第2話 夜会にて(2)

 殺意。

 他人を害したいと思う心。


 普通、そんな危ないものを表に出す人はいない。思ったとしても心の奥深くに秘めるもの。だけれど、私にはわかってしまうから――


「あの……。間違っていたら申し訳ないのですが。どなたかをお殺しになるのですか?」


「――――!?」


 目を見開き、振り返る彼。

 背後に、シャクナゲ警戒ハナズオウ不信が咲き乱れる。


 鎌をかけたがどうやら図星。

 やはり後ろ暗いことを考えていた様子の彼は、言葉を紡ぐ。


「お前、何を知っている……?」


 鋭い視線と、敵意が私に花弁を向けた。

 

「――お前ではありません。わたくし、シィル・アムンゼンと申します」


 射殺いころさんばかりの視線をサラリとかわし、私は静かに名乗った。初対面の淑女レディに対する物いいとしては、あまりに野性味が過ぎるもの。


 一方彼は、表情をますます険しくし、シャクナゲ警戒で顔が隠れようとするほど。これは、『触れるな』というところだろうか。毒のある花だもの。


 わたしは、ため息をつきながら、言った。


「そんなに警戒しないで。あちらでお話ししませんか? わたくしは敵ではないです」


 なぜわかったかなんて、詳しくは言えない。

 だけれども、話を聞くことで思いとどまってくれるのならば――。


「――――わかった」


 長い沈黙のあと、彼はうなづき、私にしたがってくれた。



 ◆◆◆


「北方辺境伯オラトリオ家が跡継ぎ、ベルクント・アダムス・オラトリオという。帝都では近衛このえ騎士団に身を置いている」


 北方辺境伯といえば、帝国の北方を守護する大貴族だ。武勇ぶゆうに長け、荒々しい武闘派という噂。そのうえ、近衛騎士団だ。帝都ブランデオンに集まる貴族の若者たちがこぞって憧れるというあの近衛騎士団。


「……オラトリオのお世継ぎ様ということは、かの極北きょくほくの白狼と呼ばれた、名君アドルフ・ユニス王の末裔まつえいでいらっしゃるということですね。わたくし、白狼アドルフ王の英雄譚の大ファンなのです」


 そう伝えると、彼は「おお、アドルフ王をご存じか」と頬をほころばせた。

 彼の肩にはそよそよとアルメニア共感が咲く。


 それで、やっと警戒が解けたのか彼はぽつぽつと、事情を話してくれる。


 それによると。


 彼には姉が一人いたが、ある貴族子弟に騙されもてあそばれた。婚約を餌に近づき、純潔を奪い、挙句にそんな約束など知らないと捨てられたのだという。


「姉上はショックで、病みついてしまった。帝国との関係を悪化させるわけには行かず、辺境伯家は泣き寝入りをすることになった」


 北方辺境伯が帝国に封じられたのは20年前のことであると記憶していた。それまで独立した国であったノバス=オラトリオは時代の波に逆らえず帝国の一部になった。きっと苦渋の決断だったのだろうと思うが、王族の末が今こうして貴族をしているのだから、英断だったのだろう。


 だけれど、しょせん後進こうしん貴族。この帝国領内での地位はそれほど高くない。


「奴はあろうことか、『北方の蛮族あがりのオオカミ女が何を勘違いしているのか』と衆人の眼前がんぜんで、罵倒ばとうしたのだ。我々は、誇りを第一とする気高き民だ。誇りを汚されたままではいられない」


 彼の周囲に紫のピオニー憤怒が咲き誇る。クローバー復讐オトギリソウ恨みも生えてきた。


「ではあなたは、姉上のために、この場でその貴族を討とうとされていたと?」


「――いや、それは」


 彼の肩にニゲラ戸惑いがそよぐ。


「宴の席で、そのようなことをすれば、我がオラトリオの家名に傷がつく。そのような暴挙ぼうきょに出れば、私の首だけでなく家の存続も……。だが、おさまりがつかないくてな。せめて文句の一つも言ってやろうと、この夜会に参加したのだが」

 

 肩を落とすオラトリオの背には、キンセンカ悲嘆も咲いた。


「――毎夜、病み疲れ、髪をかきむしり、泣き叫ぶのだ。そんな、愛する姉上の姿を見ると心が張り裂ける。なんとかしてやりたいのだが、どうすればいいかわからなくて……」


 と、うなだれてしまった。


「お気持ちは、わかりますよ」


 華やかに見える帝国貴族社会の裏側では、そんなことが毎日起こっている。

 権力と地位と見栄と。子供たちであろうと、貴族の家に生まれたからには他人との競争は避けられない。欲が強い彼らが見せるのはただれた花の祭典だ。

 

(そういうものに、泣かされる人もいるのよ)


 たとえ私が、アムンゼンという、帝国の中でも五指に入る家柄を持っているとしても、嫌なものは嫌だ。だから――


「何もせずとも良いと思いますよ」


 私は言う。

 この後の展開を知っている私は、彼を助ける義務があると思ったから。


「ベルクント様がそのような事をされずともいいのです。人の行いと言うのは、自らに帰ってくるもの。見てください。そろそろ、審判の時がきます」


 私は彼の視線を広間の方へ誘導する。ちらりと見えたのは、真っ赤な炎髪と、他の人を圧倒する荒々しいまでのピオニー憤怒。一段高くなったバルコニーからは広間が良く見える。


 炎髪の美女が、侯爵家こうしゃくけ子息アーバイン様とその取り巻きのグループに近づく。

 怒声、喧噪けんそう、にわかに騒がしくなる取り巻き。


 そして、あがった悲鳴。


 炎髪を逆立てた、この帝国の第一皇女が、許嫁いいなづけである五大侯爵家アーバイン・ザボン・オクチュアード様に強烈な平手打ちを見舞い、そのまま婚約破棄を突き付けた所だった。


 帝国皇帝家は、国内の権力安定のために代々五大侯爵家との縁談をすすめている。第一皇女殿下も五大侯爵家の子息から婚約者を選んだ。そのお相手というのが、かのプレイボーイ、アーバイン様。


 彼はその立場を使い、色々な貴族令嬢に手を出しているという噂は私も知っていた。オラトリオの姫だけじゃない。だから、良識のある貴族は辟易へきえきしていた。そんな中、今日この日。ついに皇女殿下が、婚約破棄に踏み切った。


「なんてことだ。これは……」


 呆然とする彼をしり目に、断罪劇は進行する。


 今は逆上したアーバイン様が皇女殿下に掴みかかって二度目の平手打ちを喰らったところ。わぁ、とっても痛そう。アーバイン様は、涙とよだれでボロボロになりながら、衛兵につまみだされていく。


 皇女殿下は、周囲の貴族子弟たちに拍手喝采はくしゅかっさいで迎えられていた。みなさん、彼のプレイボーイっぷりに嫌気がさしていたのだろう。取り巻きの娘たちも何処かへ消えてしまっていた。


「ね? ああなってはもうおしまいでしょう。貴方が手をくだす必要もないですわ」


 帝室の力も近年増していると聞く。

 もう五大侯爵家に遠慮する必要もないという事なのでしょう。

 

 今日私は事前に皇女殿下と会っていた。その時に、背後に咲く花を見て、『あ、これは何かあるわね』と思っていたのだ。だから、アーバインの側から早く離れたかった。彼は彼で、何かを決意していたようだが、それは達成されずに終わったのだろう。


「短気を起こしてはいけない、という事ですわ」

「――どうやら、そのようだな」


 ぎこちなく微笑む彼の周囲には、オリーブ安らぎ月桂樹勝利の葉が揺らめいていた。


「ありがとう。君のおかげで我が命と一族の名誉が守られたようだ。その……、今更なのだが、君の名を教えてほしい。君は命の恩人だと思う」


 少し前に名乗ったのを覚えていないらしい。

 まぁ、それほど余裕がなかったのでしょうね。


 感謝されて気分がよくなった私は、少し意地悪をすることにした。

 だって、淑女レディが名乗ったのを忘れるなんて少し失礼でしょう?


「わたくしは、どこにでもいる貴族令嬢ですわ。ただ、変わったことがあるとすれば――」


 私には人の想いが花に見える。

 そのせいで、貴族社会は合わないのだけれど。

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