馴染み以上の存在になった。

 彼が危険を冒して事故現場に飛び込み、一緒に傷だらけになりながらも、ずっと傍にいてくれたから。




 冷静に考えると今までもよく手を繋いで歩いていた。小さい頃からの習慣だったが、大人になっても続けていたのは傍から見れば妙な光景だったかもしれない。

 でも、これからは、きっと新しい意味になる。


 魔導書庫に帰り着くと、ジルは真っ先にある魔導書を引っ張り出した。

 これが現状唯一のペイジへの対抗策。今後はいつ彼が戻ってきてもすぐ対応できるよう、常に肌身離さず持つことにする。

 適当な鞄に収め、台所で待つリオの許へ。改めて警察署に行き、今後のペイジへの対策について、上の人たちと認識のすり合わせをしなくては。


 リオはなぜか神妙な顔をしている、と思ったらこんなことを言い出した。


「……ジル。俺、今夜は外で寝るわ」

「え、急に何? なんで? 風邪引くよ?」

「いや。……今の心境でひとつ屋根の下、っていうのは」


 そこでまた抱き寄せられて、キスされる。軽く触れただけなのに、なぜか充分甘ったるくて、ジルは眩暈がしそうだった。

 正直全然そういう系統の男性だと思ってなかった。油断していた。話が違う。


「……そういう気になっちまう」

「ぁう……。そ、れじゃ……ま、魔導書でバリケード作る……」

「殺意が高え」

「ちち違うよ、嫌ってわけじゃ、な……い、けど、ッせめてペイジの件が片付くまで待って! こ、心の準備、が……」


 一般的にいい歳した両想いの男女はそうなるものかもしれないけどお付き合い一日目でそれはありえない少なくともジルには無理だ。耐性がなさすぎる。

 今だってキスだけで心臓が壊れそうになのに。

 というか、まさか、今後もこんな空気が続くんじゃないよね? そういうのは恋愛ロマンス小説の中だけで充分だよ! ――と引き籠りの本の虫が悲鳴を上げた、そのとき。



 地面が、揺れた。

 物凄まじい轟音を伴って。



 二人ははっと顔を見合わせ、それから音のしたほう――外に飛び出した。そして、見た。


 魔導書庫の前に佇む、見上げるほど巨大な黒い獣。

 現存する動物とは似つかない異様な姿だった。艶のない暗黒の鱗で覆われた歪な体に、骨と皮を継ぎ接ぎにしたような禍々しい翼を大小二対も備え、太い脚は錆色の鉤爪で地面を掴んでいる。

 そしてその脇には、見覚えのある黒衣の男が佇んでいた。穏やかな笑みを浮かべて。


「助けに来たよ、〈書庫番ビブリオテーカ〉」


 かく宣うオーガスタス・ペイジの手には、おぞましい造形の杖が握られていた。



 ✦続く✦

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