第4話 私のお仕事(2)

「そういえば、シィル様は知っておられますか? かのオクチュアード侯爵家のアーバイン様が失踪しっそうしたという噂です」


 お仕事の三件目を無事終えて、ビスケス商会のルイン・ビスケス様と馬車に揺られていると、先日の夜会で目撃した、婚約破棄劇の続きの話を聞くことができた。


「ちっとも存じ上げませんでしたわ」


 あのプレイボーイ、アーバイン様が失踪? 皇女殿下に婚約破棄を突き付けられ、連行された彼の身に何が……っというか、もう社交界に居場所が無いのでしょうけれど。


「失踪というと、どこかへ行ってしまったという事ですか?」

「さよう。父親の用意した屋敷で謹慎きんしんしていた間に、影も形もなくなってしまったらしいのですな」


 帝都でも指折りの豪商であるルイン・ビスケス様が笑うと、ふくよかな頬とお腹がたぷたぷとゆれた。「屋敷まで送ります」と好意で乗せてもらっている馬車は、彼が所有するものだ。


 流石、帝都有数の商会の馬車。乗り心地は良いのだけれど、彼と長い時間一対一になるのが困りものだ。初老の紳士であるビスケス様は商人らしくかなりのお話好き。自然、流行や巷のうわさ話のお相手をすることになるのだけれど、実は私はあまりうわさ話をするのが得意じゃない。


 ただでさえ、権謀術数けんぼうじゅっすう渦巻く社交界に身を置いているのだから、誰それが仲が悪い、どこそこでこんな醜聞しゅうぶんが、なんてわざわざ収集しなくても聞こえてくる。情報も取捨選択をしなくてはいけないし、出元の怪しい情報は入れたくなかった。


 とはいえ、ビスケス様の言うそのうわさは、私にも少しばかり興味がある内容だった。


「五大侯爵家の御曹司おんぞうしが行方不明……。それは、かなり大事なのでは」


「その通りですな。ですから、近衛騎士団が帝都中を探し回っているようですな」


 ガラガラと走る馬車の脇を、軽装騎士が追い越して行った。確かに彼らの服装は近衛軍装だ。サーベルを腰に差し、マスケット銃を背負う彼らは背筋をピンと伸ばし、堂々と馬を駆っている。3人編成は平時ではまず見かけない。もし、誘拐事件などに発展すれば大事になるから警戒を強めているのだろうと思った。


「一方、これまたうわさなのですが、彼に婚約破棄を突き付けた、皇女殿下が秘密裏に彼を処刑したのではないか? などと言われています」


 疑問符が浮かぶ。

 帝国の第一皇女、エルドレーダ・ルイン・テンペラ―ト姫殿下は、あの夜、アーバイン様に見事な平手打ちを見舞っていた女性だ。炎髪を揺らし、大人の男相手にも一歩も引かない、大変男らしい――、これは不敬に当たるか。大変勝ち気な方だと聞いている。だけれど。そんな人だからこそ、わざわざ断罪後にそんなことをするだろうか。


「姫殿下はそのような人ではないのでは? 確かに苛烈かれつな性格で恐れられてはいますけれど、そんなことをすれば、オクチュアード家と皇帝家に致命的な亀裂が走る事は分かっておられるはず」


「ですがね。オクチュアード家のアーバイン様にはちょっと黒いうわさもありましてね。国家転覆を企む者たちとつながりがあったとかなんとか。前からプレイボーイでならした彼ですが、ここ半年ほどでかなり酷い有様でしたでしょう。女性をとっかえひっかえと言わんばかりで」


「ええ、まぁ、確かにそうでしたわね」


 あの白狼の君。オラトリオ様の姉上もその毒牙にかかった一人。彼のプレイボーイぶりは本当に有名だった。


「それがどうやら、その秘密組織のせいであるというんですな。彼を骨抜きにして、皇帝家と五大侯爵家の分断を図ろうとしているとか、なんとか」


「そうなのですか」


 大真面目にしゃべるビスケス様の背後に嘘の花はない。好奇心ウォールフラワーはいっぱいに咲き誇っているから、純粋に野次馬なのだろう。突拍子もなさ過ぎてとても信じられないけれど。


「シィル様は人を見る目に長けていらっしゃる。中でも目は、商人である私でもかないません。ですから今日のように、大事な商談についてきていただいているのですが……。かのプレイボーイさんとも面識がありますでしょう? ――どう見ますかな?」


 にこにこしながらも、きらりと目の奥が光る。

 確かに私は、アーバイン様とも面識はある。同じ帝国五大侯爵家に連なる家柄で、あちらの方がいくらか年上だが、年も近い。とはいえ、あの夜会の日の出来事が、片手の指の数に納まる出会いのひとつなのだ。決して親しいわけじゃない。


 五大侯爵家の子弟とはいえ同格でもない。彼は生まれつきの貴公子。一方私が貴族令嬢なんてものになったのは、ほんの3年前。


 病気がちだった母が死んでしまった日。家の前に止まった馬車から降りてきたのは、難しい顔をした貴族だった。それが父であるアムンゼン侯爵。父は死んだと聞かされていたのに、真実は私は侯爵の婚外子こんがいしだった。


 母が死んだことを知った父は、私を屋敷に引き取り認知した。そうして私は平民から貴族になり、教育を施された。私が持つ“個性”を知った父は、それを自分の為に使う事に決め、今、こうして父の言う通りに働いている。


 だから、私はそれだけの人間。貴族であって貴族でない。

 彼をどうこう言う資格なんて――。


 どう言おうか逡巡しゅんじゅんしている間に、ごとごとと馬車が止まる。御者がアムンゼン邸に到着したことを告げた。


「おや、楽しいおしゃべりはここまでのようです。お若く美しいご令嬢を、私の様な中年親父が連れまわすなどいけませんな。また次も、重要な商談の際はお力添えを頼みますよ」


 ◆◆◆


 待ってましたとばかりのアルネットと共に夕食を頂いて、「お姉さまとあーそーびーたーいーの!」とごねる彼女をメイドのルシアに託して私は自室に戻った。


 父への報告書をタイプライターでしたため、執事のルーデンスさんに託す。彼はそれを伝令番に頼み、父のいる別邸に届けるのだ。


 初夏の帝都ブランデオンは気温がちょうどよくて、開け放した窓から心地よい空気が流れ込む。


「今日もお父さまは、来なかった」


 父の子供は、私とアルネットの2人だけ。男子はいない。


 妹の母侯爵夫人も、彼女アルネットが幼い頃に死んでしまっている。後継者問題もあるから、再婚を勧められてはいるが、父は今も独り身を貫いているらしい。


 父は、私たち姉妹と顔を合わさない。

 私がここに来てからというもの、自分は別邸に居を移し、こちらには帰ってこない。父が何を考えているのか分からない。


「少しだけでも会えれば、何を想っているのか分かるのだけど」


 13歳で天涯孤独てんがいこどくの身になって、明日から物乞いか娼婦かと思っていた私。助けてくれたのはどれだけ感謝してもしきれない。

 よい暮らしをさせてもらっている父とは仲良くしたいと思っているのだけど。


 もう一人私がいて、窓際でたそがれる自分を見たならば、それは大きな青紫のアネモネあなたを待っていますが見えるだろうと思った。



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