共感覚令嬢。私は人の想いが花に見える
千八軒
共感覚令嬢とラベンタリア
第1話 夜会にて
「なんて大きいはな」
『あ、失言した』そう思い、口を押さえた。
でも、相手はきょとんとしていて、不思議そうに顔の真ん中に手を伸ばすだけだった。
「――鼻、かい?」
聞きかえす言葉には怒りの花は咲かない。
「僕の鼻がどうかしましたか? もしや、形が良いと褒めてくれているのかな?」
内心胸を撫でおろした。自分の容姿に自信がある
「いえ、あの、花。です。アーバイン様の後ろに大きな花瓶がありましたので……」
「……ああ、あの花かい」
運よく、彼の背後には明るい薄紅色のラナンキュラスが飾られていた。
それのせいにして、私は失言を誤魔化そうとした。
ふむ、とうなづく彼の表情は穏やかだった。
整った顔立ちと、シンプルながらも品のいい
「……………ふふっ」
いえ、微笑むだけでなく、何か言って欲しいのだけれど……。
「あの。すみません。
気おくれした私は、控えめな言葉で謝った。彼とは初対面でこそないものの、親しい間柄じゃない。先に失礼だったのは私なのだ。
そもそも今夜の
「いやいや、アムンゼン侯の愛娘、シィル嬢に声をかけられたとあっては、足を止めない方が失礼だよ」
彼は洗練された動きで礼をすると、さりげなく、私の手を取りにいった。
「少々取り乱してしまった。今宵、美しい
じいと、私を見つめる彼の背後には、ポンポンと
それを見て私は……、背筋が寒くなった。
噂通りの、プレイボーイぶり。これでは、あんな噂を立てられるのも無理はない。
「あの……、アーバイン様。そういった言葉は、わたくしの様な今あったばかりのものにではなく、本当に愛している方に掛けてあげるのがよろしいかと。思うに、愛の言葉とは、真に伝えたい誰かにのみ囁くべきです。でなければ、本当に大事にしたい人には届きませんわ」
そう言うと、彼は驚いた顔をした後、
「――ふふ。いや、まったく。その通り、くくく」
何が面白かったのか、しばらく含み笑いが止まらない様子だ。
小さな
「えっと、わたくし、これにて失礼させていただきますわ。ほかにもご挨拶をしなくてはいけない方が多くいらっしゃるので。お体に気を付けて。ごきげんよう」
スカートのすそをつまみ、ふわりと
「ええ。お気をつけて
微笑みをたたえ、手を振る彼の背には、またしても、ピンクの
いったい何を決意しているというのか。
よくわからないけれど『どうかご健勝を』と言うほかない。
キャッスル・オブ・ハルペルシェで開催されたその日の
一方こちら会場では、貴族の子弟が集められ、若者たちの社交の場になっていた。
高位貴族ともなれば、若いうちから様々な思惑をもって人と関わる。
味方となる人脈作り。未来の配偶者探し。色々な思惑が交錯する。
だからだろうか、華々しく着飾った貴族の若者たちの背には様々な花が咲き乱れていた。その中でも、特に目を引くのが、
アーバイン様を振り切ったというのに、その後も何度も声をかけられた。
でも、私は困るのよ。そういう花を背負われていては、お話をする気にもなれない。いつの間にか自身のアピールを始める人が多い。それに、もともと交流は苦手であるし。
今日だけは目立たないようにしよう。余計な騒動に巻き込まれたくない。今日の私は、この貴族社会にあって、誰の目にも止まりたくないのだ。
できるだけ急いでいる風を装い、部屋の隅に移動した。
社交の場で一人でいる女を壁の花と呼ぶらしいけれど、ぜひともそうありたい。
壁に背をつけると、ちょうど楽団の軽快な音楽に合わせてダンスが始まった。紳士淑女は思い思いのパートナーの手を取り、ダンスパーティの様相になる。
(あ、アーバイン様)
その中でも、数人の女性たちに囲まれているの青年が見えた。さきほどの、アーバイン・ザボン・オクチュアード様だった。帝国に名高い五大侯爵家のひとつ、オクチュアード侯のご子息は、数人の令嬢の中心で誰と最初に踊るか? と揉めていた。
「本当に、お盛んなこと」
「――まったくだ」
独り言に返事があって驚いた。
隣を見ると同じように壁を背にしたまま広間をにらむ、男性がいた。
私の視線に気が付くと、その人は、バツの悪そうに頭を下げる。
「む、失礼。つい声に出てしまったようだ」
謝罪の言葉と共に、首筋あたりからもさもさと
「大丈夫ですわ。お気になさらないでください」
彼は、凛とした佇まいに、きりりとした眉。ハシバミ色の目をしていた。
淡い髪色は北方の出身だろうか。帝国の貴族階級の軍正装をしているが、腰に純白の小型獣の毛皮をあしらっているのが洒落ていた。着こなしに一朝一夕では身につかない気品が漂っている。
「感謝する。
うなづき、広間に向き直った。
(あ、花が……)
だけれど、私は彼の背に咲く花から視線を戻せない。
そこに咲いていたのは、あまりにたくさんの
ずいぶんと険しい表情をする人だ。
戻した視線は鷹のように鋭く、今もフロアの中央を睨んでいる。
私は彼に目を奪われていた。
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