第8話 ミスリアの隠しごと

 彼女の言葉は文字だった。

 その文字は明確なイメージをもって私に伝える。


『私の部屋は、ノバスの雪原をしているの。とってもきれいで素敵よ。早朝外に出ると、陽の光が反射してとてもキラキラ。夜も良いの。季節によってオーロラが出るから。緑とピンク。雪原に反射するの』


「え、オーロラってピンク色なのですか」


『出る高さによって色が変わるわ。ほとんどが緑だけど、低く出れば少しピンク色。北端のシュレイド・ホーン城あたりは良く見えるの。子供の頃、家族で見に行っていた』


「素敵ですねぇ……。それに、シュレイド・ホーン! アドルフ王が北方蛮族に攻められ立てこもった、堅氷けんひょう城塞じょうさいと呼ばれた美しいお城ですわね」


『よく知っているのね。今は極北諸都市とも関係は良いから、観光するにも良いところよ。極北海きょくほくかいのお魚がおいしいわ』


「そんな事言われると、お腹が減りますよ」



 ミスリア・ハラハ・オラトリオ。

 ノバス北方領の姫は物静かだけど穏やかで、なによりとっても知的な人だった。声が出ない彼女は、筆談で会話する。細くしなやかな指が書きだす文字はすごく綺麗で、思わずため息が出るほどだった。


 元平民だけど、私は読み書きはできる。けれど、字の上手さはうーん? という感じ。普通程度には書けていると思うのだけれど、ミスリア様のように流麗りゅうれいな字には程遠い。教養は一朝一夕では身につかない事を痛感する。


 ミスリア様すごい! と褒めていると、彼女はにっこり笑って『そんな事はない』とノートに書きつけた。


『シィル様とおしゃべりするの、とても楽しい。人を楽しませる事が出来る貴女は、とても賢くて素敵だと思う』


 そう書くと、ミスリア様は小さな口を綻ばせ、私ににっこりとほほ笑んだ。


「そんな事はないですよ。私は元平民ですし……。それより、ミスリア様の美しい雪国のお話が聞けて、とても嬉しいですわ」


 そう言うと、彼女も照れたように顔を伏せる。


 ミスリア様は、とっても物知りだ。

 北方に伝わる変わった民話・神話や、物語もたくさん知っていた。ノバス・オラトリオと言えば戦士の国というイメージだったけれど、昔からの文化が残る神話の土地でもあるらしい。子供の頃から身体が弱くて、籠りがちだったミスリア様は、色んな本を読んでいた。政治・経済・神話に民話。もちろん白狼王の軍記ものも。とてもたくさんの知識と見識。同じく本好きな私とは、とても気が合った。


 私と彼女は時間を忘れて語り合う。

 ルシアが「お嬢様、私先に帰っては駄目ですか?」っていうくらいに、時間はあっという間に過ぎていた。そして、そろそろ帰る時間が迫る。


『貴女のような人が、ずっとそばにいてくれれば、毎日が輝くのに』


 さらさらと、書きつけるミスリア様。少し物憂げな瞳。

 


 その部分を書くとき、彼女の背にアネモネあなたを待っていますが咲いたのを私は見た。


 青紫のアネモネ。

 誰かが誰かを渇望する時に咲く花だ。


「ミスリア様には親しく、気兼ねなく話せる方はいらっしゃらないのですか?」


『いない、かしら。私は出来損ないの娘だから。身体が弱くて20歳まで生きられないかもと言われていた。結局生きているけれど、あまり外に出ていないから友達もいないの。父も母はいるけれど、お忙しいから』


「ベルクント様は? とってもミスリア様の事を心配しておられましたわ。私をここに連れてきたのもベルクント様ですし」


『ベルは……。そうね。ベルは私の話を聞いてくれると思う。けれど、あの子はオラトリオのお世継ぎ。公務もあるし、邪魔をしてはいけないの』


「声が出なくなった事で、ベルクント様と話さなかったのですか? 彼は筆談でも黙ってしまって教えてくれないと言っていましたけれど……」


 ミスリア様は、苦笑して。


『だって、ベルったら、何が原因なのか? どうすれば治るのか? 私に悪い事があたのなら教えてくれ! って大騒ぎするのだもの。私だって混乱しているのに、ワァワァ騒がれて辛かったの。だから黙っちゃった』


 悪戯っぽくぺろりと舌を出した。


『でも、そう。心配してくれていたのは分かる。後で謝るわ。貴女という素敵な人を連れてきてくれたのだから、そろそろ許してあげようと思います』


「それがいいですね」と私が言うと、

『あの子ってば、思い込むと一直線なの。危なっかしいのよ』と笑った。


 あのハルペルシュ城の夜会を思い出して私も苦笑する。止めなければ本当に切りかかってしまう所だったのかも。ちなみに、彼はお茶会を始めて早々に部屋の外に出てもらった。女同士でしかできない会話というものもあるし。


 ――でも、そうね。もうそろそろ。

 楽しい時間はここまで。何も得ないままで帰るわけにもいかない。


「ねぇ、ミスリア様」


 私は、居住まいを正して呼びかける。

 そろそろ、向き合わないといけない。

 このお茶会は楽しいけれど、ずっとこうして居たいのだけれど。


 彼女の背には、ヘレニウム上機嫌アイリス友愛

 本当は仲良くなって、ニコニコのまま、また今度ごきげんようが良かったのだけれど。それでは解決にならないから。


 私は、ミスリア様と過ごして、この人を本当の意味で助けてあげたいと思った。

 ベルクント様に頼まれたからだけでなく、願わくば彼女の友人として。

 だから、そろそろ彼女がしたく無い話もしようと思う。



「声が出なくなったのは、アーバイン様の事があったからですよね?」


 彼女はハッした表情のあと、少し悲し気な目をした後うつむく。


「彼に酷い事をされたのですよね? そして捨てられたと聞きました」


 絹糸の様な銀髪が、うつむいたために彼女の表情を隠す。

 背には、キンセンカ。意味は『悲しみ』

 ノートは彼女の前にあるけれど。ペンは彼女に握られているけれど。

 彼女の手はピタリと止まってしまう。


 言いたくないのだろう。彼女の背にはカーネーション拒絶が咲く

 でも、

 お願い。

 答えて。


 貴女を救うために――


「ミスリア様。実は私。そうではないと思っています。貴女はアーバイン様に捨てられて別れた。そして恨んでいる。でも、本当はそうではないですよね?」


 彼女の心に引っ掛かっているのは、あのプレイボーイなのは間違いない。

 恋愛について、よくわからないけれど、時系列的にそうであるとしか言えない。


 アーバインに捨てられて、ふさぎ込んだ彼女。

 アーバインの婚約破棄と、彼の没落を聞いて泣き叫んだ彼女。


「ベルクント様は、貴女が彼の事を恨んでいると思ったらしいのですけど、本当は逆なのではないですか?」


 私は穏やかに、静かに問いかける。

 うつむいたまま、彼女は、ノートにペンを走らせた。


『違う。恨んでる』


 咲く花はニゲラ戸惑い黄色の百合偽りだけどその後ろには……


「本当に? 恨んでいるのであれば、彼がひどい目に遭って泣くなんて事、ないはずだわ」


『違う。驚いただけ』


「いいえ。私にはわかるんです。だって貴女は――」


 彼女の背には細い花弁と、彼女のように白く儚げな花。出会った時からずっとそこにある。


 月下美人が一輪。


 私が知るその意味は『ただ一度だけあなたに会いたい月下美人』だ。


「アーバイン様を愛しておられるのですね?」


 彼女は答えない。カーネーション拒絶が彼女を覆う。


「声が出なくなったのは、捨てられてもなお愛してしまった彼を想ってですか? 彼は貴女と別れたあと、女遊びがひどくなり最後には婚約破棄をされてしまいました。彼の素行がひどかったのは、私でも知っています。そんな彼を想って貴女が悲しむのは……」


 恋を知らぬ私には、その気持ちがわからない。

 どうしても、もったいない事だと思ってしまう。彼女はこんなにも素敵な人なのに……。


 私も黙り込んでしまった。

 恋は盲目と、本には書いてある。けれども、それで泣く人間が居るのならば目を覚ましてあげたほうがいい。そう思っているのだけれど。


 彼女のペンが動いた。

『黙って。彼の事を悪く言わないで』


 ミスリア様の感情の花が、憤怒ピオニーに変わっていた。


『彼は違う。そうではないの。彼はとっても優しくて私の事を考えてくれる。そして、! だから、彼の事を悪く言わないで!』


 そう、殴り書いて彼女は頭を上げた。

 そこには、真珠のような大粒の涙を目にため、歯を食いしばり、睨みつけるミスリア様が。


 戦っている? 誰が? 彼が? 何と――?

 今、重要な事が示された。彼女は何かを知っている。そう直観した。


「待ってください! 今も戦っている? どういう事ですか」


「ァ……――――、……ぇ―――ッ!」


 だが、彼女の拒絶は止まらない。

 声なき声を振り絞り、彼女は私を突き飛ばす。


 覆い隠さんばかりの大量のシャクナゲ警戒トリカブト敵意。彼女の顔が包まれる。


 これは駄目――。

 そう思った私は、怒る彼女に礼をし、部屋の外に出た。



 ◆◆◆


「ベルクント様。お姉さまの声を取り戻したいのならば、アーバイン様を探してください」


 どうしたのだ!? と慌てて駆け寄ってきた彼に私は開口一番言う。

 気が付くと頬が濡れている。私も泣いていた。

 

「なぜ急に? いやそれよりも、シィル嬢その涙は……それに顔色も真っ青だ」


「大丈夫です。少しショックを受けただけです。飲み込みます。それよりも、わかったのです。彼女の心を溶かすには、私たちでは駄目です。鍵はアーバイン様。彼に話を聞かなければ。彼と彼女の間に何があったのか、推測の域を出ません。だから、お姉さまを思うのならば、アーバイン様を探しましょう」


 あの婚約破棄劇は、もしかして……。

 動悸が収まらない胸を押さえつけながら、私は必死で頭を巡らせる。

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