第5話 白狼のベルクントの事情

「面会の機会を作っていただき感謝する。貴女が五大侯爵こうしゃく家、アムンゼンのご令嬢であったとは。あの時は、知らぬ事とはいえ重ね重ねの失礼をした。出来る事ならば、どうか許していただきたい」


 深々と頭を下げたのは帝国近衛騎士団の軍装を一分のスキもなく着こなした紳士。名前は、ベルクント・アダムス・オラトリオ様。


 夜会の夜、ハルペルシュ城で開かれた夜会の席で出会った白狼の末裔。北方辺境伯の御曹司おんぞうしだ。


 彼が突然訪ねてきたのは、帝立貴族院学院ブランデン・ガーデンが初夏の長期休みに入ったのと同時だった。


「あの日から貴女を探していた。ほうぼうの伝手つてをたどって、アムンゼン家のご令嬢だと知った。事前の約束も無しに訪問した非礼も合わせて詫びたい」


 そう言ってまた頭を下げる。


「あ、あの。お気になさらないでください。わたくしは予定もありませんでしたし、何の地位もないただの学生なのですから、そんなにされると、こちらこそ申し訳ないですわ」


 彼の身長は私よりかなり高い。男性の中でもかなりある方だろう。体つきもしっかりとしてて、腕なんかはとっても筋肉質だ。でありながら、全体としてすらりとしていて気品もある。


 銀にも見える髪は美しく、顔は精悍せいかんだけど、やさしさと物憂ものうげさが同居していた。少し下がった目じりが可愛い。ちょっと少年らしさも見える。


 明るい場所で見ると、――うん。貴公子って感じ。


 屋敷の応接室に入って数分たつというのに、私は彼の顔まともに見る事が出来ないでいた。理由は、彼がずっと、まっすぐな視線を向けてくるからだ。


「――いや、辺境伯の息子でしかない私が、こうして侯爵家屋敷に足を踏み入れられるのも、シィル殿のご厚意があっての事だ。びるなどとんでもない。この度の事は、本当に感謝しかない」


 と、さっきから二人して米つきバッタみたいに恐縮きょうしゅくしあっている。

 確かに侯爵家は、辺境伯家よりも格上かもしれないけれど、本当に私自身はなんでもないただの人なのだけれど。


「え、ええと。要件はお姉さまのお話でしたっけ……。ミスリア・ハラハ・オラトリオ様……。すいません内容は聞いたのかもしれないのですが、どうにも覚えられなくて。もう一度教えてください。すいません、ごめんなさい」


 私は、進まない話を何とかしようと、うながす。

 今日ベルクント様が来られた理由。お姉さまのことで相談があるというのだけれど――。


「いや、すまない。大丈夫だ。詳しくは伝えていない。その、どこから話したらいいか――。そうだ、アーバイン殿が婚約破棄をされたあの夜、帝都のオラトリオ屋敷にいた姉上に事の顛末を伝えたあとから始まったのだ」


 そうしてやっと、ベルクント様は訪れた理由を話し出す。


 ◆◆◆


 オラトリオ家は、元々は北方を治めた王の血筋だ。今はないその国の名は、ノバス=オラトリオ王国といった。

 

 ノバス=オラトリオは周辺諸国を飲み込み、日に日に強大になっていく帝国に対し長年抵抗を続けていた。彼らの勇猛ぶりは多くの騎士英雄譚で語られ、かの地の男性はみな、ベルクント様のように長身で頑強がんきょうものばかり。真の戦士の国だと恐れられていた。


 だが、そんなノバス=オラトリオも、ベルクント様の祖父の代で、ついに帝国に屈したのだという。ノバスの地よりも先には、別の北方諸勢力がひしめいていたし、領民と王族の結束が固い北の地を直接治めることは難しいと考えた帝国は、オラトリオの一族をそのまま北方辺境伯に封じ、共存することにしたのだ。


 そんな来歴があるオラトリオ家だから、今年20歳になる娘のミスリア様が帝都にいるのも政治的な理由があっての事。はっきり言えば、人質だ。


 帝国五大侯爵家の一つ、オクチュアード家のアーバイン様にミスリア様がもてあそばれたのは、あるいはそういった家同士の力関係もあったのかもしれない。元々敵対国家の王家であったオラトリオ家は、今をもって帝国内で難しい立場であるらしいから。


「姉上はアーバイン殿を憎んでいると思っていた。だから、彼が帝国皇女に断罪され婚約破棄をされた事。さらには、皇女に暴力を働こうとした罪で謹慎している事を話したのだ。すると――」


 その知らせを聞いた彼女は、みるみる青ざめ、震え出した。また、おおいに狼狽うろたえて悲痛な叫び声をあげ、そのまま気を失ったというのだ。


「私たちは慌てて侍医を呼んだのだ。だが、心労のために眠っているだけだと言われてな。しかし、目が覚めた姉は、一切の言葉を発することができなくなっていた。こちらが何を問いかけても、困った顔で首を振る。口を開けはするのだが、声が出ない。そのうち、私の顔も見ようとしなくなってしまった。筆談で聞き出そうともするのだが、拒否される。もちろん医者にも診せたが、ヒステリーの一種である。様子を見よとしか言わん。そのままもう2週間だ。一生話す事はないのかもしれないとも思ってな。きっと、私の不用意な発言の所為なのだ。今私は罪悪感で身が張り裂けそうでな……。どうすればいいのやら……」


 と、ベルクント様は、話している内にすっかり青ざめていた。

 姉の事が本当に大事で、心底心配しているのだろうと思った。


 私は、その症状に心あたりがあった。

 これは、きっとあれだ。前に医学書で見た。


 ――失声症しっせいしょう



 私は、自分の“力”が何か知りたくて、心に関する医学書を読み漁った時期がある。

 失声症を知ったのもその時だ。記されていた症状は、精神の不調、混乱の為に一切の言葉を発せられなくなる。なんてもの。だが、多くの場合短期間であるらしい。


 ベルクント様の言う事が本当ならば、あの夜会の日からもう2週間近くは経っている。それが、長いのか短いのかわからないが、何も知らないベルクント様からすれば長い時間だったのだろう。


「それはお困りですよね」

 彼の背には、ムスカリ失意がブドウの房の様な花弁を下げていた。


「その、お父上は――、オラトリオ辺境伯はどう仰っておられるのですか?」


 辺境伯ともあれば、ちゃんとした心の医者でも呼び寄せることができるだろうと思った。だけれど、ベルクント様の返事は私を苦笑いさせるものだった。


「『ほおっておけ』とだけしか言わんのだ。今の時期は公務ゆえ、父も帝都に居るのだがいちども顔を見せずだ。私は困ってしまってな。そんな時、夜会で出会った不思議なひと――。失礼、アムンゼン候令嬢である貴方を思い出した。貴女を探す最中、色々とうわさも聞いた。アムンゼン侯爵令嬢は、人の顔を見るだけで思っている事や、隠しごとをピタリと言い当てるという。それは、私があの夜会で体験したことでもある」


 ――なので、どうかもう助けてほしい。姉と会って、その心の内を探ってはくれないか。ベルクント様は、深々と頭を下げた。




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