第3話 私のお仕事

「シ、ィ、ル、お姉さまぁ――――――!!」


 壊れたのではないかしら?

 そう思うほどの音を立て、開けられたドア。飛び込んできた彼女は、勢いそのままに寝ていた私の上に飛び乗った。


「朝ですわ、朝ですわ、朝ですわ――――!! 起きてください、動いてください、活動してください! お姉様、貴女のアルネットが参りましたの!!」


 耳元で大声を聞かされて、キーンとした。跳ねる彼女の勢いに身体ぐらんぐらんと揺れて、「ちょっと、お願いやめてー」なんて言いながらベッドを降りる。寝ぼけているから頭が働かない。それなのに、この子ったら、ハリーハリーハリーとせかすのだからたまらない。


 うぅ、今日はなのね。

 早朝からそのテンションは、低血圧な私には辛いのだけど。


「あら、お姉さま、だらしない格好ですわよ? 昨日も遅かったのですわね!」


 百点満点の笑顔で笑いかけてくれるこの子は私の妹、アルネット・ドロワ・アムンゼン。そして私は寝起き姿……。


 さむっと、身を震わせ鏡を見ると、薄手の部屋着だわ、髪も爆発しているだわで、ひどいものだ。顔も緩んでよだれのあとが見える。どう見ても、令嬢の寝起き姿ではない。


「というか、いつ寝たのか記憶が無いわ……」


 床に目をやれば、外出用のドレスが脱ぎ捨てられている。

 帰ってきて適当に脱いだ感じ。


「お姉様! 脱いだら掛けるなり、ルシアに渡さないといけませんわ。自分で出来ない時は、誰かにたのむべきですわ! 後片付けができないのはズボラと言うのですわぁーー!!」


 貴女に言われたく無いわよ! と言いたい言葉をぐっと飲みこんだ。妹こそ、メイドのルシアに日常生活の全てを依存しているではないか。一方私はほぼ全て自分でやっているのだから褒めて欲しいくらいだ。


 とはいえ、昨日はで遅くなったうえに、楽しみにしていた小説が届いたものだから、ついつい夜更かしをしたのも事実。夢中で読みふけり、多分そのまま明け方に。


 流石に力尽きた私は、意識半分で脱ぎ散らかしながらベッドにダイブしたというわけだ。現場に残された物証とも完全に一致するわね。これにて証明完了。異論あるかしら、私? 無いわね、私。


「……なんて無駄な推理なの」


 自分の回りくどい思考に呆れてしまった。

 そんな私をお姉様早く早く! と急かす彼女。私はしぶしぶ着替えを始めた。


 ここはアムンゼン家の屋敷の一室。とても小さな物置部屋。狭いスペースに窓は一つ。家具と言えるものは、ベッドと、クローゼットと、机と椅子。貴族階級の子女が住むにはかなり質素。


 執事長のルーデンスさんは「シィル様は、旦那様の正統なご息女です。本来ならば、もっと良いお部屋をご用意しますのに……」と苦々しく言うのだが、私がこの部屋を気に入っているのだから気にしないでいいの。


 貴族令嬢だ、侯爵家の一員だと言われ始めてもう数年がたつ。けれども私の心は、今でも母と一緒に暮らしていた庶民のまま。この感覚は大事にしたいと今でも思っている。



 ◆◆◆


「本日のご予定は2時間後にクローヴィス伯爵様と会談。その後はエイントリアル公のご用件、夜はラバウム商会のビスケス様とのお約束がございます」


「わかりました。クローヴィス様との会談は明るい色の柔らかでひろがりのある雰囲気のドレスを。エイントリアル公はカジュアルな洋服でいいです。ビスケス様はダーク調で目立たないドレスを、前使ったもので構いません」


 ルーデンスさんから今日の予定を聞きながら服装の指示を出す。それらはすべてお仕事の依頼であるのだけれど、それぞれに期待された役割が違う。クローヴィス様は最初のコンタクト面会、エイントリアル公には御用聞き。ビスケス様には商談のお供だ。


「お姉様! アルネットも連れて行ってくださいな!」


 金の髪をお団子に結った頭が跳ねまわる。私と4歳違いであるから、彼女は今年12歳になる。年齢よりも幼く見える彼女に思わず苦笑してしまう。


「ごめんなさいね、アルネット。お仕事の時は貴女は連れて行けないの。お屋敷でルシアと遊んでいて?」


「えー! そんなぁ! 嫌よ嫌ですわぁ!」


 相変わらずハイテンションで私のまわりを飛び回っている妹の頭を撫でながら笑いかけた。今日のアルネットには、ルシアも手を焼くことだろう。





 帝都ブランデオンの発展は目覚ましい。


 こうして馬車に揺られていてもお尻が痛くならないのは、道路がしっかりと舗装ほそうされているからだし、道路わきに立つ鉄柱は、近年改良されたガス灯が普及している証拠だ。


 本好きの私にとっては、印刷機の進歩が嬉しい。ますます活発になる出版業界は、景気が良いと聞いた。アドニス・ユニス戦記の未発表分が出版されるとか。かの白狼王は筆マメで、戦争の最中でも自身で当時の状況を事細かに書きとめていた。彼の手記と、その後の歴史を元に書かれた物語は近年の出版物の中で大ヒットとなった。


「そういえば、あの方は、白狼の末裔オラトリオでしたっけ……」


 夜会で出会った彼を思い出した。

 姉の無念を晴らすべきか、家の為に耐えるべきか。がんじがらめになっていたあの人。オクチュアード家のアーバイン様は実家で謹慎していると聞く。


 彼のお姉さまは、溜飲りゅういんを下げることができただろうか。


「ベルクント様か……」


 白狼の騎士の姿を脳裏に浮かべる。 

 最後に見た笑顔は、思ったよりも子供っぽくて、少し可愛かったなと思った。

 思っただけ。恋をしているわけじゃない。私はそういうのは苦手なのだ。


 ◆◆◆



 最初に飛び込んで来たのは、猜疑の花ハナズオウだった。


「――アムンゼン候の隠し子が、何の要件ですかな」


 歓迎されていないのは表情からも分かった。といっても、顔に出さなくたって私には関係ないのだけれど。


 彼の対応も無理はない。貴族の娘とはいえ、私の様な小娘が急に来たのだから。とはいえ、クローヴィス伯爵の態度などはまだマシな方だ。元平民の庶子しょしなんかに対等な立場で話をするのは嫌でしょうね。


「ごきげんよう。本日は父ローベント・ブレッド・アムンゼンの代理として参りましたわ。お気に触ったのであれば申し訳ありません。そう警戒けいかいしないでくださいませ」


 私は白くふわりとしたスカートを広げながら礼をする。その後ニッコリ笑うのも忘れずに。ちらりと流し目を送れば、クローヴィス候と共に居た彼の息子が息を飲むのが分った。


「ご存じだとは思いますが、シィル・アムンゼンと申します。本日はよろしくお願いいたします」


 私が今日ここにいる理由。

 それは父の政治上の駆け引きの手伝いだ。


 対立する派閥のクローヴィス伯爵の取り込み。まずは簡単な約束の取り付けから。少しの手土産と、彼の息子には愛想を振りまき好印象を。


 父が直接出向く方が効果があるだろうと思うのだが、いつもまずは私が送り出される。私の前では誰しもが、。私の仕事は、父に命ぜられた内容を伝え、その反応を報告すること。


(本当に、政治の世界はどろどろとしてて、嫌になる……)


 そんな感情は少しも出さずにあくまで明るく、ほがらかに。

 だんだんとほだされてきたのか、伯爵の背後に黄色いガーベラ親しみが咲き始める。

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