第15話 言わないとわからない
「――シィル嬢。こんな所で会えるとは嬉しい。もしかして彼女に会いに来たのかな? すまないね。今彼女はおめかし中だ。私が突然来たせいでびっくりさせてしまってね。急いで連れてきてくれるみたいなんだ。ありがたいことだよ。私かい? 私は久しぶりに出歩ける立場になったから、さっそく愛しの姫君に会いに来たという訳さ。シィル嬢もミスリアに会いにきたのだろう。その節は、うん。色々とお世話になりました。本当に感謝してもしきれないほどだよ。――うんうん。どうしたんだい? そんな面白い顔をして。ふふふ、戸惑う君もやはり愛らしく、美しいね。とても好ましく思うよ」
思いがけない場所に、思いがけないひとを見て、絶句した。
「え、あ、はい、アーバイン様もずいぶんご無事そうで……」
と、あいさつになっていない何かをはきだすのが精いっぱいだった。
帝国社交界が誇るノリの軽いプレイボーイ、婚約破棄をされ、しばらく行方不明になっていた皇女殿下の元婚約者。現ミスリア様の恋人。
アーバイン・ザボン・オクチュアード様はとても元気そう――というか、元気いっぱいだった。
「ふむ。見たまえこの紅茶の色の深紅なる事。ノバスの地で取れる変わった茶葉だそうだよ。ここにティーポットがあるからシィル嬢も一緒にどうかな? おっと、カップが足らないな」
と、お茶を勧めてくるほど。
ミスリア様は今日こそ笑顔が見られるだろうか。ふさぎ込む日が続いては健康も心配ね……。
と巷で流行りの小説をいくつか持ち込んでオラトリオ邸に遊びに行ったところ、応接室に彼がいたのだ。さらにのんきな顔をしてくつろいでいた。
「久々の外は気持ちが良い。しばらく出ないうちに、すっかりむし暑くなってしまって。ふふふ、困ったものだよ」
そう言いながら、彼は自身の長髪を撫でつけた。
暑いなら切ればいいじゃないかと思うが、そのあたりの女性よりもサラサラな髪を見ていると、確かに伸ばした方がきれいか……。と納得しかける。
彼が髪を払うと、ふぁさりと舞い、いい香りが広がった。
「どうだい? 少しの間で髪も伸びてね。いや手入れはしていたよ? 自慢だからね。ミスリアは喜んでくれるだろうか。ずいぶん寂しい思いをさせてしまったから。シィル嬢はどう思う?」
甘いマスクに憂いを浮かべて、長い手足を持て余す様にゆっくりと椅子に座っていた。あまりに堂々とし過ぎてここがオラトリオの屋敷であることを忘れるほどだ。応接間はすっかり彼の私室のように見える。
なに、この人。
「――ではなくっ、……あの、今までどこにいらっしゃったのですか?」
彼があまりにも優雅にしているものだから、監禁されていたというのは私の勘違いだったのではないか? という不安に駆られた。
もし、そうだったらどうしよう? 私、皇女殿下に恐ろしく失礼な事を言ってしまったのだけれど。
しかし私の心配をよそにアーバイン様は、
「うん? うん。そうだね。ひとつの愛を終わりを見に、だね」
「――――はぁ」
と私の質問とかみ合わない返答を
「どこにいた?」と聞いたのだから「どこどこにいた」と答えるのが、人と人の会話というもののはずだけれど。物思いにふけっているような表情で遠くを見る彼は、まるで自分自身と会話をしているようだ。
「心とは、僕のような人間には分からない。見えないものは分からないのだ」
――表情や、しぐさで伝えてくれればわかるのだけれど。察するのは得意なんだよ? 特に女性の秘めた思いは大好きさ。とうそぶいた。
「はぁ…………」
言っている事がちょっとよくわからない。
分からないのか、分かるのかどちらなのだろう。
「エルドレーダ様とは和解したのですか?」
「ふふふ、どうだろうね。許されたのか、こちらが許したのか」
と紅茶を一口。彼ははっきりと明言せずにのらりくらりと。
「――でも彼女の気持ちはやっとわかったんだ。長い付き合いだったけれどようやくというところさ。それでも、彼女は最後まで言葉にはしなかったけれどね。だが、伝わったよ。いささか遅すぎたけれどね……」
「そうなのですね……」
「うむ。いや、君が気に病む必要はないよ。今回の事が無ければ私と彼女は一生分かり合えなかったかもしれない。きっかけになったから
よくわからないけれど、エルドレーダ様の想いは伝えられたようだと理解した。
「いや、しかし困った人だった。おかげさまで女性の言葉にならない要求を察するのがとても上手になってしまったよ。ご令嬢のエスコートなら、誰にも負けない自信がついたね」
「そう言われるわりに、アーバイン様のまわりには、女性トラブルが多いように思うのですが……」
「みんなが私の事が好きすぎるのさ。にべもなく断るとご婦人が気の毒だろう? だからしばらく話を聞き、想いを聞いてからそれとなく伝えるのさ。僕の心にはたった一人の
話しながらも
確かにあの夜会であった彼よりも格段、口が軽い。
しがらみがなくなった彼はこんなにもやかましいのかと顔が引きつった。
まさに頭お花畑。目がチカチカする……。
「おや、どうしたんだいシィル嬢、そんなに顔をしかめて」
「い、いえ。持病の幻視と、少しめまいがしただけですので、お気になさらないでください……」
「そうか。若いのに気の毒に……。たまには外で羽を伸ばすと良いと思うよ。今度、ミスリアと共にノバスの地に行かないか?
「いえ、お構いなく……」
彼、苦手かもしれないと思った。
「あの、それよりもミスリア様とはもうお会いになったのですか?」
「いや、まさに今からさ。ここの使用人は、私を見るやいなや泡をくって走って行ってしまったからね。幸いお茶は用意してくれた。しょうがないから、ここでくつろがせてもらっているという訳さ」
ミスリア様との感動の再会はこれからというわけ……? と思っていると。
バタン! と大きな音を立ててドアが開いた。
「――――あ、あ……ああ……! アーバイン……!!」
私の横を一陣の風のように通りすぎる白い影。
今まであしげく様子を見に訪れていた私には目もくれずにだ。女の友情はこんな時無力である。
でも、目じりにたたえた涙は宝石のようで。崩れた顔も、ほんとうに眩しかった。彼女のそんな顔は初めてで、本当にうれしそうで、文句を言う気にもなれない。
白狼の姫君は、微笑みをたたえた彼の腕の中に、涙ながらに飛び込んでいく。
彼の方も、それをしっかりと抱きとめたのだ。
◆◆◆
「アーバイン殿は、今事業を起こされていてな。貴族で商売を始める人は珍しいが、彼ならばうまくやれるのだろうな。それなりに良い滑り出しだそうだ。我が父が北方貿易を手広くやっていて、その関連だ。すっかり我が屋敷に入り浸っている。もはや
後日。ベルクント様から二人の様子を聞いていた。
アーバイン様は、結局オクチュアード家を勘当されたらしい。けれどオラトリオ辺境伯の
彼ほど人好きかつ、話好きな人ならば、貴族社会で権力争いをするよりも、実業家が向くのだろう。女性相手で無ければトラブルも起こさないだろうし。
「ミスリア様は、どうですか?」
「ああ、元気も元気。毎日楽しそうに笑っているよ。元々明るい
そういうベルクント様の背には、
人が変わったように、彼女は明るく暮らしているらしい。本格的に婚約の準備も進めているらしく、入り婿のかたちをとるという。
政治のほうでも混乱は聞かれない。
炎髪の皇女殿下も学院で見かけるかぎりでは、変わらない様子だった。
よくわからないけれど、いい場所に納まったということなのだろう。
「本当にシィル嬢のおかげだよ。ありがとう」
「いいえ、私は別に……」
と
じっと私の目を見つめて、少し頬も赤いような……。
そして彼の背に、目の覚めるような
あ、ヤバい。これは駄目。
私自身はそういうのは求めてない。
「で、だな。今日わざわざ、呼び出したのは、実は改めてのお誘いも兼ねてなのだが……」
「す、ストップ! ストップ! ……です!」
私はあわてて、彼を押しとどめた。そして距離を取る。
おかしいと思った。
「な、なぜだ? 私はまだ何も言っていないのだが」
「言わなくても、なんとなく察したのでっ」
私に拒絶された彼の顔が見る間に青ざめる。
ベルクント様には悪いけれど、恋とか愛とか、他人のを見ているだけで面倒くさい。本当に申し訳ないのだけれど、私には言わなくても分かってしまう。
私はそういうのを分かりたくない。分からないままで居たい。少なくとも今はまだ。
目で見えてしまうなら、距離を取ろう。
言われてしまったら、取り返しがつかないという場合もあるし。
「あ、私。今日は父の仕事の手伝いで、夜会に出なければならないのでした。大急ぎでかえってドレスを合わせないといけません。お迎えに来ていただいたのに、申し訳ない事をしましたわ」
「そ、それなら今から馬車を手配しよう。その方が早いだろう?」
「いえいえ、未来の辺境伯様の手を煩わせるわけにはまいりませんもの。それにシィル・アムンゼンはまだまだ子供でございます。ベルクント様とは釣り合わないのですわ」
と言いつつ、制服のスカートを摘まんで
ドレスほどの裾が無いからふわりとはいかないまでも、礼は尽くしたはず。
「ごきげんよう、ベルクント様」
そう言いながら私は駆けだした。
「ま、まってくれ!」
と言う彼の背中には、別の花が咲いている。
それもまた、
共感覚令嬢 第一部 了
共感覚令嬢。私は人の想いが花に見える 千八軒@サキュバス特効 @senno9
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