第8話:適材適所ってなかなか難しい。(後編)

 図書室というだけあって、インクの匂いや紙匂いの充満する床一面カーペットの部屋。司書のような人に頭を軽く下げ中を散策する。


 棚の高さは一番高い所でも手を伸ばせば届く位置にある。本棚の列ごとに掛かっている持ち運び式の梯子はしごは使わなくてよさそうだ。

 ここが学園ということもあり学術書らしきものが多く散見されるが、目当てのものはなかなか見当たらない。


「何を探しているのですか?」

「数学書だよ。数式は記号さえわかれば言葉を知らなくてもレベルがわかるからね」

「なるほど。それでしたらこちらですよ」


 そう言って先導してくれるライラについていくと、他よりも小さな本棚に中学校の教科書のようなサイズ感の本が置いてある場所に着いた。


「ここには授業で取り扱っている数学書が置いてあります。もっと難しいものになりますと向こうの本棚ですね」


 ライラの指差す場所は図書室の一番奥。壁に沿うように置かれた天井まであろうかという大きな本棚。

 実際にこの場所についた時から視界には捉えていたが、あまりの本の多さと本棚の高さに見て見ないふりをしていた場所だ。


「ここのエリアに数学書とか旧憲法書などの古い本がまとめられていますよ」

「なぜ数学書と古い本が一緒にまとまってるんだ……」

「おそらく、学園であまり取り扱っていない範囲だからでしょうか?」

「後でそっちも見てみるか」


 今は教材として取り扱っているというこの本から見てみよう。

 手近な本を適当に一冊引き抜き、ページを捲ると目次のらしきものに目が止まる。


「アラビア数字!?」


 小見出しのようなものの文字は読めないが、それに宛てがわれている数字は普段の学習で学んできたアラビア数字で間違いない。

 いわゆる1、2、3……である。この星に来て初めて馴染みのあるものが出てきたことに、安心感のようなものとなんとも言い難い不安感が僕の中で生まれる。


「そっちの星もアラビア数字って言うのですね」

「えっ、こっちでも同じ名前なの?」


 そこまでいくとちょっと怖いな──この星にもアラビアという名前の場所があるのだろうか。


「いえ、そんな場所は聞いたことないですけど……アラビア数字は作った人の名前から付けられた名前だと聞いてますよ」

「さすがにルーツはちがうか」

「にしてもこんな偶然があるのですね」


 不思議とライラと話していると先程まで心にあった不安感が薄れていくのを感じる。

 一ページずつ丁寧に見ていくが、この内容は中学生で習う数学とほとんど同じレベルだと思う。簡単かどうかはさておいて、難しい式は出てきていない。


 この問題は──一次方程式か。この星の文明は七三一年しか経ってないのにこんなものまで習うのか。

 街並みもそうだけど、あまりに成長が早すぎる。一回生まれ変わったというアイラ様の言葉はきっと本当なのだろう。


 ──希望を抱いて停滞している僕らとは大違いだ。


「シュウ?」

「あぁ……ライラこれ解ける?」

「えっと、一次方程式はまだやっていませんから、ちょっとわかりませんね」

「なるほど」


 ベージをめくっていくと、濃度の計算が出てくる。数学といっても、厳密に科目化している訳ではなく、理科の計算も一緒に習ったりするようだ。


「あっこれなら分かりますよ!」

「おっ?」

「八〇グラムの水に二〇グラムの塩を混ぜるので……二五パーセントですね」


 中学生が一回は考えさせられるところで躓いたな。


「いや、全体が一〇〇グラムになるから二〇パーセントだな……これ、例題だよな。授業、ついていけてるか?」

「うぐっ……シ、シスターにパーセントとかは関係ないので」

「何か相談事があれば耳を傾け導くんだろ? どうするよこの質問来たら」

「人の意欲というものは何か問題を解決する時にその力を発揮します。問題が分からないと言われれば、家族や友と共有したり、先生方に直接教えを乞ういい機会になるでしょう。それは友人関係の改善、親に相談すれば、滅多に自分のことを話さない子供の生活を知る良い機会になるでしょう。自分は一歩引いて、人の結び付きやチャンスを提供する。これが私の仕事ですから」

「口は上手いのな」

「社会性の学習です。シュウももっと頼っていいですからねー」

「……なるべく早く自立できるように頑張るよ」

「縁なき衆生は度し難しですよー」


 縁なき衆生は度し難し──なんか仏教由来のことわざ出てきたけどこの世界の宗教ってどうなってるんだ?


 ──まぁ、自分が役に立てそうなものは見つかったから良しとするか。


「そうだ。生物図鑑とかってある? ドラゴンとか載ってたら見たいんだけど」

「見ても解説は読めないですよね……まぁ、すぐそこですから取ってきますよ」

「助かりますー」


 その間に数学書は一通り目を通しておく。パラパラとめくっていくが、そこまで難しいことは書かれていないように思えた。

 ライラを見て、ライラと話していて決して頭の悪い印象は覚えない。むしろかなり頭のいい方だろう。それなのにも関わらずなぜこのような問題が解けないのだろうか。教育に問題があるのかもしれないが、少し不思議だ。

 まぁ、授業を受ければわかる話か。


「はい、これですね」

「おっ早かったね。ありがとう」


 早速開いてみる。どうやらこの星に写真の技術は広がっていないようだ。生き物の体形はスケッチで示されており、説明文だけのものもある。


「ライラ、この文字の意味って何?」

「えっと、それは絶滅した生物という意味ですね。スケッチは載っていないですが、だいたいこんな感じだろうという生態は書かれていますね」

「絶滅した動物も一緒に載っているのか面白いな」


 この星に来て目にした馬車の馬やドラゴンなどの説明ものっている。説明文は分からないが見る分にはすごく楽しい。童心に返った気分だ。

 にしても僕の星にいた生物と姿形は似ているものが多い。収斂進化しゅうれんしんかのようなものだろうか。


「楽しいですか?」

「楽しいね。自分の知らないことを学ぶのは」


 少し子供っぽく見えているのだろうか。ライラが優しい顔をしている。


「そういえば、大きい本棚見ますか? そろそろ時間的に移動した方が良いのですが」

「あー、じゃあちょっとだけ見ようかな。でも、授業では扱ってないんだよね」


 参考程度に拝見しよう。手にもっているものをしまい、生物図鑑をライラに渡し、先に大きな本棚の方へ向かう。


「なんだこれ」


 思わず声が出てしまう。これは未知のものに出会ったからでたものではなく、ここにあるのが不思議な既知のものを疑うである。


 読めてしまう。この本は。


 タイトルから数学の本だとわかる。大学数学の内容だ。世界で一番美しいオイラーの公式やマクローリン展開の発展的な内容が載っている。つい一年前に学んでいた内容だ。忘れるわけがない。

 これは過去の勇者が持ち込んだものなのだろうか。しかし、アイラ様は衣類くらいしか持ち込まれたものがないと言っていた。と言うことは過去の遺産の仲間なのだろうか。でもそれだと僕の母国語で書かれている意味がわからない。


 とりあえず、この本のことはアイラ様に報告だ。


「ライラー。この本を借りたいんだけど」

「何かいい物でもあったのですか?」

「うん。これね」


 少し離れたところで本をのライラを呼びつけ、先程の本を見せる。しかし、それを見たライラは顔を少しつまらなそうにする。


「また読むのも難しい本ですね。なんて書いてあるんですかこれ」

「まぁ、数式読めれば関係ないからね」


 詳しいことは帰ってから考えよう。時間がなさそうなのでライラに頼んでこの一冊だけ借りることになった。


「一回で十日借りられるので覚えておいてくださいね」

「了解──そうだ、ライラ」

「なんです?」

「勉強で知りたいことあればいつでも聞いていいからな」

「……ありがとうございます」


 適材適所というには今のところできることは数学ぐらいだが、してもらってばかりの環境で、できることがあるというのは少し気が楽になった。

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