第7話 沈黙のベラドンナ
「シィル。お花のこと、誰にも言っては駄目よ」
母は真剣な顔でそう言った。
私がまだ幼く、やっと物心ついた5歳ごろの話。
ほかの誰にも見えない花々について、私がしゃべりだした時。
絶対に言うなという母に、私は反論した。
こんなに素敵な事、どうして言っちゃ駄目なの?
花が見えるなんてすごい、と。
だが母は。
「そのお花は、人の心をあらわしている」
そう、静かに続けた。
「花を見れば、その人の気持ちがわかってしまう。心は正直よ。気持ちがわかるという事は、考えている事が分かるという事なの。シィル。例えば、あなたが誰かに、考えている事をすべて知られてしまったらどう思う?」
「……困る、かな」
「そうね」
母はうなづく。そして続ける。
「例えば、なんとなく苦手だな、嫌だなと思う人がいたとして、それが相手に知れてしまっては困るでしょう」
子供心にも、それはまずいと思う。ケンカの元になっちゃう、と。
「心を覗くのはいけない事」
私の目を見て、母は断言する。
「でも私、見たくて見てるわけじゃないのよ」
だんだんと恐ろしくなって、言い訳をするように言った。見えてしまうのだから、私のせいじゃない。すると母は。
「見えたとしても、黙っていればいいわ」
そう言った。
「いい? 人は、心の中でいろんな事を思っちゃう生き物。どんなことを思っていても、心はその人の自由で、本来は見えてはいけないもの。だけど、見たくなくても見えてしまう私たちはどうすればいい? 答えは見えてるって、言わなければいい。指摘したり、暴いては駄目。何を見ても黙っていなさい。私たちが心を見れるなんて、誰も知らないのだから」
私はうなずく。
でも、あたらしい疑問が生まれた。
「その人が、良くないことを想っていても?」
危ないことや、酷いことを考えていたら? それでも見ないふりをしないと駄目なの?
「そうねぇ。悪いことを本当にしちゃいそうだなと思ったら、それとなく止めてあげちゃおうか。けれど心の中にあるうちは、その人だけの想いだからね。決して、わかってるって悟られないようにしなさい。これは、あなたのためでもあるわ」
母のいう事は、5歳の私には難しく、その時は十分に理解できなかった。けれど、母の真剣な表情と花から、大事な話なのだと理解した。
だから「わかった」とだけ答えた。
その時の母の教えをできるだけ守るようにしていた。
おかしな
だけれど、最近は父の為に、貴族の相談役をしている。
『――アムンゼン侯爵令嬢は、人の顔を見るだけで思っている事や、隠しごとをピタリと言い当てる』
ベルクント様はそう聞き、私を頼ってきた。
私は今、母との約束を破り続けている。他人の心を覗き見る私にはいつか報いがあるのかもしれない。
でも、母だってこの力を使って相談事に乗っていた。もちろん種明かしは絶対にしなかったけれど。だから私も、多少は破ってもいいんじゃない?
◆◆◆
帝都の
メイドのルシアと共に馬車を降りた私は、ベルクント様の先導で屋敷を案内される。アムンゼンの家よりも大きく豪華だけれど、そのぶん古い洋館だ。シックな内装が天窓からの淡い光に照らされる。
廊下を進むと、行き止まりに大きな扉が見える。
「ここが姉の部屋だ。姉は日がな一日ここに
元物置部屋に住んでいる私が言える筋合いではないけれど、外から見る分には、ずいぶんと薄暗い部屋だと思う。健康には悪そうね。
「うなづきや身振り手振りでやり取りはできる。すまないがよろしく頼む」
姉上、お客人をお連れしました。と彼がドアを開ける。
さぁて、白狼の姫はどんな人だろう。私は不安半分、好奇心半分。
ベルクント様も、かの白狼王の血を引く方として凛々しいほうだけれど、アーバイン様に『オオカミ女』と呼ばれたミスリア様は、どれほどワイルドな女性なのだろうかと思っていた。私はどうも、そういう人に憧れがあるらしい。だけれど――。
扉が開く。
瞬間、息を飲んだ。
白で統一された室内に、彼女は座っていた。
銀の絹糸のような髪は長く、彼女の背を流れて床に広がっている。肌は新雪のように純白できめ細かいのか、輝いて見えた。はめ込まれた宝石のような瞳。深いアメジスト。赤く小さな唇が印象に残る。床に座り込む姿は、はかなげで、どこか幼く見えて。
オラトリオの姫。荒ぶる白狼王の
それはまるで、おとぎ話に出てくる雪の精霊のようだと思った。
「ァ――……」
私に気づいた彼女が小さく声を上げる。
慌てて私は姿勢を正して
「は、初めまして、ミスリア様。わたくしはシィル・アムンゼンと申します。弟君のベルクント様に願われ、ここに来ました」
私がそういうと、彼女はこくんとうなづき、微笑んだ。
「声が出なくなってお困りだと聞きました。力になりたいと思っています」
だがそれを聞くと彼女の顔はわずかに歪んだ。
悲し気な目。背負う花も
「声が出なくなったこと、心当たりはありませんか?」
新しい花が、ゆっくりと、ほどけるように開いた。
桃色のベラドンナ。その意味するところは『沈黙』
「――……」
消え入りそうな声だった。彼女はなにを言ったのだろう。
(やっぱりそうよね)
来る前から、ある程度予測を立てていた。
彼女は話せなったのと同時に、話したくないのだ。
ベルクント様には悪いけれど、声が出なくなった理由は、きっと彼女自身も知っている。
「――――というのはまぁ、おいといて」
彼女の顔をみて、私は早々に作戦を実行することにした。
「ミスリア様。まずはお茶にしましょう!」
急に調子を変えた私に、彼女はきょとんとする。
この方、今年20歳になられると聞いていたのだけど、ずいぶんと可愛らしいわね。私よりもずいぶん小柄で。表情まで子供のようにあどけないわ。
「ルシア、あのお茶っぱを出してくれる? あ、この子は我が家のメイドさんのルシア。旦那さん募集中の25歳。綺麗でよく気が付く人です」
「お初にお目にかかります。ミスリア様。ルシア・レンバーと申します。
ルシアを連れてきたのは、最初そのつもりがあったからだ。
彼女は、手早く持参のティーセットを並べ始める。
「ぶっちゃけ、ベルクント様にはミスリア様の気持ちを聞き出してほしいと頼まれたのですが、初めてあった人とお腹を割ってお話なんてできますか。できませんよね。 なので、まずはお茶会をして、お友達から始めませんか?」
しゅぱぱと、ミスリア様の前にもお菓子が並べられる。
「私、ノバス・オラトリオ時代の白狼王の大・大・大ファンなんです。ぜひミスリア様にもお話を聞きたいですわ」
私は、お医者様でもなんでもないから治療はできない。
けれど友達になって、さらにその人が困っているならば、心に刺さったとげを抜くお手伝いぐらいはできるのかもしれない。
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